*ウサギのお部屋*

日記・レビューなどなど。
最新日記は数日後に非公開にします。

映画「運転手の恋」

2006年10月25日 | 映画
運転手の恋

GPミュージアムソフト

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2000年・台湾映画



宮沢りえちゃんが出てるから、ちょっと見てみた。

今日の正午までだったから、昨日の夜見てみた。

感想ってほどのものは書けないやね。



かわいいなぁー

セリフが少なくても存在感がある。

でもまたちゃんと見てなかったや(笑)

セリフは吹き替えなのか?もよくわからずじまい(笑)



ひらがなの名前だと、勝手に漢字にされるんだよね。

最後のキャスト名んとこ、「宮澤理恵」になっていた。

映画「ラベンダー(薫衣草)」

2006年10月21日 | 映画
ラベンダー

キングレコード

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2000年・香港映画



ようちゃんと一緒に見に行ったっけなー

壁紙を、会社のパソコンにしてたっけなー

懐かしいね♪



恋人を亡くした女の子(ケリー・チャン)のもとに、天使(金城武)が落下してくる。

羽が治るまで同居することに。

最初は、亡くなった彼にいろいろ届けてもらおうとして、同居を許したんだけど、やがて二人は恋に落ちる。

でも、天国の門が開いて、天使は帰らなきゃならないのです。

みたいな。



ファンタジー?けっ!

甘っちょろいんだよ!

ってゆうのもないことはないけど、

金城くんの天使はかわいいし、ケリーちゃんはキレイだし、衣装も映像もキレイだし、見てるだけで幸せな気分になれるんだよね♪



夜の工事現場のブランコのシーンは、なんか好きだったな。

韓国ドラマ「明朗少女成功記」

2006年10月17日 | ドラマ
明朗少女成功記 DVD-BOX

ポニーキャニオン

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見終わってから書くまで時間あいちゃったな。



これも、軽く見れて、勧善懲悪で、格差社会で、ラブコメディな話。

主題歌が、チャゲアスの?「LOVESONG」のカバーで、聞き覚えのあるメロディ♪



女の子は可愛いのに、男はあんまりかっこいい人が少ない??

でも、かっこつけてたら、ときどきかっこよく見えるのが不思議(笑)



毎回、いろんな業界についてお勉強できるからおもしろい。

今回は、化粧品事業。

でも、ちょっと薄いというか、浅い感じだったけどねぇ。

途中、配信日がすぎて見れなかったけど、別にいっか(笑)って感じ。最後見れたし。

「星の王子さま」

2006年10月11日 | 
星の王子さま (新潮文庫)
サン=テグジュペリ
新潮社

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仙台帰ったら読むヒマないから、こっちで借りて読んじゃえー!



いっつも、いいとこを探そうとしながら本を読むんだけど…。



なんか、子供の心を失ったから??

あんまりおもしろくなかった!

ってゆうのが素直な感想。



大人はなんだとかかんだとか,理屈っぽいんじゃー!



それから、内輪受けじゃないのかい?

あの絵はどう見たって帽子だもん(笑)

それを、王子さまが一目で「ウワバミに食われた象」だって見破った、とか、ひどいよ。

安すぎる。



あの絵を「帽子」と言われたら心を閉ざす、なんて、まったくひどいね。

大人はどうだとか言ってるけど、結局、自分の非を認めないで、全部人のせいにして生きてるんじゃん。

「大人は」ってひとくくりにするのも安直で幼稚なな考え方。

そこがまず嫌い。



でもまぁ、子供の言うこと(子供の心を忘れない人の言うこと)だし…安直で幼稚でも当たり前か…と自答して、続きを読んでみる…。





「ぼく」はいけすかないけど「王子さま」には好感がもてる。

小さな星からやってきて、去っていくというのもいい。



有名な一節

ほんとうにたいせつなものは、目に見えないんだ

ってのもその通りだね。



でもやっぱ、全体としては

はいはい、私は子供の心をなくしちまったつまらない大人ですよ!

