*ウサギのお部屋*

日記・レビューなどなど。
最新日記は数日後に非公開にします。

「スピリチュアル子育て」

2006年06月14日 | 
江原啓之のスピリチュアル子育て―あなたは「子どもに選ばれて」親になりました (王様文庫 D 8-8)
江原 啓之
三笠書房

このアイテムの詳細を見る



一気に読み終わっちゃった!



子供のいない人は、自分の親との関係を思い浮かべながら読むといいかもねぇ。



基本的には、江原さんを知ったときから、いや、無意識ではそれ以前から、漠然と思ってたことではある。

だから受け入れやすかったんだろうと思う。

たとえば、それは、「親のエゴではなく、子供のしたいようにさせる」みたいなこと。

まぁ、まだ先のことだけど、習い事・進学・就職は、経済的なことは置いといて、私の趣味を押し付けず、好きにさせるよーって思ってた。

その基本的姿勢が間違ってないんだなっていうのがわかったのもうれしいこと。



あと、「オーラの泉」でもちょっとずつ勉強した。

それは…選ばれて親になったということ。

この時代の、この国の、この家の、私とだんなを親とすることを自ら選択して、いっちゃんは生まれてきてくれたんだよね。

もしこの先、つらいことがあっても、それを乗り越えることができる「たましい」である、と見込まれているんだ。



ちょこちょこ紹介しつつ、力をもらった言葉を載せていこうかな。

もっちゃん、これ、読んだ方がいいよ!私が紹介できるのは一部分に過ぎないんだから、実際に本を読んだ方がいいって!



***



最近の傾向で、好ましくないこと。



まず、産み分け。

たとえば3人目も男の子だったら周りから残念がられるということとか、イヤだなぁって思ってた。



性別も、生まれるときに、その子が選んでくるもの。

だから、産み分けとかって、本当に意味のないことだと思うなぁ。

それから、これは、本に書いてはいなかったんだけど…性同一障害になっちゃうとしたら、絶対親が悪いよな。

「この性別に生まれてきて本当によかった!」って親が思ってなかったら、もしかしたらなっちゃうかもしれないよね。



それから、名前。

そうゆう名前をつけちゃった人がまわりにいっぱいいるから、あんまり言えないんだけど…(笑)

本当は、シンプルな名前がいいんだって。

誰にでも読みやすく、簡単な字の、変換して出てくるような、ありふれた名前。

あんまり大仰な、華美な名前にすると、名前負けしてる、と言われかねないし。

平凡な名前の方が、大きなことを成す、と昔から信じられてきた。

その昔からの流れが、なんでここ最近で変わっちゃったのかね?



名前はその子に一生ついてまわるものだし、いくら自分の子供だって、自分の所有物ではないし、もちろん自分でもないんだから、親の勝手な思いでつけられたんじゃ、たまらんね。

イタイ名前の子達の人生はどんなかな…?

それもまた、修行なのかしらね??



いっちゃんも、名前を読み間違えられる、という人生を送るんだろうな(笑)その点はごめんよ!でも電話で説明するときは簡単でよかったべ(笑)





子供を産むという行為は、生まれたがってる無数の「たましい」の1人をこの世にふたたび迎えることができる、というとても尊いこと。

神様のお手伝いをすること。



「子供を産むことができる、選ばれた性に生まれたことを誇りに思いなさい」



みたいな言葉があって、それにはおそれいった。

やっぱさー痛いからさー酒も飲めないしさー(笑)なんで私ばっかり!って思いはあったわけだよね。

でも、そうじゃない。

私だから耐えられるということがわかっていて、選ばれて、産ませてもらったんだもんね。

もっともっと謙虚にならんといかんなぁ。



育てることもまた、期間限定のボランティアなのだ。

「たましい」の修行のために、またこの世に来た子供を、いまの社会に適応できるようにしつけ(社会のルールを教える)、その子の持っている才能を見つけてあげて、伸ばしてあげること。

それが仕事。

そこに、親の自分が、やってほしいこと、行って欲しい大学、なってほしい職業、そうゆうものは一切含めてはいけない。



きっと、この先、それが難しく感じるときがくる。

子供がつらいめに遭うのがわかってるのに、そこへ行かせるわけにはいかない、って思うときがきっと来る。

でも、その試練に立ち向かうだけの「たましい」であるからこその選択だから、親は黙って見送るしかないんだろうね。



言葉が話せるようになったら、いっちゃんに、「なんで生まれてきたの?」「生まれる前は何してたの?」ってきいてみよう♪

いっちゃんは、どんな人になるために生まれてきたんだろう。

そのサインを見逃さないようにしないとねぇ。



やりたいことがあったら、母は、「子育てで何もできない」と嘆くのはダメで、一定の子育て期間が終わったら始めるとか、または今っからやっちゃえばいい!

