*ウサギのお部屋*

日記・レビューなどなど。
最新日記は数日後に非公開にします。

「赤毛のアン」のお料理ブック

2008年01月30日 | 
『赤毛のアン』のお料理BOOK―プリンス・エドワード島から贈る四季の恵み
テリー神川,吉村 和敏
ブッキング

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料理・文;テリー神川

撮影  ;吉村和敏



もう返しちゃったので詳細はわかんないんだけど。

子供向けの本のコーナー、「のりもの」の隣が「おりょうり」なのね。

いっちゃんが電車のご本を探す間、何気に見てたら見つけた本。



このテリーさんは、日本からカナダに移り住んで、更には「アン」のふるさとである、プリンス・エドワード島に移った人なんだってー。

他に、「アンの生活事典」なんてのも出てて、もし見つけたら借りてみようかな♪



文字でしか知らない、当時のお料理が再現されていて、うわぁーこんなんなんだぁ!って思って楽しく見れたよ。

もちろん、「アン」シリーズだけじゃない、モンゴメリの色々な作品からのお料理が出てきて、食器やインテリアも当時のものを再現していて、想像がひろがる。

レシピも載ってたから、余裕があったら作れたかもしれないなぁ。今度挑戦してみようかな。



パラパラっと見るだけで、幸せになれる本。

香山リカ「知らずに他人を傷つける人たち」

2008年01月25日 | 
知らずに他人を傷つける人たち (ベスト新書)
香山 リカ
ベストセラーズ

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2007年

サブタイトル;

モラル・ハラスメントという「大人のいじめ」



香山リカさん(リカちゃん人形のフルネームをペンネームにしているという)この人はけっこう好き。

前に、「NANA」から読み解く恋愛心理学、みたいな本を書いてて、それも好きでなるほどなーと思いながら読んでた。

今回は、日本人の心理学者が書いた本なのもあって、日本の現状に沿った流れになっててとても読みやすい。



「邪悪」「良心がない」に続いて、これだよ。

モラハラ。

これも、例の、2chで読んでる嫁姑の確執やら、義実家関係で妻の味方をしない夫やら、の話で知った言葉。



「モラル・ハラスメント」という言葉=概念が日本に入ってきたのは1999年くらい。

その言葉を紹介した本が翻訳されたとき。

この言葉が入ってくるや、「もしかして、これもモラハラ?」って事例が後を絶たなくなった。

言葉が入ってくる=名前がつく前にも、そういったことはあったけど、名前がついたことによって、より広まったんだろう。



モラハラとはどんなもの?

職場や家庭でのいじめや嫌がらせ。

人が2人以上いれば、起こる可能性がある。

相手を心理的に支配し、服従させ、被害者は「自分が悪い」と思い込むようになる。



暴力やセクハラのように、見えないものだから、余計にやっかいなんだねー。



モラハラ夫の例;

高収入だったり、会社では評価されていたり、外ヅラはいい。

でも家では、妻の言うことを何も聞かない。意味のわからないところで不機嫌になる。妻の人格を否定するようなことを言う。

妻は、外では機嫌がいいし、ものわかりのいい人で通ってるんだから、自分が悪いから家では不機嫌なのかしら、と思うようになる。



妻が夫に仕えるべき、という日本の昔の美徳があるから、線引きも難しいし、なくすのも難しそうね。



人が2人以上いれば起こりうる、というのは、建前上、対等な関係が理想だとしても、現実には、自分の友達を見渡しても、周りの人を観察しても、「あいつより自分の方が上」「自分は負けてる」とか無意識であっても思っちゃってるでしょう。

気を遣いあえる関係なら、モラハラまで発展はしないだろうけど、ある状況で、加害者と被害者の歯車が合ってしまうと、それは起こる。

嫁いびりなんかは、その例に当てはまるのよね。



職場のモラハラについては、ここでは置いておくけど、今話題になってる「30代うつ」というのがあるんだって。これも一種のモラハラ。

いやー、これ、知り合いの知り合いに聞いた話にぴったり当てはまるわ。

ある会社に就職が決まって、働き出したとたんに、うつになって休職した。

その休んだ人の分も、他の社員がカバーしなければならない。

しかも、その人は、会社以外の場所では普通で、飲みに行ったり、パチンコしたり、って話が聞こえてくる。

「うつなんだからって理解したいとは思うけど、なんでこんなやつのために、自分が犠牲になって働かなきゃなんないんだ」

って残った社員の人は思った。

というお話。

なんか書いてて思ったけど、登校拒否の子供みたいだね。

学校行こうと思ったらおなかが痛くなる、とか。



被害者にならないために、という章より、加害者にならないために、という章のほうを熱心に読んでみた。

どんな人が加害者になるのか?