って感じですかね(笑)



だから、ミクシィの、「おすすめ」レビューには載せないでおく(笑)



作者は、これ以外にも、「童話」じゃない文献を残しているから、そうゆうの読んであげないと、ちゃんとした評価はできないと思う。

「アンネ・フランク最後の七ヶ月」

2006年10月10日 | 
アンネ・フランク最後の七ヵ月
ウィリー リントヴェル
徳間書店

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ウィリー・リントヴェル・編



アンネ・フランクと運命を共にし、生還した、6人の女性のインタビュー。

なんか、ドキュメンタリー映画を作るのに、証言してもらったものをまとめたものですって。



アンネともともと知り合いだった人もそうでない人もいる。

なんだか、印象としては、アンネのことなんかどうでもいいのに、ムリに聞いてるのかな?って感じ。

本当はアンネ以外の人についても話したいのに、自分のことをもっと話したいのに。みたいな。



それらのインタビューや、それ以前の調査でわかった、日記の後のアンネもいちおう紹介。

アウシュビッツから、ベルゲン=ベルゼン収容所へ移送されて、解放の数週間前にチフスで死亡。

姉が先に亡くなって、それで気力をなくしたのか、アンネも一日後に亡くなった。

「日記」にあるようなはつらつとした少女ではなく、おとなしく、耐え忍んでいる印象だった。

姉と2人でいつも寄り添っていた。



収容所での「アンネとの接触」に重きを置かれてるみたいだけど(わざとらしく付け加えられている、という印象を受けた)、それはそれとして、単にあの地獄を生き抜いた女性たちの生々しいインタビューであり、それだけでも価値があると思う。



アウシュビッツについては、前に書いたとおり。

でも、今度は、そこにいた女の人の立場から。



つねに「選別」され、ガス室へ送られるかもしれない、という言葉では表せない恐怖(常時、心臓をぎゅっとつかまれているような、という表現があった)があり、飢えで、病気で死ぬかもしれない、という恐怖なんかも、想像してもし足りないけど…。

女として許せないのはこれだね。



収容所に着いたとき、ちょうど生理中だった女性。(そこで生きていくうちに生理は来なくなる)

なのに、パンツも、ナプキンも取らなければならなかった。

ナチスの男たちの前で!



生理でなくても、単に「裸にされた」ってよく簡単に書いてあるけど、

18歳の処女が、たくさんの男が見てる前で、簡単にできることじゃないよね。



1人の女性の一部分を引用;



私はまた息苦しい嫌な驚きをも覚えています。それは、他の人間を絶滅したり、殺したり、死ぬほど苦しめたりするために人間は教育されたのであると経験から学んだとき、アウシュヴィッツで私を襲った驚きでした。

(略)それは偶然ではなく、ある体系として明らかになりました。

(略)私は、あらゆる人間たちに対する尊敬の念をもって教育されてきました。彼らが個人的な立居振舞において(略)です。もちろん人種とか血統によってではありません。

しかし、(略)この現実がすべてを駆逐し、普遍化されていくことに私は打ちのめされたのです。



「神よ、なぜこのようなことをお許しになるのですか」

の答えをまだ私たちはもらっていないのだ。

ウェブスターの「パッティ」シリーズ

2006年10月07日 | 
おちゃめなパッティ 大学へ行く (fukkan.com)
ジーン・ウェブスター,内田 庶,Jean Webster
ブッキング

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おちゃめなパッティ (fukkan.com)
ジーン ウェブスター
ブッキング

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「おちゃめなパッティ」JUST PATTY

「おちゃめなパッティ大学へ行く」WHEN PATTY WENT TO COLLEGE

ジーン・ウェブスター・著



↑といえば、「あしながおじさん」だけど、その著者の、復刊した、幻の名作!

ですって。

復刊ドットコムはいい仕事してるねー。

まさにグッジョブだねー。



図書館の、こどもの本の部屋で見つけた。

そっか、私が好きな、少女向けのご本は、児童書のとこにいっぱいあるんだ♪と確認した(笑)

子供向け、とされるものであっても、訳された文章が原書を要約、または編集したものでなければ、大人が読んでも価値があると思うのよね。



カレッジ編が処女作で、ハイスクール編が、そのあとに書かれたもの。

なんだね。

知らなかったから、年代順に読んだよ。



まず、

読みやすい。

雑誌によせた短編をあつめて書かれたものだから、一話完結でサクサク読める。

100年前に書かれたとは思えない、ユーモアに満ちていて、突飛ないたずらを考え付くパッティが活き活きと描かれる。



女子高・女子大育ちの私…。

こんな雰囲気だったら、楽しかったろうなって思う事件の数々。

ま、私だったら、もしパッティのようなのが実際にいたら、かかわらないようにしただろうなってゆうのが正直なところ(笑)

