沖縄は15年戦争で日本で唯一の地上戦を経験した。県民の四人に一人が戦闘に巻き込まれて死んだ。そして戦後は米軍の軍政下で過酷な生活を強いられてきた。
1951年の講和条約発効後もアメリカの施政権下に置かれ、その状態は1972年まで続いた。その間ベトナム戦争の出撃基地として沖縄が使われたように米軍による土地の強奪、土地の強制収容があり、米軍基地が集中している。(地権者に土地の使用料が支払われているがそれは土地をブルドーザーと銃剣で奪ったあとのこと。県民がすすんで提出した土地はない。)
1972年の沖縄返還のあとも米軍基地は沖縄に集中し、「沖縄のなかに米軍基地があるのではない。米軍基地の中に沖縄がある。」とも言われてきた。米軍基地の面積は減少している。だが米軍基地の機能は増強されている。
近いところでは垂直離着陸機「オスプレイ」の配備がある。これはヘリコプターとジェット機を合わせた機能をもち、利益陸するときはヘリコプター。空中では航空機。切替の時はエンジンが90度回転する。このとき事故が起こりやすいくアメリカ本土では「未亡人製造機」とニックネームができるほど事故が多い。このオスプレイが沖縄の市街地の上を低空飛行している。(この「オスプレイ」は東京の横田基地にも配備。)
米兵、米軍軍属の犯罪も多い。このブログで『米軍基地を押し付けられて』という書籍を紹介した通りだ。(書評・政治経済、自然科学)
この沖縄の辺野古と高江で米軍基地の建設が進んでいる。辺野古については沖縄県民は基地反対の民意を示し続けてきた。衆議院では沖縄一区が日本共産党。二区が社会民主党、三区が自由党、四区が元自民党の無所属。すべて辺野古基地反対派が選出された。
参議院では後に「沖縄の風」という会派を作ることになる社会大衆党・無所属などが二人の議席を独占した。全国で唯一自民党の国会議員の議席が0の都道府県となった。
しかし、政府は選挙結果の仕返しをするように参議院選挙の議席確定の翌朝に基地の工事を始めた。2013年の参議院選挙の翌朝に辺野古基地の2016年の参議院選挙の翌朝に高江の工事を開始している。
特に高江は酷い。150人の村民に対し1000名を超える警察機動隊を全国から投入して坐りこむ住民に暴力を振るっている。坐りこんでいる住民を殴る蹴る。「土人」という言葉を投げつける。警察車両で曳く。機動隊の車の排ガスを吸わせる。こんなことが日常的に行われている。
地元での抗議行動も激しいが、全国で「沖縄に基地はいらない」の署名が行われている。高江の座り込みの支援に行く人も多い。
沖縄を「憲法番外地にするな」という声もあがっている。マスメディアではなぜか全く報道されていない。ちなみに日本の報道の自由度は50位を下回っていると記憶している。