1993年
「たぬき先生」でおなじみの小児科の先生が書いた本。
子来と書いて、たねき、と読むんですってね。
ルソーさんを中心に、先人の著書から、なるほど、と思われることを紹介してくれてる。
だいたいにおいて、私の今のままでいいんだ!ってことがわかったからよかったなー。
気が楽になった。なりすぎ?ってくらい(笑)
ちょっと前のことだと、シーソーにのぼっていっちゃって、真ん中すぎてがっくんとなって転落したことがあった。
そのときに、「なんで助けないんだこの親は」って思われてるのかなー?ってちょっと気にしてたんだけど、「あぶないよ!」って言ったのに勝手に行ったのはあいつなんだから(笑)こういう痛い目に遭って学習すればいいのさ!と思っていた。
それでいいんだー(笑)
ルソーさんだっけね、
1日に100回転べはしめたもんだ。
火の怖さを知るには、実際に火に触ることだ。ひどいやけどをすれば、二度と触らないだろう。
とか言ったの。
ここまで言い切ると極端だけど(笑)親が先回りして危険なものを遠ざけてばっかりいると、自分では何もできない人になっちゃうもんな。
少々痛い目に遭わないと学べないのさ。
植物にたとえるなら、親は水をあげるくらいでいい。その子が伸びたい方向に行くのを見守って、時々サポートすればいい。
盆栽のように、型にはめないこと。
・ルソー
・福沢諭吉
・エレン・ケイ
・フレーベル
・植木枝盛
・ボルノウ
・スポック
・松田道雄
・太宰治
・コルチャック
この中から、もう知ってたよ、ってこと(その子にまかせておけば、自然とその子なりのペースで成長するもんだ・早期教育は、その子が楽しんでやってるならよし・みたいなことね)は除いて、なるほどなーと思った教えを紹介。
○子供は大人の小型ではない。子供には子供の成熟がある。
将来のため、といって縛り付けて、その子が明日死んでしまったらどうするの?
これは、ちゃんとした言葉では書けないんだけどー
いっちゃんが「お友達」という年代は決まってて、それ以上は「人」になる
みたいなこととも関連があるのかもしれない。
それから、モンゴメリの作品を読んでても、それをすごく感じることができる。
○できるようになったことの裏には、できなくなったことがある。
たとえば、歩くことができるようになったら、ハイハイは上手にできなくなる、とか。
蓋を開けて、「なーんだ」って思っちゃったら、もう「ここには何が入っているんだろう?」っていうワクワクはなくなる、とか。
勉強ができる子は、ずる賢いかもしれない。
できない子は、優しい心を持っているかもしれない。
それでも、できる子のほうがもてはやされるという現実。
できる方がいい!みんなが同じようにできることが望ましいっていう感じでどんどんきちゃってるから、今の日本の教育は。こういうのが差別とかいじめを生むのかもね。
○子供のため、と言いながら、実は大人のためであることが多い。
これは、知ってたことだけど、やっぱり陥りやすいから書いておく。
習い事をするのは誰のため?
いい学校に入るのは誰のため?
○親と子供は家庭において平等であるべき
「天は人の上に人を作らず、人の下に人を作らず」
の人が家庭でもその考えを実践したんだって。
確かに、親が上から目線で見てしまうもんね。子供に教えられることもすごく多いのに。
それにしても、この人の考えは、堅苦しくないところがいい。
基本的な考え方が似ているから受け入れやすいのもある。
人間として生まれた以上、社会のルールってもんがあるんだから、なんでも自然にまかせてばかりもいられないでしょ。
たとえば交通ルールを知らないで、車の多い場所で遊んだりすることを想像すればわかるね。
だから、その線引きは、その時々で、その子によって親によって変わってくるけど、少しくらい、大人の都合で振り回してもいいんだ。
って思ったら気が楽になった。
だって、電車に乗り遅れそうなときに、寄り道をしたりするから「はやくしてよ!」ってすごいせかすからさ、これって良くないよなぁ、って思ってたのさ。でも、このくらいはいいのね。
その代わり、ゆっくりできるときに、なんぼでも寄り道に付き合ってあげればいいんだよね。
私も育児雑誌しか読んでなかった時期があったから、
たとえば
おっぱいを飲ませるときは、ちゃんと赤ちゃんの目を見て、話しかけて。もちろんテレビを見ながら、や、携帯を見ながら、なんてのはダメ!
って書いてあったからさぁ、気にしてたんだよねー。でも、ヒマでしょ(笑)
そういうのも、別に気にしなくていいんだね。
自分のことはいい。
心配なのは、成人したときに、兵隊にとられるかもしれない世の中に、今向かっていってるってこと。
それから、その辺に売ってる食べ物は、みんな添加物に農薬に遺伝子組み換えばっかりってゆうのも、自分だけではどうにもならないこと。国が変わってくれないと。
200年前、100年前の先人の言葉が、今の日本の状況に当てはまっているなんて、悲しいことだなぁ。