*ウサギのお部屋*

日記・レビューなどなど。
最新日記は数日後に非公開にします。

中川淳一郎「恥ずかしい人たち」(2020)

2022年05月31日 | 
 
これも、中川さんの本を読んでみようの巻でした。
どこかに連載した短いエッセイを、テーマごとに分けてまとめたエッセイ集といったところ?
本が出たのは2020だが、それ以前のものもあるね。
コロナについては、まだ最初の頃だったね。
でも、メディアがおかしいことは、もうこの頃から分かっていた。
コメンテーターがもう破綻しているのも、そうだったね。
ほとんどの話は、そうそう、そうだよねって思いながら読みました。
細かい話では、ツイッターのアイコンの写真がどこからきたかが分かったのはよかったかな。


モンゴメリ「アンの愛情」(1915)

2022年05月31日 | 
 
(ANNE OF THE ISLAND)
 
松本侑子さんの全訳&詳し過ぎる注釈で、新鮮な気持ちでもう一度読めて嬉しいのである。
家のアン(1作目)から、村のアン(2作目)になって、今回の3作目は島のアン。
故郷の島から出て、本土の大学に進学したアンの大学4年間の物語。
ほかの島の同級生やギルバートも一緒に行く。
今回は、周りの友人が結婚したり、若くして亡くなる子もいたり、自分もようやくギルバートとの愛を成就させる。
 
最初のエピグラフ、最初の部分に詩の引用とかあるやつ、
そこからもうおしゃれ。
眠り姫のおとぎ話からの、テニスンの詩からの引用。
王子が現れて姫の眠りを覚ますことを暗示して、この作品でアンとギルバートが結ばれることを示しているとか。おしゃれだなあ。
 
「後より見つかる尊きものはすべて
 それを探し求める者の前にあらわれる
 なぜなら愛が運命とともにくり返し働きかけ
 ヴェールを引くと、隠されていた価値があらわれるのだから」(テニスン)
 
この詩そのものも、いいね。
私がいつも思ってることを表現している。
 
作中人物の名前も、ちゃんと考えられているんだなあ。
例えば、アンが書いた物語の作中人物に名前をつけていいと言われてダイアナが考えた名前が大仰過ぎて、使いの子の名には似合わないだとかいうところなんかもいいね。
 
それ以外にも、アンたちの名前はもちろんのこと、
スコットランド、アイルランドのケルト系のキリスト教の流れからの、いろいろが根底にある。
聖書に出てくる聖人の英語読みだったり。
大学の友人のフィリッパは、苗字がゴードンで、スコットランドの名家の苗字で、お嬢様だってことを表現してるとか。
 
おっそいけど、3作目にしてやっと実感した。
これは大人の文学であると。
それを知れたことにも感謝。ありがとうございます。
 
いろんな引用から、この章はこういう内容ですよと暗示しているとか、
そういうことが普通に自然に分かったら、いいなあーと思う。
多分、同じ時代の読者しかそれはできなかったんだろうな。
 
意外とすごいなって思うのは、注釈の中に
「出典不明」ってのもあるということ。
調べに調べまくってさえ、出てこなかった文献もあるということ。
著者はどれだけ幅広く読書してそれを作品の中に入れているのだろうか?
 
大学生活では、一軒家を借りて女子学生4人で住む。
その辺のくだりも、うまくいきすぎて調子いいなって思うけど、憧れだなあ。
寮母さん的なジェイムジーナおばさんの存在がよい。
前も書いたけど(昨年久しぶりに読んだ村岡訳のとき)
悪魔が醜いって少女たちが言うのに対して、おばさんは、悪魔って実は見た目はハンサムかもよ、みたいなことを言う。そういうところがめちゃいい。
 
島から一緒に大学に来た同級生男子、チャーリー・スローンに先に求婚されるのであった。
そこで、もちろん断ると、嫌なことを言われ、それに対して腹を立ててしまった。
そのときのアンの感情が、こないだのクソババ2と重なる(笑)
「スローンごときと喧嘩するとは、しかも、チャーリー・スローンの言葉に、自分を怒らせる力がありうるとは、ああ、落ちぶれたものだ」
そうそう、そういうことよ(笑)
 
幼馴染の1人であった、ルビーとの別れ。
この辺も、必要なことだったのだと。
誰よりも美しくて周りにいつも男性がいたルビー。
でも、若くしてこの世を去らなくてはならない。死にたくないとアンにだけ本音を漏らした。
そこで悟る。
「天上の暮らしは、この地上から始めねばならないのだ」
 
友人フィル(フィリッパ)の言葉。
そんな言い方をして人に何と思われるか、というジェイムジーナおばさんに対して、
「まあ、人にどう思われるかなんて知りたくないわ。他人が私を見るように自分を見たくはないもの。そんなことをすれば、四六時中、気が休まらないわ」
自分軸ってことだなあ。
こういうところも好き。
 