基本的に、自己中な人。

言わなくても察して欲しい人。

相手の気持ちがわからない人。

コミュニケーションスキルが低い人。



私、子供に対して加害者になるかもしれない。もうなってるかも。

いっちゃんは何も悪くないのに「ごめんなさい」って言ってくるときとか、罪悪感がある。

それでも、つい、こうしてほしいだろうに、ってのがわかってるのに、それをしないで、いちばん傷つく方法を取ってしまうことがある。

自分で自分が怖くなるよ。

自覚しているうちに、やめれるようになりたいよ。

なので、以下のリストを実践しようと思う。



・質問に答えない → 返事くらいはする(気をつけます)



・舌打ちをする → 絶対にやめる(やらない…と思うけど…)



・ため息をつく → 「なるほど」と言ってみる(これは使えそう)



・「そんなこともわからないのか」 → とか言ってるあなたはなんでもわかってるのか(やばいなー気をつけよう。子供なんだからわからないことばっかりで当たり前じゃん)



・「何度同じ事を言わせるんだ」 → それは前にも聞いたよ(「何回言ったらわかるの!」って母親はよく使うセリフだわー私もつい)



・「お前といると疲れる」 → 一緒にいる人の方が疲れてるよ(これはどうかしら)



・「世界はおまえを中心にまわってるんじゃないぞ」 → こういうこと言う人にかぎって自分がそうなんだっけ(これは言わないよなぁ)



・「言ってることがわからない」 → 「よくわからないから、説明してくれる?」(時々何言ってるかわからないときがあるからこれは実践していた)



・「誰のおかげで生活できると思ってるんだ」 → 現代では禁句です(まぁこれは、お父さんのおかげなのでねw)



・「お前なんか○○では絶対に通用しない」 → そんなことを言うヤツの方が通用しないよ(これはこれから気をつけたい)



・「いま忙しいんだよ」 → 「あとでゆっくり話を聞くよ」(やってみよう)



・「親の顔が見たい」 → 親の悪口は絶対ダメ(ってゆうか、私が親だわーw)



・「どうせ俺なんか…」 → 「俺もお前を見習ってみようと思うんだ」(これはないかな)





自分を見直すいいきっかけになれば、と思う。

それと、被害者には私はならないでしょうw

よく夫に心無いことを言われたり無関心なふるまいをされたりするけど、「私が悪いのかしら?」」なんて微塵も思わないから(笑)←それはそれでどうかと思うけど、とりあえず打たれ弱くはない。


東野圭吾「幻夜」

2008年01月22日 | 
幻夜 (集英社文庫 (ひ15-7))
東野 圭吾
集英社

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2004年



また借りてみた。

さっちゃんのオススメにしたがってみたよ♪



これは、「白夜行」のリメイク版だね。

昼間を歩けない、とか言ってるところなんかも。

ヒロインの名前も(雪穂・美冬)。

最後の感じも。

あの、見てないけど「白夜行」のドラマのHPを見たら、その理由は「愛」みたいなことが書いてあって、なんだか違和感を覚えたんだった。



そしたら、同じときに借りた本を先に読んだら

「良心をもたない人たち」

この、美冬というヒロインは、サイコパスの条件にぴったり当てはまるのさ。

雅也はその被害者で、サイコパスに利用され、人生を棒に振ったってゆう話なんだなぁ。



なんか、こう、気が滅入るわ。

不幸な人が幸せになれない、人を不幸にした人が成功している、こういうのは気が滅入るわ、まったく。



この人の作品、嫌いじゃないんだけど、読後感が良くない。

なんらかの感動をもらったんだから、悪くはないのよね。

でも、次はもっと明るいお話を読みたいな。

この人の明るいお話があったら教えてー。

スタウト「良心をもたない人たち・25人に1人という恐怖」

2008年01月22日 | 
良心をもたない人たち―25人に1人という恐怖
マーサ スタウト
草思社

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2003か2004年

原題「the sociopath next door」(隣のソシオパス)

マーサ・スタウト(アメリカの心理学者・精神科医)



