岩田亨の短歌工房 -斎藤茂吉・佐藤佐太郎・尾崎左永子・短歌・日本語-

短歌・日本語・斎藤茂吉・佐藤佐太郎・尾崎左永子・社会・歴史について考える

「星座かまくら歌会」2016年4月

2016年06月21日 14時56分46秒 | 歌会の記録(かまくら歌会・星座・星座α・運河)
「星座かまくら歌会」2016年4月 於)生涯学習センター


 「星座かまくら歌会」は月例会だ。だが先月は花粉症が酷くて欠席した。「運河かながわサロン」も同様だった。


 尾崎左永子主筆の助言をもとに会は進行する。主筆は添削はしない。アドバイスをするだけだ。あとは作者の責任で考えよ、ということだ。僕も選者だから発言するが添削はしない。意見を言うだけだ。だがその意見の大部分が尾崎主筆の着眼点と一致する。

 尾崎主筆との違いは、やはり経験の差だろう。だから尾崎主筆の批評を聞くのは勉強になる。短歌は丁寧に歌うものだが、丁寧すぎると説明になる。助詞一つで見違えるようになる。口語、俗語も一首の中に溶け込めば、効果的になる。

 だが短歌特有の古風な表現にこだわると現代人に受け入れられないものとなる。言いすぎるとしつこくなり、言い足りないと大雑把になる。短歌は小さな詩形だが、小さいだけに欠点が際立つ。ここが一番難しいところだ。


 僕は製作中の相聞を出詠した。二人称をどう表現するかで悩んでいた。尾崎主筆の意見はこうだ。「汝(なれ)は古すぎる。君は表現が甘くなる。」ではどうすればよいか結論は言わない。作者の責任で考えて決めろということだ。


 歌会が終わったあとの歓談も貴重な場だ。今回も聞いたのは「運河」の設立の裏事情。長澤一作、山内照夫、などの設立同人は何も言わずに鬼籍へ入ったが、尾崎主筆が何度もいうのは僕への申し送りだと思って聞いた。


 「運河」設立のとき佐藤佐太郎は家をでる決心をした。長澤一作が佐太郎の住まいを用意した。佐太郎を迎えて「運河」を創刊するはずだった。しかし土壇場で佐太郎は意を翻した。こういう経緯だそうだ。


 もっと詳しい話があるが、それは控えておこう。

 だがこの話を聞いて、僕は改めて思った。斉藤茂吉、佐藤佐太郎のながれのすえに連なるのは、僕の財産だ。




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