*ウサギのお部屋*

日記・レビューなどなど。
最新日記は数日後に非公開にします。

松谷みよ子「屋根裏部屋の秘密」

2007年06月27日 | 
屋根裏部屋の秘密 (偕成社文庫)
松谷 みよ子,司 修
偕成社

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1988年

直樹とゆう子の物語

の、全5作品のうちの4作めだった。

あんまり知らなくて、これを最初に読んでしまったよ。

でも、よかったかも。



祖父が亡くなる間際に、別荘の屋根裏部屋にあるもの、ダンボール一式を、孫にまかせる、若い世代にまかせる、という言葉を遺した。

そして夏休み、山荘に来たゆう子は、不思議な夢を見る。中国人の女の子。



次第に、ダンボールの中身がわかってくるにつれて、その女の子は、戦争の犠牲者の一人、とわかってくる。

祖父が戦争中にしていたこととは…

アウシュビッツと同じこと。当時、いくらでも人間は調達できた。その人間たちを「丸太」と呼んで、生体実験に使ったり、無意味に切り刻んで殺したり、ここには書けないくらい残酷なこと。



戦争中の、そのおそるべき生体実験をもとにした成果によって、戦後、医療の分野で大きな利益をあげて、祖父は会社を大きくしていった。



私たちには関係のないこと、って、若い世代は言いたいかもしれない。

でもさ、その成果で作られた薬とかを使ってるんだったら、関係ないわけないよね。



ここで、間違えてはいけないのは、そんなことをした個人個人が責められるものではない、ということ。

だって、反対したところで、殺されるだけだし、別の人材が来るだけだし。

戦争という狂気の中に入ってしまったら、私だってあなただって、こんなことは絶対にしないとは言い切れない。

では、何が私たちを支配していたのか?or支配しているのか?

それは、国家である。



あーあ、こんなことをしておいて、してないって言い張って、また戦争をする国になろうとしているわが国が情けない!

バカすぎる!



このシリーズの、最初の方では、原爆だったり、戦争の被害者である日本、というのが強く出ていたけれど、これの前の作品からは、加害者である日本、というのが色濃く出てくるんだって。

それは作者の認識が変わってきているということ。

日本は日本のアウシュビッツを持っていた、という事実を知ったから。

で、七三一部隊の隊員であった人と知り合ったことで、その事実を深く知るようになった。

そのお話をもとにして書かれたのが、この作品である。



もちろん、松谷みよ子さんの作品なので、小学生くらいから読める文体。

こういうの、子供たちに読んで欲しいわ。

そして、戦争に立ち向かう人間になって欲しい。

モンゴメリ「アンの仲間たち」

2007年06月26日 | 
アンの仲間たち (ニュー・モンゴメリ・ブックス)
L.M. モンゴメリ,赤松 佳子,Lucy Maud Montgomery
篠崎書林

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収録作品

シャーロットの冒険

マーセラのほうび

気まぐれの招待

フリーダが引き取った墓

テッドの半日休暇

牛を追う少女

ミス・プライスを呼びましょう

ジェイン・ラビニア

チェスターの家出



編者の前書きによると、これらの短編は「アン」より以前に書かれたものである。

有名な話。モードは2歳になるまえに母親を亡くして、父は西部へ行ってしまってのちに再婚、祖父母に育てられた。

その経験もあり、また、時代背景もあり、離れ離れになった家族は再会することが難しかった。



これらのお話が、「アン」や「エミリー」に結実していったんだね。

そういう意味で、このタイトルなんだね。



どれも、似たようなお話。

孤児であり、愛情のない親戚・もしくは血のつながりのない人に育てられている主人公が、偶然の導きによって、縁のある人に出会い、引き取られて、愛されることを知る、というお話。

またこれかよ?そんな偶然があるかよ?って思っちゃうんだけどねー。



でも、それだけで片付けられないのは、そんな話だってわかっていても、読みながら泣けちゃうところ。

再会したときのセリフが感動的なのね、きっと。



ひとつ、ちょっと違うのは、おばさんに愛されていないと思っていた主人公が、実は愛されていた、と知り、親切な金持ちの人に引き取られて絵の勉強をすることを断念するという「ジェイン・ラビニア」というお話。