ダイアナが一足先に結婚して母になる。
1人目は男の子だったので「アン」とは名付けられなかったのよね。
 
故郷の島から本土の大学に行ったのだけれど、本当は生まれたのは本土であり、
その自分の生家を訪ねるという場面もある。
ここも割と重要なのかもね。
自分はみなしごとして生きてきたけれども、生まれたときはちゃんとした家庭に生まれて愛されていたのだと実感すること。
 
いろんな重要なエピソードがたくさん入ってて、どれか1つがこの作品のハイライトっていうのはないかな?
あとは、著者自身の経験と重なる部分もあり、実在の人物のように、大学のモデルとなったのはこの大学であり、そのまちはこのまちであり、散策した墓地公園はここであり、というのが残ってる。
そんなところも、見に行ってみたいなあ。
 
最後の章のタイトルが、
「愛は砂時計を持ち上げる」
これもテニスンの詩からで、冒頭のエピグラフと呼応していて、時が止まっていたのが愛で時間が流れ出すみたいな、アンとギルがやっと相思相愛になるってことを示している。なんていうのもおしゃれだなあ。
 
余談では、
島の鉄道が1989年に廃止ってのを見て、
うちの故郷のローカル線も、JRになった次の年に廃止になったから大体同じだーと思った(笑)1年違い。
そこまで同じかっていう。
私、モンゴメリと生まれ年が100年違いなので、そのときの年齢がすごく分かりやすい。1911年、モンゴメリが結婚した年は、私にとっては311の年だったなあとかね。
 

百田尚樹「クラシックを読む1 愛・狂気・エロス」(2021)

2022年05月26日 | 
 
興味があって読んでみたの巻。
でも、本を読むよりも、曲を聴くほうが追いついてなくてまだ全部聴けてない。
昔クラシックの全集みたいのが家にあってよく聴いていたなあ。
今はyoutubeで手軽に聴けていいね。

いろんな曲のエピソードとか、その作曲家の人生や裏話を聞けるのは楽しいよね。
その話を踏まえて聴いても、私には、よく、分からないのだけど(笑)
読みながらゆっくり聴いてみたいなあと思った。まだ時間がないね。

カラヤンの指揮が最高なのは分かった。
いろんな曲で推薦されているから。

シエナ・カステロン「わたしはASD女子」(2018)

2022年05月18日 | 
 
副題;自閉スペクトラム症のみんなが輝くために

ツイッターで流れてきてて、興味を持って読んでみた本。
イギリス人の10代の女の子、ASD当事者が書いた本だって。すごい。1と2歳しか違わない2002年生まれ。
ここまで全て分かって書いてるんだったら、本当にすごいなって思う。特に、気持ちを言語化するのが難しいとされているのにちゃんと言語化してる。
うちの子の参考になるかなって思ったけど、全く状況が違う。
やっぱり男子と女子じゃ全く違う。
女子は、やはり、周りに合わせる能力が高いから、気づかれないことも多いみたい。
今の時代、いわゆる普通の女子であっても、生き抜くのが大変そうだと思ってるけど、こういう特性があったら、それも想像を絶するんだろうな。

だから、どちらかといえば、敏感さんで感情が顔に出ない私の参考になったくらい(笑)
例えば、着るものから、シャワーの水圧、シャンプーなんかも敏感な人には苦行でしかない。だから、少しでも心地いいものを選びましょう。そして、清潔にしていましょう。っていう。

欧米でもこんなんだったら、日本での学校生活はほんとに大変だな。
言っても配慮してくれないんだもん。
何なら、配慮=甘え、ずるい、みたいな思われ方もする。
前も言ったけど、メガネが必要な人からメガネを取り上げて、目が見えないのは甘えてるから、気合が足りないからって言ってるようなもん。車椅子が必要な人に歩けって言ってるようなもん。
そんな学校には行けないのが正常な反応だよ。

あとは、しょうがないんだろうけど、自分が人と違い過ぎててそう思っちゃうんだろうけど、
自分と定型の子っていう比べ方をしている。
でも、私だって多分いわゆる定型なんだろうが、人とは違うってずっと思って生きてきたもんね。
何を言いたいかっていうと、そういう、白か黒かってことではない、グレーが一番多かったりする。全てグラデーションであり、1人1人みんな違うということ。
ただ、そういう傾向にある人をカテゴリー分けは、まあ、できちゃうね。
うちの1もそうだったからね、カテゴリー分けできちゃうの。

あとは、この子、グレタちゃんにシンパシー感じちゃってるのが、何とも(笑)
グレタちゃんもASDなんだって。そうかもね。同年代で、気になるのだろうことは、理解する。

ニューロダイバーシティという活動をしているんだって。
これって、つまり、「みんなちがって みんないい」だね。
そういう社会になったらいいなは、それは私もそう思う。
だから、こういう少数派の方が声を上げることは大事。


