2001年
これを読んでやっとスッキリした。
神戸の事件にも言及していたから。
やっぱり、どんなに凶悪な犯罪でも、傷ついた結果のことであって、子供を更生させることができない限り、どんなにその犯人に厳罰を処してもダメなんだね。
犯罪の凶悪性ばかりがクローズアップされてしまうと、本当のことに気づくことができなくなる。
確かに、被害者の感情からすると、無理もないことだけど…
中学生に、このA少年の犯行声明文を読ませたら、ほとんどの子供が「共感する」と答えたんだって。
「透明な存在」とか、そういう部分に。
義務教育の中にあって、「みんな」の中に埋もれていく気持ち、みたいなものなのかなぁ。
私なんかは、「個性とは、校則を破った服装をすることではない。校則を守っていたら個性がない、と言うのは違う。見た目だけで判断するんじゃねぇ」とか思ってたけどなぁ。
私たちの時代とは違うんだね。
これからの子育てに必要かもしれないことをメモ。
納得のいかないことでは「うん」と言いたくない感情=自由
えこひいき・差別はまっぴらごめんだという感情=平等
この気持ちが抑え付けられて、傷ついた子供が非行に走り、犯罪を犯す、かもしれない。
子供が複数の場合、同じように育てた、なんてことはありえない。
例えがよかったね。じゃあ子供の写真はまったく同じ数か?っていう。
これを理解したうえで二人を育てると、子供の差別感にも気づいてあげやすくなるかもしれない。
思春期以降は、親の顔をやめて、人生の先輩として接するように。
やってみよう。
「義務教育」は、親の義務である。
子供にとっては、教育を受ける権利なのだ。
「義務教育」って、言い方が良くないよね。
教育基本法って、もう変えられちゃったんだよね。。
残念だわ。
今の教育がおかしいのは、法律がおかしいのではなくて、法律を実現できていないから、なのだ。だから、法律を変えるのは全然見当違いなんだよ。
短い法律だから、一度読んでみたほうがいいよ。変わる前のやつを。