おばさんの気持ちが、母として、わかるなーと思って読んだ。

子供に、「自分は愛されていない」と思わせないようにしないといけないね。厳しいのも愛があればこそ、だけど、もっとわかりやすく子供には接しないと伝わらないのよね。



続編もあるからまた借りてきてみる。

モンゴメリ「エミリー」ブックス

2007年06月25日 | 
可愛いエミリー (新潮文庫)
モンゴメリ,村岡 花子,Lucy Maud Montgomery
新潮社

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エミリーはのぼる (新潮文庫)
モンゴメリ,村岡 花子,Lucy Maud Montgomery
新潮社

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エミリーの求めるもの (新潮文庫)
モンゴメリ,村岡 花子,Lucy Maud Montgomery
新潮社

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「可愛いエミリー(ニュー・ムーンのエミリー)」1923

「エミリーはのぼる」1925

「エミリーの求めるもの」1927



私のいちばん好きな本。

だいたい毎年6月に読んでいる。

だからなんとなく今年も。

エミリーの誕生日が5/19だから、その日に読み始めることが多かったのかも?んで、6月に読み終わる、と。

思い浮かぶのは、高校生になった年の6月、寮のピアノがある部屋で、まだ寒いと思いながら膝を抱えて読んでいる私。

あれから18年か…やれやれ(笑)

今となっては、本当にそんなお部屋があったのかも曖昧な感じ。記憶って不思議。



少女編は、最近やってるアニメの絵を思い浮かべてみた。

けっこう、人物の描写と絵は合ってる。

風の少女、ってのはちょっとどうかと思うけど。



モードの作品を、読んだことないのもいっぱいいろいろ読んできたけど、やっぱりいちばん好き。



エミリーは私、って思える。



それから、子供(ヒロイン)の目線ではわからないところで、大人たちも活き活きと描かれている点にも感服する。

エリザベスみたいな人ってけっこう好きかもw



今回は、2作目がいちばん私の気持ちとリンクしたかな。
私は私なのに、ジミーさんとルースおばさんでこんなに評価が違うなんて、みたいなところとかね(笑)

嵐の夜や、ジョンの小屋の夜の、テディとのあれこれはもちろんよかったし♪

書く者としての思いも、やっぱり共感できるな。
こういう部分は、書く人じゃない人は、どう思って読んでいるんだろうな。



3作め。



いちばん多くの年月について書かれているのに、いちばん量が少ないのもあり、あまり重きを置いてなくて、ここ数年、けっこうさらーっと流して読んでたんだけど、今回、いろんな言葉を注意深く読んだ。



自然の描写が、ここでも素晴らしいなぁーと思った。

心の揺れ動きなんかも、とっても繊細に描いていて、やっぱりすごいなぁーと思った。



毎回思うけど、カーペンター先生の臨終の言葉、これは、私に言ってくれたのだと勝手に思ってるw

今回は特にね♪

批評についても同じことが言える。

同じ作品でも、素晴らしいと言う人も、くだらないと言う人もいる。

ならば、自分の好きなように、自分が納得する形で出すのがいちばんいいじゃないか。



ただ、訳者の最期の訳業であったこともあり、ほとんど直訳みたいな表現が多かったのがとても気になったから、違う人の訳でまた読んでみたいねー。

石田衣良「うつくしい子ども」

2007年06月17日 | 
うつくしい子ども (文春文庫)
石田 衣良
文藝春秋

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1999年 書き下ろし作品



実は、衣良氏の作品を読むのは初めて。

けっこう気になってたし、いいことを言うし、ちゃんとした作家さんだろうなーとは思っていた。

そしたら、ちょっと前に、千穂ちゃんが読んだって言ってて、興味を持ったので借りてきてみたの。



主人公は、ごく普通の14歳の男の子。中学生。

ある日、1つ下の弟が、殺人を犯して、少年Aになる。

そして自分は「少年Aの兄」というレッテルを貼られ…



タイトルが、なるほどなーって思う。

風景などには「美しい」と漢字で書いてあるのにタイトルなどは「うつくしい」と仮名で書かれているのは、誤植とかじゃないよね?