あ、でも、それは、日本の学校を思い浮かべるからであって、アメリカなら、そんなこともないんだろうな。



ここでは、「新入生」も、ただ遅く入学してきただけの「友達」であり、「上級生」も、ただ早くからいるだけの「友達」にすぎない。

学年関係なく、みんな仲良し。

そうゆうのはいいなぁ。



著者が、これを最初に書いて、続きに、大人になったパッティを書かなかったのが、なんとなくわかるような気がする。

学校の中でだけ、自由でいられて、卒業したら親にしばられ、いずれは夫にしばられる時代に生きた女性たち。

カレッジ編の最後の章を読んだとき、それが感じられたんだ。



全体として…

「恋愛」がないのが、私には物足りないけど(笑)

娘(仮)に読ませたいね♪

「フランス革命の女たち」

2006年10月07日 | 
フランス革命の女たち (とんぼの本)
池田 理代子,新潮社
新潮社

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池田理代子・文

↑言わずと知れた、「ベルばら」の作者。



「ベルばら」読んだだけでも、この人は、すっごい、歴史を勉強してるな!ってゆうのが伝わってきてたから、期待じゅうぶんで読んだよ♪

もちろん、期待を裏切らなかったよ♪



絵本、らしいけど、そのわりには文章も多いし、難しいねぇ。

でも、肖像画や写真がいっぱいで、見やすい。



やっぱ、ヨーロッパの歴史って、いろいろあるんだよねぇ。

複雑だわぁ。

(こないだの、ポーランドのやつもそうだけど)



しかし、ここでは、フランス国内・フランス革命について、だから、わりと知ってるんだよねぇ。「ベルばら」で!(笑)

「マリー・アントワネット」はいちばんお馴染み、とっつきやすかったので、最初に読んだ。



あとは、初めて聞く人が多かったかな。

マリー・アントワネットの娘;マリー・テレーズのその後も気になっていたので、知ることができてよかったわ。



「18世紀に生きた者でなければ、生きる歓びを知ったことにならない」

(タレーラン・ナポレオン政権の外相の言葉)



この時代は、まだ「女性は一生未成年のまま」

にもかかわらず、18世紀は女性が動かした世紀を言われている。



という観点から書かれた本。



やっぱ、女ってすげーよな!

どんなに権力でおさえつけられていても、女は女のやり方で歴史をつくっていくんだね。



たぶん、男は、女からほめられなかったら、何の価値もないと思うよ。

私が個人的に思うんじゃなくて、歴史がそう言ってるの。



フランス革命といえば…

王に搾取されてた民衆が立ち上がって、トリコロールに表される「自由・平等・博愛」を勝ち取った戦い

なんだけど…(もっと複雑だけどね)



その、「平等」の中に、女性の権利はいっこも入ってなかったんだってよ。

家事をほっぽって、政治に参加するような女は、ギロチンにかけるべきだ、だってさ。






いまの感覚で、女性である視点から見たら、たしかに「奇異」に見える。

でも、このころは、どうしようもなく、いやおうもなく、こんな考え方が染み付いてたんだもん。無理もなかったと思うよー。



余談だけど、男尊女卑の考え方の基本理念は、洋の東西を問わず同じなんだなぁ。と再認識した。

「アウシュヴィッツ博物館案内」

2006年10月04日 | 
アウシュヴィッツ博物館案内
中谷 剛
凱風社

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中谷剛・著



著者は、この博物館唯一の日本人ガイドである。

彼のように、普通の日本人が、なぜポーランドにひかれたのか。てゆう話も興味深いものだった。

やっぱり、縁があって、導かれて、そこへ行ったんだろうねぇ。



「あいのり」でさぁ、ポーランド通ってたちょっと前にやっててさぁ、私も行ってみたい!って思ってたんだよね。

行きたいけど行けない、私みたいのにピッタリのご本だよぉ。

実際に行くのとは全然違うんだろうけどさ。



博物館は、

アウシュビッツ1



アウシュビッツ2(ビルケナウ)