私はいまっからやり始めてるよぉ。





スキンシップが大事なのは、それによって、オーラとオーラをくっつけることができるから。

妊娠中は、母のオーラと一体化している。

だからママが嬉しいと子供も嬉しいし、ママが不安だと子供も不安なのだ。

でも、生まれてきてしまったら、もう一体化してない。

だから抱っこが必要。

おんぶでも可。

眠ってるときの添い寝でも可。

  ↑これは、忙しいパパさんとか、働いてるママさんにはいいかも!





もっと、学校あがってからのこととか、ママ友のこととか、「類は友を呼ぶ」ってこととか、「家庭」は「たましい」の修行のための「学校」みたいなものである、とか、子供の方が「たましい」は大人かもしれない、とか、いろいろ紹介しきれなかったけど、とりあえずこんなとこでーす。



***



江原さんの教えは、今まで思ってきたこととか、いろんな宗教の本とか、昔からの言い伝えとかと、何も矛盾しないし、むしろ、スッキリと整理された考え方になれる。

だから好き。



いっちゃんに「かっこ~」って抱っこを求められて、抱っこできることが、より嬉しいことになったよ!

まだ抱っこできる時期に読めてよかったよぉ♪


モード・モンゴメリのこと。

2006年06月03日 | 
モード・モンゴメリのこと。



彼女を「モード」と呼ぶことにするね。自分でそう言ってたから。



ちょっと前に読み終わってたんだけど、なかなか書けないでいた。



6冊買った本の、読む順番も考えたんだよぉ(笑)

自伝→書簡→伝記→日記×3。

より、奥深くまで行けるような順番にしてみた。



1自伝1917



自伝っていっても、彼女の作品だから、読み物としてまとまっている。

読者が本当に知りたいことが書かれてないんだよね。

これを書いたことで、「エミリー」(1923)を書こうって思ったのかな?っていうくらいしかわかんなかったなぁ。

そのくらい、エピソードがかぶってるの。

昔は、おばあちゃんとかが、一族の昔話を聞かせてくれたりしたんだね。

それで、遠い昔に思いをはせたり、想像の世界が広がったんだろうな。

話してくれる人がいるのもそうだけど、モードはそれをキャッチする能力に長けていたんだろうな。



2書簡1903~1941



モードには、生涯を通じて、文通した男の人が2人いて、そのうちの1人へ宛てた手紙。

29歳から、死の前年まで。

今で言ったら、メル友みたいもんかなぁ。私にはいないや、男の人のメル友なんて。JO友ならいるけど(笑)



数ヶ月に1通というペースだけど、すっごい長文。

書かなきゃ書かなきゃって思って、どんどん先延ばしになる気持ちはとてもよくわかる。

そして、書き始めたら、ちょー長くなっちゃうの。わかるわかる(笑)

そうならないように、私は毎日長文を書いている。



これはかなり印象が変わる。



子供は男の子2人だった。3人産んで2人目が死産。(うちはそうなりませんように!)

「アン」は2作目以降は、出版社もしくは読者の要望によって書いたんだって。

実は、私は、「アン」シリーズ全部読んだのって2回しかないさ!

1回目は高校くらい??ただ文字を追ってるって感じで全然頭に入ってこなかったんだ。

1作目(「赤毛のアン」)は何回か読んだ。1作目は読めるけど、それ以降は読みにくかった。若い頃の私には。

こんなわけがあったからかぁ!

ってゆうのはコジツケだけどねぇ(笑)



引用;

1922.9.24

この二月に新作「可愛いエミリー」を書き終えました。書くことがこんなに楽しかったのは、「赤毛のアン」以来のことです。新しいヒロインを手に入れたからだと思います。



「エミリー」新しいヒロイン!

書いてるとき楽しかったって!やっぱり!

だって、「アン」より好きなんだもの。作者が好きなものが私も好き。

もう1人、好きなヒロイン「パット」も、「私をたっぷり注入しました」って書いてある。でしょでしょーって思った(笑)



人気作家でありながら、牧師の妻という立場。

なまら大変だったんだべなー

でも、その、大変だった部分を、やっぱり、男の人相手だし、他人だし、あんまり深くは書いていない。



最後の手紙の内容が気になる。

具体的に何があったのか??その時期の日記はまだ日本語訳が出ていないから、まだわかんないの。

でも、夫は精神を病んでて、自分もおかしくなってて、上の息子は放蕩してて、心配がつきなかったらしいね。そんな晩年。

なんてゆうの、美輪さんの言う「正負の法則」だね。それなりに人気があって、有名になっちゃったら、モードの作品「エミリー」から引用すると、「彼女も借金を払わなければならない」ってなもんだね。



