1983年
M・スコット・ペック
森英明(訳)
2chで、義実家との確執・系の話を読んでいたら、この本が紹介されていて、借りてみた。
確かに、嫁いびりする姑って、マニュアルがあるかのように、みんな型にはまったように同じ行動をするよねー、って、膨大な書き込みを読んで、思うことではあった。
この著は、そういった、「邪悪」な人たちが、確かにいる、と認め、それは病気である、という見方を、新しく定義づけた、けっこう、いや、かなり画期的な本だと思う。
精神病のひとつの、人格障害の中に組み込まれるのではないか、という。なるほど、と思った。
科学者の文章は、論理的でいいね。
書き込みの、上手でない文章を、たくさん読んだ後には特に(笑)
心理学は、けっこう興味のある分野だった(もし入れたら心理学部・行動科学部に入りたかった。地元の大学でこの学部があるところはレベル高すぎて入れなかった)から、この分野の本を読むのはけっこう好きだ。
私もそんな風に書きたいものだけど、つい感情が出てきてしまうんだなぁ(笑)
ある人を「邪悪」、他の人を「邪悪でない」とする際の見極めは、もちろん、腫瘍などの病気のように、きっぱりしているものではない。
私たちは誰でも、「邪悪」になるかもしれないのだ。
簡単に言って、自己批判・良心・失敗から学ぶこと、これを忘れないことが大事だと思われる。
怠惰、つまり、何も考えないで、楽な方楽な方に流れて行こうとする人は、「邪悪」になりやすい。
世の中は悪で満ちている、と言った美輪さんの言葉も思い出される。
「邪悪」な人たちの特徴;
・どこにでもいる普通の人・むしろ、しっかりしている、という印象
・自分は絶対に悪くないと思い込んでいる→悪いことはすべて人のせいにする
・意志が強い
・いい人と思われるために、体面を取り繕うことに人並み以上の努力をする
著者は精神科医なので、いろんな患者さんを診てきて、たどりついたのが、この「邪悪」の考え。
もともと「悪」という考えは、科学にはなかった。それは宗教が考える領域、みたいな暗黙の了解があった。
そのため、「悪」についての解明が遅れている。
この本は、その解明をこれから始めよう!という提言でもある。
症例がいくつか紹介されていた。
たとえば、たとえばだよ、全てにあてはまることではないよ、子供がうつ状態などで診察に来る場合、真の患者は子供ではなく親である場合が多い。
子供のうつは、邪悪な親に対する、素直な反応だったりする。
でも、もちろん親はそれを認めるわけがないので、その親から遠ざけることがいちばんなのかな。
その後どうなったかわからない子供が多くて、本当に心配。
自分たちは悪くない、と主張する親の言い分を読んでると、本当に気分悪くなってくるよ。
言葉を巧みに操って、自分じゃない、子供が悪いんだ、と言い張るの。
そこには、「自分の育て方が間違ってたのかな…」という自己反省のかけらもない。
時には逆ギレ?みたいに攻撃的になる。「俺たちが悪いっていうのか!!」みたいな。
そういう人たちを相手にしなければならない精神科医の人たちって、すごいなぁ。
人には、誰にでも、おかしてはいけない領域がある。
それが、アイデンテティーとかプライバシーとか。
その境界から中に、ずかずか踏み込んでくる人たち、それが邪悪な人たち。
その境界があることが理解できない、それが邪悪な人たち。
親子の面から言えば、それは、親離れ・子離れできない人たち。親子の境界があいまいになっているの。
自分が寂しいからって、子供が自立しようとするのを邪魔したりとか。
子供は自分の物じゃないし、自分と違う人格を持った人間だし、自分の思いも寄らない気持ちを持つことだってある。
それがわからない、思いやれないって、親として危険なことだと思う。
どの人間関係よりも、親子ってのは密接なものだし、子供からしたら親は神のような存在。
その親が邪悪だとしたら…。
改めて、子供を育てることって、すごく大変な仕事なんだなぁ!と認識させられた。
幼いときには惜しみない愛情を与え、親子といえども子供のプライバシーを尊重し、親離れをして自立しようとするときには、喜んで孤独に耐え、自立させる。
本当に大仕事だ。
産むだけが親じゃないのだ。
今気づけただけでも、よかったよね?
んで、失敗例は、その辺にたくさんあるのだ。
ていうか、成功よりも失敗の方が多いような気がする。ここまで言ったら言い過ぎかなぁ。あんまりひどい例じゃなければ、その辺にあふれている話だと思うんだけど、違うかしら。
失敗が多いからこそ、姑との確執、マザコン夫、みたいなのはなくならないんだなぁ。
「なんでそんなのと結婚したのさ?」ってよく言われるけど、結婚するまでわからないのさね。
そういう人たちは、外面を取り繕うことがすべてだから、パッと見わかんないんだね。そんで、結婚したら豹変、と。
自分の子育てに間違いはない!って思い込むことはとても危険な考えだと思う。
自分が間違っていないなら、子供が勝手に悪くなったんだというんでしょう。
私はそうならないように、注意したいと思う。
余談だけど、少年Aの親の手記、みたいのも読んでみようかなぁ。
なんでもかんでも全部が親のせいってわけじゃないだろうけど、この本の考え方で見てみると何かヒントがあるのかもね。
集団の悪についても書いてあった。
ベトナム戦争の時のアメリカ軍による虐殺を例に。
もちろん、日本軍のそれもあるし、ナチス・ドイツのそれもある。
人は、集団になると、思考が退行する=幼くなる。幼い=残酷になるということ。
リーダー・またはリーダー的な人に全てをまかせて、自分は何も考えないから、幼くなるんだね。
戦争犯罪は、国の、政府の悪、それに気づかない国民の悪である。
集団の悪を防止する活動は、個人に向けられるべきである。
教育に、悪についてのカリキュラムを取り入れるべきだ、と著者は説く。
私もそうなればいいと思う。
ひとりひとりが立ち上がる力を忘れなければ、悪を滅ぼすことができる、と信じたい。
そのためには、常に、自問することである。
人のせいにしてないかな?
自分は絶対に悪くないって思ってないかな?
楽なほうに流されてないかな?
こういったことをきちんと子供に教えられるような人になりたい。
最後に。
これを読み始めて、ある人を思い浮かべた。
その人は、この「邪悪」の定義にぴったり当てはまった。
あぁ、そっかー!!って、すごくスッキリした。
でも、その人を「邪悪」だと決め付けることによって、自分が邪悪になっていないだろうか、と気になった。
私が「自分は悪くない!悪いのはその人!」って言ってるみたいにも思えるもんね。
そして、もしその人が、本当に邪悪な人だったと仮定して、そういった人にも愛をもって接しなければならない、と書いてあって、まだその域にはいけない自分を感じている。
それでも、そういう種類の人は実際にいるってわかったことで、世界を見る目が少し変わった。
やっぱりこれは画期的な本だと思う。
私の求めていた本だと思う。