の一部。

それでも1から2に行くには、シャトルバスかタクシー、または徒歩で20分だって書いてある。

私は、勝手に想像してた感じだと、大きな学校程度…大学とか、そのくらいの敷地かなって思ってたんだぁ。

ずーっと、ずーっと広いのね。



全体は、3つの村にまたがる広大なものだった。

実際に行ったら、すごーいんだろうな。景色も、空気も。

いつか行ってみたい。ここと、アンネの隠れ家は行ってみたいね。



最初に。

忘れちゃいけないのは、日本だって、アメリカだって、戦争中は規模の違いこそあれ、同じことをやっていたんだってこと。例をあげたらキリがない。

今も…。



これを読んでくれてる人へ。

読んだらきっと、「ナチスめ!」「ドイツめ!」って思うだろうけど、それをまあ抜きにしてったらアレだけど、ただ、事実を知るって心構えで読んでくれたらなって思う。



紹介したい文章がたくさんあったので、引用しながら書いていきます。



あ、その前に、ポーランドという国について、なぜ「アウシュビッツ」や他の強制(絶滅)収容所がポーランドに多く建設されたのか、ということについて、簡単に。

私も詳しくは説明できないから、簡単に、そして、うろおぼえ(笑)



ポーランドは、昔から、その領地を他の国に取られたり、取り返して独立したりって感じだった。

ドイツとソ連の間に位置していて、第二次大戦が始まる前、ドイツとソ連で勝手にポーランドの領土を半分ずっこしようぜ、と秘密の約束を交わしていた。

ひどいねーなんでもアリだね!

で、ドイツがポーランドに侵攻することで、大戦が勃発。



アウシュビッツは、最初、ナチスに反抗する、ポーランドの政治犯を一時的に収容する施設だったの。

市街地から遠く、広大な敷地があって、世界の目も届きにくく、鉄道も通ってて、通信網もできあがっている場所だったから選ばれたらしい。

それが、どんどん拡大してって、「ユダヤ人」も連れてきてそこで絶滅させちまおうって話になったわけ。



「ユダヤ人」だけではなかったというのも私には新しい事実。

ほかには、「ジプシー」と呼ばれた人たちや、ソ連の捕虜など。



確かに「ユダヤ人」が大多数だったんだけどねぇ。

その陰で、見過ごされた人々もあわれでならない。

「戦争捕虜は保護する」って条約もあったのに、無視してほとんど抹殺さ。なんでもアリだねぇ。



引用しまーす



第1部

博物館について。



「(ドイツ人の)生徒たちがここへ見学にくる目的はなんですか?」

「まず、歴史の事実を知ること。それから、ここで学んだ教訓が、現在や将来のいろいろな問題を考え、解決するときに、一つの判断材料となってくれることを期待しています」



若者がここを訪れることは、本当に意義のあることだと思う。



ドイツが戦後、被害国との対話を積極的に続けてきたことは評価されるべきであろう。

(中略)日本はアジア諸国との歴史を真摯に見直してきただろうか。



日本をドイツにたとえると…

ナチスの継承者が、いまも政治してるのと同じだもんなぁ!

こうして書くと、ありえないことみたいでしょ。でも、実際、日本の政治はそうなんだもん。





西ドイツ大統領;ヴァイツゼッカーの言葉

「過去に目を閉ざす者は、結局のところ現在についても盲目となる。非人間的な行為を心に刻もうとしない者は、またそうした危険におちいりやすい」



まったくその通りだ。

アベ総理に聞かしてやりたいよ。



このような歴史を二度と繰り返してはいけないという、犠牲者たちの願いで残されたアウシュヴィッツは、この地の体験を自らの貴重な教訓ととらえる次世代の一人ひとりによって守られている。



第2部

は、博物館所蔵の写真がたくさん。

当時の写真がいっぱい。



中には、仕事をさせられていた収容者がかくれて撮った写真もある。

まさに命がけだよね。

どうやって、カメラやフィルムを調達したのか、もわかっていない。

空き缶に入れて、地中に埋めたのが後年発見された。

今も、探したらもっと見つかるんじゃないかって話だよ。



第3部

いよいよ博物館の中へ。

順路にそって、著者がいつもしているように順番に説明してくれる。

ここでは、また、引用しながらいきます。



収容者が強制労働に出かけるときに毎日通るアウシュヴィッツの正面入口の上には、皮肉な文字が掲げられています。有名な「ARBEIT MACHT FREI」(労働は自由への道)です。ところが彼らは、自由になるどころか(中略)死ぬまで働かされたのでした。



