(ANNE OF THE ISLAND)
松本侑子さんの全訳&詳し過ぎる注釈で、新鮮な気持ちでもう一度読めて嬉しいのである。
家のアン(1作目)から、村のアン(2作目)になって、今回の3作目は島のアン。
故郷の島から出て、本土の大学に進学したアンの大学4年間の物語。
ほかの島の同級生やギルバートも一緒に行く。
今回は、周りの友人が結婚したり、若くして亡くなる子もいたり、自分もようやくギルバートとの愛を成就させる。
最初のエピグラフ、最初の部分に詩の引用とかあるやつ、
そこからもうおしゃれ。
眠り姫のおとぎ話からの、テニスンの詩からの引用。
王子が現れて姫の眠りを覚ますことを暗示して、この作品でアンとギルバートが結ばれることを示しているとか。おしゃれだなあ。
「後より見つかる尊きものはすべて
それを探し求める者の前にあらわれる
なぜなら愛が運命とともにくり返し働きかけ
ヴェールを引くと、隠されていた価値があらわれるのだから」(テニスン)
この詩そのものも、いいね。
私がいつも思ってることを表現している。
作中人物の名前も、ちゃんと考えられているんだなあ。
例えば、アンが書いた物語の作中人物に名前をつけていいと言われてダイアナが考えた名前が大仰過ぎて、使いの子の名には似合わないだとかいうところなんかもいいね。
それ以外にも、アンたちの名前はもちろんのこと、
スコットランド、アイルランドのケルト系のキリスト教の流れからの、いろいろが根底にある。
聖書に出てくる聖人の英語読みだったり。
大学の友人のフィリッパは、苗字がゴードンで、スコットランドの名家の苗字で、お嬢様だってことを表現してるとか。
おっそいけど、3作目にしてやっと実感した。
これは大人の文学であると。
それを知れたことにも感謝。ありがとうございます。
いろんな引用から、この章はこういう内容ですよと暗示しているとか、
そういうことが普通に自然に分かったら、いいなあーと思う。
多分、同じ時代の読者しかそれはできなかったんだろうな。
意外とすごいなって思うのは、注釈の中に
「出典不明」ってのもあるということ。
調べに調べまくってさえ、出てこなかった文献もあるということ。
著者はどれだけ幅広く読書してそれを作品の中に入れているのだろうか?
大学生活では、一軒家を借りて女子学生4人で住む。
その辺のくだりも、うまくいきすぎて調子いいなって思うけど、憧れだなあ。
寮母さん的なジェイムジーナおばさんの存在がよい。
前も書いたけど(昨年久しぶりに読んだ村岡訳のとき)
悪魔が醜いって少女たちが言うのに対して、おばさんは、悪魔って実は見た目はハンサムかもよ、みたいなことを言う。そういうところがめちゃいい。
島から一緒に大学に来た同級生男子、チャーリー・スローンに先に求婚されるのであった。
そこで、もちろん断ると、嫌なことを言われ、それに対して腹を立ててしまった。
そのときのアンの感情が、こないだのクソババ2と重なる(笑)
「スローンごときと喧嘩するとは、しかも、チャーリー・スローンの言葉に、自分を怒らせる力がありうるとは、ああ、落ちぶれたものだ」
そうそう、そういうことよ(笑)
幼馴染の1人であった、ルビーとの別れ。
この辺も、必要なことだったのだと。
誰よりも美しくて周りにいつも男性がいたルビー。
でも、若くしてこの世を去らなくてはならない。死にたくないとアンにだけ本音を漏らした。
そこで悟る。
「天上の暮らしは、この地上から始めねばならないのだ」
友人フィル(フィリッパ)の言葉。
そんな言い方をして人に何と思われるか、というジェイムジーナおばさんに対して、
「まあ、人にどう思われるかなんて知りたくないわ。他人が私を見るように自分を見たくはないもの。そんなことをすれば、四六時中、気が休まらないわ」
自分軸ってことだなあ。
こういうところも好き。
ダイアナが一足先に結婚して母になる。
1人目は男の子だったので「アン」とは名付けられなかったのよね。
故郷の島から本土の大学に行ったのだけれど、本当は生まれたのは本土であり、
その自分の生家を訪ねるという場面もある。
ここも割と重要なのかもね。
自分はみなしごとして生きてきたけれども、生まれたときはちゃんとした家庭に生まれて愛されていたのだと実感すること。
いろんな重要なエピソードがたくさん入ってて、どれか1つがこの作品のハイライトっていうのはないかな?
あとは、著者自身の経験と重なる部分もあり、実在の人物のように、大学のモデルとなったのはこの大学であり、そのまちはこのまちであり、散策した墓地公園はここであり、というのが残ってる。
そんなところも、見に行ってみたいなあ。
最後の章のタイトルが、
「愛は砂時計を持ち上げる」
これもテニスンの詩からで、冒頭のエピグラフと呼応していて、時が止まっていたのが愛で時間が流れ出すみたいな、アンとギルがやっと相思相愛になるってことを示している。なんていうのもおしゃれだなあ。
余談では、
島の鉄道が1989年に廃止ってのを見て、
うちの故郷のローカル線も、JRになった次の年に廃止になったから大体同じだーと思った(笑)1年違い。
そこまで同じかっていう。
私、モンゴメリと生まれ年が100年違いなので、そのときの年齢がすごく分かりやすい。1911年、モンゴメリが結婚した年は、私にとっては311の年だったなあとかね。