本の中では、「ソシオパス」「サイコパス」などの言葉が=「良心をもたない人」という意味で使われている。どちらも、精神障害のひとつ。ここでは「サイコパス」を使う。



慣れるまで、少し、前に読んだ本「平気で嘘をつく人たち」の思想が混ざってて、ちょっとね。

書く人によって、微妙に視点が違うんだね。

たとえばアドルフ・ヒトラーなど、歴史上の同じ人をモデルにしていながら、「邪悪な人」、「サイコパス」と表現が違う。

そして、「邪悪な人」と「サイコパス」は違うんだ、ってこの本の著者は言う。



たぶんそれは、その微妙さ、成り立ちのわからなさ、自体が問題というか、まだまだ解明されていないものだから、なのかな。

それはそれ、として気にしないで読みすすめた。



サイコパス(良心をもたない人)の特徴



・一見、魅力的でカリスマ性がある

・嘘をついて人を操る

・空涙を流して同情を引く

・追い詰められると逆ギレする

・自分にしか関心がなく、退屈しやすい

・刺激を求めて「支配ゲーム」に走る

・人に依存したがる

・チームプレイがへた

・近視眼的で世間知らず



アメリカでは、25人に1人、4%の確率で存在するんだって。

いろいろと例が挙げられていたけど、ここまでの人は…いないだろうって思ったら、日本を含む東洋ではその率は低くなるんだって。それを聞いて、ちょっとほっとした。

ただし、今のように、アメリカの追随をやめない限り、少し遅れて数字があがってくるんだろうなって思う。心配。

日本には素晴らしい文化・道徳観があるのにさ。

(って、その伝統をきちんと実践していない私が言えることではないが…)



「サイコパス」の発生するしくみは、よくわかっていない。

遺伝的な要素が50%くらい、文化的環境的要素があとの半分、なのかな。

アメリカで高く、日本で低いことがそれを裏付けている。

しかし、なんにしても、そういう人は、絶対にいる。

一見わからないから見抜かれないのさね。



どんな風に育てたら、サイコパスにならないか、ってのは、あまりわからない。

でもやっぱり、抱っこして、存在を認めてあげることは大事ね。

でも…同じように育てたきょうだいなのに、全然違う(兄はサイコパス・妹は普通)っていう例もあり、怖いわ。



良心がないってどんなだろう。

感情がない、愛を感じることができないんだって。

想像もつかない。

きっと、虚しいんだろうなぁ。

幸せの本当の意味を知らないんだろうなぁ。



ほら、昔、カトリックの高校時代に習った、聖書の愛の箇所があるでしょ。

あれを今思い出した。

どんなに良いことをしても、その動機が愛でないなら、それは虚しいことだ、

みたいなやつね。

よく結婚式にも使われるやつね。

そういうことかぁ。と今一人合点したw



最後、「なぜ良心はよいものなのか」という章を読んで、感動した。

「サイコパス」の対極にあると言える、人一倍良心や道徳心が強い人たちのインタビューが紹介されていて。

映画「ロミオとジュリエット」

2008年01月18日 | 映画
ロミオとジュリエット

パラマウント ジャパン

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1968年 イギリス・イタリア

監督;フランコ・ゼフィレッリ

レナード・ホワイティング

オリビア・ハッセー



年末くらいにビデオにとっといたのを観た。

あの、レオ様のやつ(1996)は失笑って感じだったからなぁ。悲劇なのにコメディちっくでさ。ビデオされたのがあれじゃなくてよかったわ(笑)

調べてみたら、いっぱい映画化されているんだね。

全部は観たことないけど、これはなかなかいいんじゃないかなー。



主演のふたりはなかなかイメージに合ってた(私の中の)。

話の流れはわかってるけど、やっぱり最後は感動するのねー。



余談としては、ロミオのセリフに、「ロミオメール」を思い出してちょっとニヤっとしてしまったことかな(笑)

最近よく見る2chの「真の敵は配偶者」というサイトで、エネミー夫が、離婚されるとき、された後に、今まで虐げていた妻に送るメールのこと。

確かに、的確な命名だ(笑)

映画「コーラス」

2008年01月18日 | 映画
コーラス メモリアル・エディション

角川ヘラルド・ピクチャーズ

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2004年 フランス

http://www.kadokawa-pictures.co.jp/official/chorus/



監督;クリストフ・バラティエ

ジャン=バティスト・モニエ

ジェラール・ジュニョ

フランソワ・ベルレアン



何気にビデオとった映画。

最初の、オーケストラの指揮をしてるおじさんを見て、いっちゃんが「のだめ」と言ったのはおもしろかったな(笑)