「有名な」ごめん知らなかった。

皮肉なのか、収容者に希望を持たせてこき使うためなのか。

おそらく両方だろうな。あとはカモフラージュとかね。



次。



クレマトリウム(=火葬場)という名の、ガス室と死体を焼く焼却炉(日本でも見られる葬式んときの焼き場の釜と同じような感じ)で構成された建物がある。

最終的には第5まで作られた。

ナチスは負けるってわかったときに、これに放火して、証拠隠滅をはかった。

でも、こんだけのことをしておいて、全部かくすことなんでできっこないのさ。



「選別」で労働力にならないと判断された人は、この建物に送られる。



「今からシャワーを浴びろ」と命令されて地下へ誘導された人々は、木製のハンガーと椅子が並べられた部屋で服を脱ぎます。通路には「消毒室へ」と書かれた看板が、ドイツ語だけでなく、連行されてきた人々の母語で表示されています。そしてここでは「自分の掛けた服が、後で戻ってきたときにわかるようにハンガーの番号を覚えておけ」と言われます。地下の中央には天井にシャワーの蛇口のようなものが取り付けられてありました。でも、そこからお湯が出ることはなく、ガスマスクをかぶったSS衛生兵がチクロンBを投下したのです。二十分足らずの間に、多いときで数百人が窒息死しました。小窓から死亡を確認し、ガスを換気装置で外部へ排出すると、ユダヤ民特命労働隊が入ってきて、死体を昇降機で一階へ運びます。そして犠牲者が身につけていた宝石類や金歯、女性の長い髪の毛など、使えそうなものはすべて抜き取り、剥ぎ取ったあと、死体は一階中央にあった焼却炉で焼かれました。



死体を処理するのも、同じ収容者。

でも、やらないって言えば殺されるんだから、やらなきゃしょうがないでしょ。



ナチスの現場の兵士たち、最初は怖かったかもしれないけど、そのうち、ゲームみたいにおもしろくなってきちゃったんだろうなって想像する。

小窓から見てるのとか、楽しかったに違いない。おもしろいように死んで行くんだもん。

そんな中にあっては、みんなおかしくなる、ってゆうのが想像できる、って言ってるだけだよ。



「チクロンB」というのはもともと殺虫剤だった。

それを作ってるドイツの会社から大量に買ってた。



宝石や金歯を持ってったのは知ってたけど、髪の毛は知らなかったよ。

髪の毛で織った布もあるのね。「チクロンB」の反応がでていたそうな。



強制収容所の「強制」という言葉は、なかなか理解しづらいことばです。労働収容所や捕虜収容所などもナチス・ドイツは作っていましたが、絶滅収容所と呼ばれた強制収容所の死亡率はそのなかでも極めて高いものでした。アウシュヴィッツから生還できた人は全体の10%程度にすぎません。



これが、「殺人工場」と呼ばれるゆえんなのね。



次、生体実験のこと。



不妊化実験

これ、ほんとイヤだわ。

それでも、ほとんどがそのあと殺されてるから、妊娠できなくなっても、生還した人はそれだけでありがたいのね。



双生児を使った実験(実験後、同時に殺して反応を見たり、内臓を調べたり)

子供を、実験に使うなんて…



あと、病気を発症させて薬がきくかどうかの実験。

ドイツの薬品会社が依頼してやっていた。女性収容者を「購入」して。

薬品会社から収容所あての文書



「150人の女性収容者が届き、状態はよかったが、実験中に死んでしまったので結果が出ていない。同数の女性収容者を同じ値段で再度、ご手配願いたい」



これ、読んだとき、「うわぁ…」って思った。



これらの医師たちに収容者の運命を哀れむ気持ちなどまったくなかったのです。



「うわぁ…」って言ったあとだけど、これには異を唱えたい。

きっと「やる」って言わなきゃ殺される場面で…国全体がそんな雰囲気になってる中で、さまざまな葛藤があったに違いないんだ。

でも、これも、始めちゃったら、どんどん「人間」の心を忘れてしまったに違いないんだ。

そんなような文書を読んだことがあるから。



純粋に、実験して、成果をあげれることは嬉しいし楽しいこと。

実験中に被験者が死んでしまっても何も言われない状況は、代わりはなんぼでもいる状況は、ありがたかっただろうね。



別に奨励してるわけじゃないよ。

その中にあっては、そうなっちゃうのさぁ。



妊娠がわかった女性収容者は、収容者病院でフェノール注射をうたれて殺されました。妊娠後期になっていた場合は医師の実験・研究材料として胎児が摘出されました。出産に至った場合は生まれたばかりの赤ん坊は毒殺されるか、水の入ったバケツの中で溺死させられました。



最後にこれ。

ここ打ちながら涙出てきたー。

母になってからここ読むと、やるせないね…。



***



またまとまらなかったけど、

読んでくれたみんなに、何か伝わることがあればいいなって思う。