1947年(1942-1944)
小川洋子さんの「アンネ・フランクの記憶」を読んで、私ももっかい読んでみようかなぁと思って、ちょうど、図書館の本の合間だったし、本棚から引っ張り出してきた。
読むのは3~4回目くらいなのかな?
今回、初めてちゃんと読んだ気がする。アンネに初めて出会った気分。
最初「アンネの日記」を知ったとき、小学校中学年くらいだったのかな。
怖かった。死んだ人が書いたもの、みたいなイメージがあって。
写真を見ても、白黒で、ユダヤ特有の目の大きな少女が、あまりにも日本人の顔とかけ離れていて、子供心に怖かった記憶しかない。
ホロコースト(=ドイツ軍によるユダヤ人虐殺に関すること全般をさす言葉)のことも知らなかったし、つかまって殺されたなんて、何か悪いことをしたんだ、って思い込んでいたのもあるのかもしれない。
次に、嫉妬。
これは中学生くらい。
今の自分と同じ年代の少女の書いたものが本になってこんなに広く読まれているなんて、ズルイ、みたいな気持ちだったのかな。
私も何か書ける人になりたい、と思ってたから(今も思ってるけど)。
そんなこんなで読んだことがなくて、結局、初めて読んだのは、完全版が出てからだからハタチくらい。
そんで、今回、やっとちゃんと読んだ。
まず、ページ数の配分に気づいた。
約2年間の記事だけど、最初の1年分は短い。
内容も、13歳は、言いたいことはわかるが子供だった。
14歳の後半から最後、恋をして、親から自立して、それ以後の日記の内容の濃いことといったら。
その成長を目の当たりにできるから、この本は読み継がれているのだ、と、やっと理解した。
悪口は自己紹介
ってのもやっぱりここに書いてあって再確認。
気をつけなければいけないなぁ。
いちばん弱い立場の者にイライラをぶつけるのとかはありがちだけど、そうすると、子供がいちばんの被害者だもんな。
母との関係を、母の、親の立場から読むこともできる。
10年後の私が同じあやまちを犯さないように努力しないといけない。
「その年頃の女の子一般」ではなくて、「アンネ自身」として見て欲しいと願ったアンネ。
訳者あとがきにもあったけど、日本人と違って、隠れている身なのに、ドタバタしたり、大声で話したりしてて、最後の方は、あぁ、見つけられてもおかしくないな、と思った。
これは何回読んでも思う。
それから、戦争について。
いま、いろいろ考えていることが、もうここに書いてある。
14歳の少女が、答えを知っていた。
なぜこんな戦争が始まってしまったか。
お偉方ばかりが悪いんじゃない。
いちばん悪いのは民衆。
今の日本にも当てはまったりしてね。
無関心かなんか知らんが、自分でちゃんと考えて判断しないで、選挙も行かないで、クソ政府にまかせている人たちばっかりだったら、また戦争ができる国に逆戻りだよ、きっと。
イギリス軍の上陸作戦が始まるときの見解も素晴らしい。
オランダの人は、イギリスに過剰な期待をしているけど、イギリスが、まず自国の利益を優先させるのは当たり前だし、それについて文句を言う権利はないんじゃないの?とか。
なんて冷静なんだろう。
最後、あそこで終わっているのが切なかったり、もし、彼女の文章力で、警察に押し入られたときの様子、収容所での様子、などが書かれてたとしたら、それもすごく読みたいって思ったり。
でも、「もし」はないんだから、あそこで終わっているのが本当の完結、というか…うまくいえないけど、少女が成長して、完成された人となったところで終わっているのが、かえって美しいな、とも思えた。