その、おじさんの少年時代に話はさかのぼり…

不良少年ばっかりの寄宿学校に、ある先生がやってくる。

音楽を愛し、作曲もする先生。でも成功しなくて、そんなところの先生になったんだろう。

先生は、少年たちに歌を教え、やがて心を通わせていく。

みたいなお話。



主演の男の子は、実際の少年合唱団のソリストなんだって。

さすが、本物の歌声は違うな。

きれいな歌声に癒される作品。



お話としても、ちゃんとまとまっていて、楽しめた。

夏目漱石「三四郎」「それから」「門」

2008年01月17日 | 
三四郎 (新潮文庫)
夏目 漱石
新潮社

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それから (新潮文庫)
夏目 漱石
新潮社

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門 (新潮文庫)
夏目 漱石
新潮社

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漱石は好きで、同じ作品を何回も読んだり、読んだことない作品を探して読んだりする作家のひとり。



久しぶりに読んでみよう。

三部作を、一気に読む、という企画(自分の中で)

一気に、と思ってたけど、つい、図書館の本を先に読むから、なかなか進まなくて、やっと昨日読み終わったさ。

「三四郎」は何回も読んでるけど、2・3作目は1回しか読んでなかったのもあり。



「三四郎」

1908年



大学に入って最初の課題になった本。

切ない感じが好きで何度も読んでいる。

学生のときわからなかったことがどんどんわかってくる。



今回は「電車男」と平行して読んで、気づいた。

住人たちに後押しされなかったら、電車くんもこれと同じ結末になってた。

また主人公三四郎も同じような毒男w

(毒男=独身男性の意。使われる意味合いでは、彼女ができない・結婚できない男って感じ)

時代が変わっても変わらないんだなぁーっておもしろかった。



美禰子の「ストレイシープ」は、エルメス語録「カマかけてたんですよw」と同じじゃん!

みたいな(笑)

そこでぐいぐい行かないから、うまくいかなかったのねー。

これは毒男の典型的な話だったんだね。



うーん、やっぱり、なんか好きだな。

切ない感じが好き。



「それから」

1909年



今回はじめてちゃんと読んだ気がする。

「解説」によると、三四郎の「それから」ではなくて、美禰子の「それから」である。

なるほどー。

好きな男がいたのに、軽く考えて、他の男と結婚してしまったが、やっぱりその男が忘れられなかった、みたいな感じかな。



主人公と作者はもちろん別物なんだけど、語り手と主人公が密接な感じ?

とか言って、よくわからないww

よく、こんなにつっこみどころ満載の言い分をこしらえられるなーと。

30にもなって、毎月、親にお金をもらっているから生活できるだけなのに、自分はなぜ働かないのか?の論理はすごすぎる(笑)

そして、ちゃんと別の人物によってつっこまれているところを見ると、作者はちゃんとわかって書いているんだよね。



この頃は、「姦通罪」ってのがあったのよね。

人の妻を奪って結婚するような者に人権はない、みたいな時代。

もちろん、今までの親からの援助も打ち切られるだろう。そんなことも予想できないで、「好き」ってだけて突っ走る主人公、って、ただのバカ?

「明治の知識人の苦悩」とか書いてるけど、知識人も一枚はがしたらただの頭でっかちのバカってことを漱石は言いたかったんじゃないのかねぇ。言いすぎでしょうかねぇ。



余談としては、この間に、弟子の書いた作品(森田草平「煤煙」)を読んだから、さすが師匠!!って感じがしたなぁ。



「門」

1910年



毒男、バカ、に続いては…

なんて、こんな読み方したら怒られるか??(笑)



これはねぇ、まだよくわからない。

友達の妻を奪って結婚したという過去がある。んだけど、誰と結婚しても、同じような日常だったんじゃないかとも思うし…。っていうのも解説者の受け売りかもしれないしー(笑)



別に退屈なわけでもないが、特にドラマチックなことが起こるというわけでもない。

友達(妻の元夫)が現れてきたっていっても、実際に会ったわけじゃないし。

すべてが自分の頭の中で起こり、そんなんで中途半端に修行しようとしても、もちろん悟れるわけもなく…。

やっぱり、普通の人の普通の日常を描いた、みたいな理解でいいのかなぁ。

ちょっと、これ以上はわかんないや。



ただ、最後の文

妻が「春になってうれしい」と言い夫が「すぐに冬になるさ」と言う、

こういう夫婦のすれ違いみたいなのは、すごくよくわかるわ。



毒男、バカ、普通の人

ってまとめでいいのかなー(笑)

