天童大人プロデュース「詩人の聲」2015年9月
1、筏丸けいこ 銀座マリーン
筏丸は35回目の公演。歯切れのよい声でテンポよく作品が読まれていく。「筏丸節」は絶好調だ。言葉の合間から物語が立ち上がってくる。
象徴主義の手法で動物などが登場するが、人間の生き方を暗示するような作品だ。筏丸は近いうちに詩集を出版するという。いまは新詩集へ向けて全速力なようだ。
2、紫圭子 NPO法人東京自由大学
紫は35回目の公演。紫の声は魅力的だ。声の響きが海の波のように押し寄せ、どっと抒情が心に飛び込んでくる。作品は風土に根付いた抒情、汎神論的要素と近代的要素の不思議な同居。魂鎮めのマントラを思わせる内容と質がある。この内容と質が紫の作品には一貫している。
フォルムの特徴は漢語と和語、外来語が溶け合っていることだ。それが近代的と汎神論的の二つの要素が同居しているように感じる一つの原因だろう。
しかし全体の基調は言霊を現世に伝えるシャーマンの様相に近い。
3、伊藤比呂美 数寄和
伊藤比呂美は17回目の公演。伊藤の声を聞くのは、三度目だった。しかし前二回は説教節の現代語訳の声だった。詩を声に出すのは初めて聴いた。詠む時のスピード、強弱、間の取り方。非常に参考になった。
そういう声で物語風の散文詩が次々と読まれた。本人の言うところでは「詩を書く時に声に出していないと調子がでない。」今まで翻訳が仕事の中心だったが、詩作品の創作を本格的に再開するのだろう。
プロディユーサーの天童によれば声は万全ではなかった。だがこれから伊藤の新境地が開かれていくだろう。
4、柴田友理 キャシュキャシュダール
柴田は33回目の公演。西日本新聞のエッセイから読みはじめられた。作品はインパクトのある象徴詩。声も作品も力が漲ってくる作品で、人間の営みを暗示し、真剣な大人の詩になっている。
以前あった一種のおどろおどろしさが消えている。これは大きな進歩だ。
5、福田知子 ギャルリー東京ユニマテ
福田は31回目の公演。体調が万全ではなく心配されたが、大きな支障はなかったようだ。京都の風情を始め、自然と一体感になったような作品が、福田の真骨頂だろう。命、人間、自然を表現しながら、人間の生き方を暗示する。こんな作品群だった。
追悼詩が読まれた。これは暗示ではなく事実をもとにしている。だが読んでいて違和感がない。ほかの作品とトーンが同じだからだ。つまりこういう表現が福田の独自性なのだろう。その点、チェルノブイリをモチーフとした作品は理屈に傾いたかも知れない。
6、長谷川忍 BOOK CAFE 21世紀
長谷川は31回目の公演。第三詩集『女坂まで』のお披露目だった。収録された作品は「詩人の聲」で読まれたものから選ばれた。僕は長谷川の声を何度か続けて聞いたので、作品の成立過程がよく分かる。
詩集に収録されなかった作品も読まれた。それを聞くとひとつのポリシーを基準に詩集が校正されているのが分かる。一言で言えば、一冊の詩集がドラマになっているのだ。詳しくは『女坂まで』の書評に書きたい。