いろんな細かいディテールがしっかりしている、構成もしっかいしている。ということよりも、一気に読めてしまった、ってのが大きいかな。

現実の出来事としてもちゃんと読めるし、フィクションとしての完成度も高い。

しかし現実は、こんなふうに、スッキリとは終わらないのだろう、という可能性も残しつつ…。



日記にも書いたけど、ほんと、夢見ちゃったんだよ。

作品に入り込むと、よくそんなことが起こる。

夢の中で、私がその「少年Aの兄」で、周りの視線やら、報道におけるバッシングやら、本当にいたたまれないくらい。

夢だってわかったあとも気分の悪さは消えない。



まだ、私にはわからないことだらけなので、このくらいしか書けないな。

なので、気になってることを箇条書きにする。

未成年の犯罪について。

罪になる前のいろいろな行動について。

もし自分の子供が犯罪者になったとしたら。

同じ育て方をしたのに、複数のうちの1人だけが犯罪者になったとしたら。



あと、新聞も、書いてる人がいる以上、その人の主観が入った「事実物語」であるということを、大学のとき、尊敬する先生に習ったんだ。

今、そのことを痛感している。私たちが本当に知りたいことをメディアは伝えていない。

そういうこともちゃんと書いてあるのはいいね。



言葉というものがある以上、それを発した人が必ずいるわけで、主観のない、まったく公平な意見というものは存在しないのだ、ってことを、いま考えててさ、それともリンクするなーと思ったりして。

本編とは直接関係ないけど書いておく。



衣良氏の他の作品も読んでみることにする。

モンゴメリ「もつれた蜘蛛の巣」

2007年06月03日 | 
もつれた蜘蛛の巣 下  New Montgomery Books 12
谷口 由美子,Lucy Maud Montgomery
篠崎書林

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1931年



子供心をよくわかってる、子供向けの作品を書かせたら右に出るものはいないモードが、「青い城」に続いて書いたという大人向けの長編。

この人は、人間ってものをよくわかってるんだね。子供だけじゃないのだ、ってことを改めて認識させられる。



たとえば…

事実を言って何が悪い?と思ってるデリカシーのない人。

これは、私だ(笑)とか。



憎しみが愛に変わった。

憎しみが無関心に変わった。

愛の反対は無関心であることを、とてもよくわかっているなー。とか。



タイトルを決めるのに二転三転したそうだけど、いちばんぴったりくるタイトルだと思う。



ふたつの家の親族の物語。

60人の「ダーク」が60人の「ペンハロウ」と結婚した。その結果、家系図が蜘蛛の巣のようにこんがらがってしまった。

たとえば、ダーク夫人は、もとペンハロウだし、みたいな感じ。

このお互いの家以外の者と結婚すると、親戚中にいっぱい文句を言われる、みたいな。



一族の長老的なおばさんが、亡くなる直前に、代々伝わる「水差し」を誰に譲るか?という集まりをひらく。

しかし、そこでは発表しないで、おばが亡くなってから1年後に発表されることに。



水差しが欲しい者、欲しくはないが誰が権利を得るのか見たい者、水差しなどどうでもいいが親族なので来させられた者、自分も権利があるのか?と興味本位の者、さまざまな者たちがそこに集まった。

その者たちの1年間の物語。

多かれ少なかれ、その「水差し」の影響で、運命が狂ったり、逆にうまくいったり、そして最後にはハッピーエンドに。



↑とか、書くと、なんか安っぽいんだけどねー(笑)

それは私の文才のなさだわ。

「水差し」の件がなかったら、自分は今こうしていなかった、とか、そういうのが、なんか、すごくいいな、わかるな、と思ったんだ。

これはフィクションだし、大勢の人物が、同じ時期に同じものの影響を受けて、変わっていくというお話だけど、私1人の問題ならば、現実にもそういうことはあるから。

このことがなかったら私は成長していなかったな、とか、そういうこと。



そろそろ書きたくなってきたかも。