東野圭吾「秘密」

2008年01月16日 | 
秘密 (文春文庫)
東野 圭吾
文藝春秋

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1998年



読み始めてから気づいた。

これも、映画になってるねー広末のー。観てないけど。

妻と娘が事故に巻き込まれ、妻の方が亡くなったのだが、意識が戻った娘には、妻の魂が…。



深いね。

考えられる事態を、丁寧に順序良くすべて書き尽くしている感じがする。

ほとんど一気に読んでしまった。泣けたし、読み終わって、夢見ちゃったくらい心に残っている。



でも、まだ、彼の作品を、好きなのかどうかわからない。

前に読んだときも同じ風に思ったけど、なんだかかたい感じがする。文章が?流れが?よくわからないや。

これが好き嫌いの問題なのかもわからない。

韓国ドラマ「雪の女王」

2008年01月14日 | ドラマ
雪の女王 DVD-BOX1

アミューズソフトエンタテインメント

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2006年

全16話

http://snowqueen.hanryu.tv/



ヒョンビン

ソン・ユリ



「キム・サムスン」でうわーかっこいい!と思ったヒョンビンの作品だよー

おひげと長髪がちょっと嫌だったけど、それでもかっこいい(笑)



アンデルセンの童話をモチーフにしたラブストーリー。

少し前に、図書館でふと見つけて借りて読んだっけ。それがこれにつながるのかしら♪



難病をもつ女と、あることがきっかけで夢を捨てた男。

2人が出会って、生きる希望と、ふたたび夢を取り戻す物語。

これ、好き。

ラストの前で、もし、死んじゃったとしても好きだー!と思ったw



吹替え版って嫌なのに、それでもはまっちゃったさ。

字幕ノーカット版のDVDも気になる(笑)

ペック「平気でうそをつく人たち・虚偽と邪悪の心理学」

2008年01月13日 | 
平気でうそをつく人たち―虚偽と邪悪の心理学
M.スコット ペック
草思社

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1983年

M・スコット・ペック

森英明(訳)



2chで、義実家との確執・系の話を読んでいたら、この本が紹介されていて、借りてみた。

確かに、嫁いびりする姑って、マニュアルがあるかのように、みんな型にはまったように同じ行動をするよねー、って、膨大な書き込みを読んで、思うことではあった。



この著は、そういった、「邪悪」な人たちが、確かにいる、と認め、それは病気である、という見方を、新しく定義づけた、けっこう、いや、かなり画期的な本だと思う。

精神病のひとつの、人格障害の中に組み込まれるのではないか、という。なるほど、と思った。



科学者の文章は、論理的でいいね。

書き込みの、上手でない文章を、たくさん読んだ後には特に(笑)

心理学は、けっこう興味のある分野だった(もし入れたら心理学部・行動科学部に入りたかった。地元の大学でこの学部があるところはレベル高すぎて入れなかった)から、この分野の本を読むのはけっこう好きだ。

私もそんな風に書きたいものだけど、つい感情が出てきてしまうんだなぁ(笑)



ある人を「邪悪」、他の人を「邪悪でない」とする際の見極めは、もちろん、腫瘍などの病気のように、きっぱりしているものではない。

私たちは誰でも、「邪悪」になるかもしれないのだ。



簡単に言って、自己批判・良心・失敗から学ぶこと、これを忘れないことが大事だと思われる。

怠惰、つまり、何も考えないで、楽な方楽な方に流れて行こうとする人は、「邪悪」になりやすい。

世の中は悪で満ちている、と言った美輪さんの言葉も思い出される。



「邪悪」な人たちの特徴;