中川淳一郎「バカざんまい」(2016)

2022年05月13日 | 
 
マスクは不要っていう記事を読んで以来フォローさせていただいている、有志メディア人の会の立ち上げ人でいらっしゃる中川さん。
の本を読んだことなかったなあと思って、読んでみた。

2016なので、ちょっと情報が古いのかなという感じ。
でも、却って、そこのあれから、今のコロナ騒動の煽りにつながるのかと、分かったりもしたね。
例えば、サッカーのW杯の開始前の「日本代表が絶対勝ちます」的煽り。確かに、あったなあー。それが今につながってる。

3食食べるとか、大手ビールをがぶ飲みなどは、まあ賛同しないけどね(笑)
あとは、女性には通じないとされる野球用語で例えられても分かってしまう野球おばさんですけど(笑)別に女性をバカにしてる、差別だ―とかは言いませんww
陸上用語が汎用性が高いのは確かに!

あまり大した感想はなかった(笑)
ふーんそうなんだねえーと思いながら楽しく読みました。


朝倉かすみ「にぎやかな落日」(2021)

2022年05月08日 | 
 
好きでよく読んでる朝倉かすみさんの最新? か分からないが、新しいやつ。やっと順番が来た。
朝倉かすみさんは、同じ北海道出身で、似たような幼少時代を過ごしてる。そういうところも好き。

80代のおばあちゃん「おもちさん」が主人公の日常。
多分、逆に難しいと思う、こういうテーマを作品にできちゃうところも、好き。
これが、読まさるんだワ。

認知症ではないんだけど、トシだからいろいろと思い出せないところとか、好きな飲み物の商品名が出てこないところとかも、すごくうまく表現されているなあと思った。
あとは、急に何十年も前の思い出が何の説明もなく挿入されたりするところもいい。
もう皆おもちさんに夢中ですよ。

出身地の方言が、とてもよく表現されていて、母が喋ってるみたいだなと思った(笑)
そうそう、懐かしい言い方! って思う。
そういうところも好き。
例えば?
・「○○っしょ」は有名だろうからいいか。
・「なんも」とかは方言とも思ってなかったな。今は内地に来て全く使わないから気づいたよね。何も問題はない、大丈夫ですよくらいの意味。「なんもだ」「なんもさ」「なんもなんも」
・「押ささる」に代表される「○○さる」。「食べらさる」とかもかな。自動的にそうなってしまうみたいな意味。
・「○○なんだワ」の「ワ」は、女性言葉のそれとは別物。男性も言う。
・「○○だもね」「○○なのサ」とかもね。

最後は、コロナ時代に突入したところまで描いて終わった。
このまま日常が続いていくのですね。

内容には関係ないけど思ったこと。
病院って怖いところだなあ。
医者が許可しなかったら退院できないんだもんなあ。
でもきっと勝手に退院したっていいんだよね?
これも義務じゃないもね?


本多孝好「真夜中の五分前side-A」「真夜中の五分前side-B」(2004)

2022年05月04日 | 
 
春馬さん映画の原作。
謎を含んだ内容だったので、謎が解けるかしらと思って読んでみたのでした。
A面とB面があるからおもしろそう。
もしかして、男性目線と女性目線みたいな?
って、それは「冷静と情熱のあいだ」ww

設定が、全く映画版と違う。
もちろん、映画は中国が舞台になって変わった部分もあるのだけど、別に時計屋さんで働いてない普通のサラリーマンだし、プールと双子くらいかな、同じ設定なのは。
あと映画ではさらっとしてた亡くなった彼女の話は結構重要だったのかもね。
タイトルも、原作を読んでやっと意味が分かったかな。
謎は謎のままだったけど、少しは、そういうことだったか! とかは分かった。

そして、読んでて、全く春馬さんが浮かばないわけだよ。
何というか、村上春樹っぽいイメージの会話などで。
公営プールで泳ぐとかも、春樹っぽいな、そういえば。
著者はハルキストですか?
だから、読んでてイメージするのは、村上春樹の「僕」からイメージするような感じの人であって、それは春馬さんじゃないんだよな。
逆に、よくこれであの映画になったなあと感心すらする。
ってどこから目線ww

でも、いつもの私だったら、映画を観てなくても映画化のキャストを知っただけで、その方々を思い浮かべながら読むよね。
でも今回はそれが全然なかったのよ。だからそれが意外だなーと思って。

また、主人公の期待どおりに周りの人が動いて、相手がいるのに自己完結するようなとこも春樹っぽいのかしらね。
現実はその人がつくっているということを、とてもよく表現しているなあと思う。
批判ではありません。
いい作品だと思う。
しかし、付き合った彼女が2人も死んでしまうなんて、よく考えると、なんてハードなんでしょうか。