だから、私は、そんなに超人気にはならなくていい(笑)

その前に書いてないべ(笑)



3伝記



書簡でだいたいのことを踏まえているので、サクサク読めた。

カナダ在住の日本人が書いた本だった。

ま、要らないことも書いてたけどね。



モードは結婚するより子供が欲しかったんだって。

実は、結婚生活はいいもんではなかったんだって。

これを読んで、やっと、私は呪縛から解き放たれた思いだ。



だってさぁ。

結婚して、みょうじ変わるでしょ。

でも、ペンネームは旧姓のままだから、旧姓宛てでファンレターが届くことだってあるじゃない。

結婚したって知らない人から郵便物が来ることだってあるじゃない。

なのに、

いつまでも旧姓の郵便物が届くようなら、出ていけ

とか言われたらしいよぉ。

ありえねーべ。

モードは夫には苦労したみたいね。



後年は、牧師のくせに、精神を病んでて、それを隠すのに妻(モード)がすっごく苦労したみたいよぉ。

バレたらみんなの前で説教とかできねーべ。

だから、よくやってたねぇ。



私、勝手に同じ人生を歩むと思い込んでた(笑)

「エミリー」は私だ!って思ったことと、同じ74年生まれだったことから、なんだか勝手に結びつきを感じてたの。

でも、私は1歳で母を亡くしてはいないし、祖父母に育てられてもいないじゃないの。

だいいち、エミリーに共感した74年生まれが何人いると思ってるのさ?(笑)



「エミリー」に書いてた、

自分のため以外には、誰のためにも書いてはいけない

という約束。

それは、不本意ながら、読者・出版社の要望、そしてなによりお金になるから、アン・シリーズを書き続けた彼女の本音?



でも、今月のNANAに

「自己満足の創作なら誰にだってできるよ。商業的に求められるものをかけるほうがプロとしてはよっぽどかっこいい」

ってセリフがあって、それを彼女に言ってあげる人がいたらよかったのにって思ったりなんかして。



そして、私のはやっぱ自己満足だろうなぁー

それでいいと思ってるもんなぁー(笑)

でも、やっぱり、自分で満足しなくて、それがお金になるからってなんなの??って思う。のは…プロ意識がないからなんだけどさぁ、なんかさぁ、きっと、成功しても虚しいんだろうな。

お金のためにみんな働いてるけど、それ以上の何かがなかったら、虚しいだけじゃない?ってゆうのは、子供の意見なのかなぁ。



「私はアンではない!」

早くも、2作目のリクエストがあったときに、自分の人生は、「アン」にひきずられていく運命なんじゃないべかって予見していた。そして、それは、その通りになったの。

なんて皮肉な運命なんだろうなって思わざるを得ない。



これは、書いてる人なら誰でもわかると思うけど、そうでない人にはわかんないのかもしれない。感覚としてね。

「アンは私である。しかし、私はアンではない」

ってゆうべきか。



私も、書いてる作品には、全部自分を入れてる。

実際に行ったことや、思ったことや、持ってるもの、服とかも同じにしちゃったりしてる。

自分以外の人を書くことはできないから。

でも、それは、私であって私ではないの。

それだけのこと。



なんだけど、当時の、しかもイナカの人にしてみたら、ヒロイン=作者ととらえちゃうんだよね。

うざかったべなー。



4日記1889~1900



いま、日記を公開して、コメント付け合う世の中だなんて、あの頃は、ってゆうか私だってここを始めるまで、想像もしなかったこと。



モードの日記は誰も読まないことが前提の文章なのに、ちゃんと文学なんだよねぇ。

私の昔の日記も、捨てなきゃよかったな…けっこうおもしろかったのに…(笑)



当たり前だけど、文章がうまい。

日本語に訳されたときに、読みやすくなってるのかもしれないけど、それにしたって、随筆、エッセイ、短編小説、のようにちゃんと読めるの。



子供の頃からのも、とっても興味深く読んだけど…やっぱり25歳くらいの、恋愛の部分は、ドキドキしながら読んだ!なまなましかった!けど、ちゃんとまとまっているの。

そして、そのドキドキが残ってて、阿久さんの夢を見たんだなぁ(笑)



**



モードの日記に触発されて、いろいろと、私の作品のヒロインの日記とかを書いてみたりしてるんだ。

今のままでは薄っぺらいからさぁ。

別ブログでやってたけど、ログインがめんどくさいので、またグループ作ったさ(笑)

興味ある人はご登録ください。いままたサボリがちだけどねぇ。



***



モードの、まだ読んだことない作品が、まだたくさんあるので、読んでみようっと。

って思った。

終わり。

里帰り前に、やっと書いたよぉ。