・どこにでもいる普通の人・むしろ、しっかりしている、という印象

・自分は絶対に悪くないと思い込んでいる→悪いことはすべて人のせいにする

・意志が強い

・いい人と思われるために、体面を取り繕うことに人並み以上の努力をする



著者は精神科医なので、いろんな患者さんを診てきて、たどりついたのが、この「邪悪」の考え。

もともと「悪」という考えは、科学にはなかった。それは宗教が考える領域、みたいな暗黙の了解があった。

そのため、「悪」についての解明が遅れている。

この本は、その解明をこれから始めよう!という提言でもある。



症例がいくつか紹介されていた。



たとえば、たとえばだよ、全てにあてはまることではないよ、子供がうつ状態などで診察に来る場合、真の患者は子供ではなく親である場合が多い。

子供のうつは、邪悪な親に対する、素直な反応だったりする。

でも、もちろん親はそれを認めるわけがないので、その親から遠ざけることがいちばんなのかな。

その後どうなったかわからない子供が多くて、本当に心配。



自分たちは悪くない、と主張する親の言い分を読んでると、本当に気分悪くなってくるよ。

言葉を巧みに操って、自分じゃない、子供が悪いんだ、と言い張るの。

そこには、「自分の育て方が間違ってたのかな…」という自己反省のかけらもない。

時には逆ギレ?みたいに攻撃的になる。「俺たちが悪いっていうのか!!」みたいな。

そういう人たちを相手にしなければならない精神科医の人たちって、すごいなぁ。



人には、誰にでも、おかしてはいけない領域がある。

それが、アイデンテティーとかプライバシーとか。

その境界から中に、ずかずか踏み込んでくる人たち、それが邪悪な人たち。

その境界があることが理解できない、それが邪悪な人たち。

親子の面から言えば、それは、親離れ・子離れできない人たち。親子の境界があいまいになっているの。

自分が寂しいからって、子供が自立しようとするのを邪魔したりとか。



子供は自分の物じゃないし、自分と違う人格を持った人間だし、自分の思いも寄らない気持ちを持つことだってある。

それがわからない、思いやれないって、親として危険なことだと思う。

どの人間関係よりも、親子ってのは密接なものだし、子供からしたら親は神のような存在。

その親が邪悪だとしたら…。



改めて、子供を育てることって、すごく大変な仕事なんだなぁ!と認識させられた。

幼いときには惜しみない愛情を与え、親子といえども子供のプライバシーを尊重し、親離れをして自立しようとするときには、喜んで孤独に耐え、自立させる。

本当に大仕事だ。

産むだけが親じゃないのだ。

今気づけただけでも、よかったよね?



んで、失敗例は、その辺にたくさんあるのだ。

ていうか、成功よりも失敗の方が多いような気がする。ここまで言ったら言い過ぎかなぁ。あんまりひどい例じゃなければ、その辺にあふれている話だと思うんだけど、違うかしら。



失敗が多いからこそ、姑との確執、マザコン夫、みたいなのはなくならないんだなぁ。

「なんでそんなのと結婚したのさ?」ってよく言われるけど、結婚するまでわからないのさね。

そういう人たちは、外面を取り繕うことがすべてだから、パッと見わかんないんだね。そんで、結婚したら豹変、と。



自分の子育てに間違いはない!って思い込むことはとても危険な考えだと思う。

自分が間違っていないなら、子供が勝手に悪くなったんだというんでしょう。

私はそうならないように、注意したいと思う。



余談だけど、少年Aの親の手記、みたいのも読んでみようかなぁ。

なんでもかんでも全部が親のせいってわけじゃないだろうけど、この本の考え方で見てみると何かヒントがあるのかもね。






集団の悪についても書いてあった。

ベトナム戦争の時のアメリカ軍による虐殺を例に。

もちろん、日本軍のそれもあるし、ナチス・ドイツのそれもある。



人は、集団になると、思考が退行する=幼くなる。幼い=残酷になるということ。

リーダー・またはリーダー的な人に全てをまかせて、自分は何も考えないから、幼くなるんだね。



戦争犯罪は、国の、政府の悪、それに気づかない国民の悪である。



集団の悪を防止する活動は、個人に向けられるべきである。

教育に、悪についてのカリキュラムを取り入れるべきだ、と著者は説く。

私もそうなればいいと思う。

ひとりひとりが立ち上がる力を忘れなければ、悪を滅ぼすことができる、と信じたい。



そのためには、常に、自問することである。

人のせいにしてないかな?

自分は絶対に悪くないって思ってないかな?

楽なほうに流されてないかな?



こういったことをきちんと子供に教えられるような人になりたい。





最後に。



これを読み始めて、ある人を思い浮かべた。

その人は、この「邪悪」の定義にぴったり当てはまった。

あぁ、そっかー!!って、すごくスッキリした。

でも、その人を「邪悪」だと決め付けることによって、自分が邪悪になっていないだろうか、と気になった。

私が「自分は悪くない!悪いのはその人!」って言ってるみたいにも思えるもんね。

そして、もしその人が、本当に邪悪な人だったと仮定して、そういった人にも愛をもって接しなければならない、と書いてあって、まだその域にはいけない自分を感じている。



それでも、そういう種類の人は実際にいるってわかったことで、世界を見る目が少し変わった。

やっぱりこれは画期的な本だと思う。

私の求めていた本だと思う。