観測にまつわる問題

政治ブログです。「保険」「相続」「国民年金」「AIロボット」「運輸エンタメ長時間労働」「GX」を考察予定。

日本自動車博物館

2018-11-28 06:55:03 | 日本地理観光
日本自動車博物館とは、国内最大級の石川県小松市にある自動車をテーマとした博物館。1978年(昭和53年)、石黒産業(富山県小矢部市・セメント販売業)社長の前田彰三(故人)が個人収集した自動車を元に開設。1995年(平成7年)に加賀温泉郷に程近い(日本自動車博物館 KAGA 旅・まちネット)石川県小松市に移設。加賀(石川県)と言いますと、加賀百万石の前田氏が想起されます。あるいは意識されたのではないでしょうか。前田彰三氏は自動車博物館の功績で2004年に日本自動車殿堂受賞

世界の自動車博物館と言えば、アメリカデトロイト、ディアボーンのヘンリー・フォード博物館(トリップアドバイザー)やドイツシュトゥットガルトのメルセデス・ベンツ博物館(トリップアドバイザー)だったりするようです(ドイツ4大自動車博物館(トリップアドバイザー)のひとつ。他にポルシェ博物館(シュトゥットガルト)・BMW博物館(ミュンヘン)・アウディ ミュージアム(インゴルシュタット))。他にイタリアフィアット本社があるトリノ自動車博物館(トリップアドバイザー)やフランス国立自動車博物館(JTB)も有名なようです。イギリスの自動車博物館はyahooニュースの辻野ヒロシ氏(モータースポーツ実況アナウンサー/ジャーナリスト)の記事参照(愛知県長久手市のトヨタ博物館や栃木県ツインリンクもてぎのホンダコレクションホールのアクセス面での難が指摘されてますが、日本のインバウンド政策は端緒に就いたばかりで、レンタカーがあまり意識されていないのかもしれません(レンタカーにおけるインバウンド対策(訪日コム)参照)。日本の自動車コレクションを世界の自動車マニアがより楽しめるようになれば(日本自動車博物館 当館について>「日本自動車博物館でしか見ることの出来ない貴重な車」も多数展示されている)、ブランド力もあがるでしょうし、地域の観光政策にも寄与すると思います)。

ちなみに変わったところで、日本自動車博物館には世界のトイレもあるようです(トリップアドバイザー)。これは石黒産業が住宅設備機器を取り扱っていることと関係しているのでしょう(会社概要)。トイレと言えばTOTO。TOTOと言えば北九州。北九州と言えばセメント。セメントとトイレに関係があるかは良く分かりません。

カテゴリーの新設

2018-11-28 06:54:31 | 日記
カテゴリー「日本史」と「世界史」を追加します。11月19日。

日本史では、世界史を視野に入れながら、日本人・日本文化・日本国・皇室を北海道・沖縄の歴史を絡めて考察していきます。※11月25日追記。

※日本地理観光を追加。当面予定のない世界史をいったん削除。11月28日追記。

富士山の由来の考察(フジは藤)と南部氏、日本の地名・人名考(甲斐河内の小地政学及び陸奥・伊勢の関係)

2018-11-28 05:45:01 | 日本史
山梨県南部町で何か面白い話はないかと、当地発祥の南部氏の歴史を簡単に纏めていた時に、やっぱり河内地方は富士川だなと思い、富士山の由来を独自に考察してみました。関係ないようで、筆者の調べでは微妙に関係があるとみました。由来はずばりフジ=藤で白藤かなと。以下、筆者のツイッターからの再録・微修正。

南部町と言えば奥州南部氏の発祥の地。甲斐源氏の加賀美遠光(甲斐国巨麻郡加賀美郷(山梨県南アルプス市))の三男光行が石橋山の戦いで源頼朝に与して戦功を挙げ、甲斐国南部牧を与えられ南部姓を称したと言います。光行の子波木井実長が日蓮を庇護し、身延山久遠寺が日蓮宗の拠点になったとか。南部氏は奥州北部の雄ですが、どうも南北朝時代に北畠顕家に従い下向した一族(南部氏 戦国大名研究)のようです。江戸時代の盛岡藩も著名(ただし、南部家第44代当主南部利英は先代の長女瑞子と結婚した養嗣子で後陽成天皇の男系子孫にあたるそうです)。

甲斐の河内地方には後に甲斐源氏武田氏一族の穴山氏が進出。駿河(静岡県)の今川氏に属したこともあったようです。甲斐河内地方は甲府盆地の勢力と深い関係を持ちながらも、富士川を通じて駿河や伊豆・関東とも関係が深かったようです。

さて、やはり富士山です(富士山の見える公園|観光|山梨県南部町ホームページ)。富士山の由来は諸説あるようですが、記録としては常陸国風土記の福慈岳が初出、不二山・不尽山とも書き、万葉集にも登場するようです。漢字は当て字でフジと呼ばれる山だったのでしょう。

何故フジか。地名の由来は不明の場合は多いですが、筆者は藤に由来するのではないかと推測します。というのも印象的な雪が垂れる山容が藤の花の垂れる様に近いような気がするからです。藤原氏は著名ですが、古来藤は日本固有の花として珍重されてきました。

白藤という品種(グーグル画像検索)の起源はさておき、白い藤と富士山の雪は似ているとも言えますし、白藤は案外古い時期に遡る可能性があります。

人名としての白藤は、第8代孝元天皇子孫の22代が白藤氏を名乗り、44代白藤惟村が南朝に加勢したとも言います(摂津国八部郡兵庫津北風家文書目録 archive.today)。摂津国には摂津源氏がいましたが、お隣河内源氏(甲斐源氏=武田氏は河内源氏で甲斐国河内地方の河内と河内国の関連性も示唆されます)も同族の清和源氏になります。また、シラフジ 【白藤】(日本姓氏語源辞典)によると、岩手・三重・石川の姓だとされます。だとすると、新姓ではなく南部氏関連の可能性も考えられなくもありません。加賀美氏(加賀の白山も加賀富士と言われ、山容が似ているとも言えましょう。甲州の加賀美氏も白山と富士山の関係性が考えられます。共に修験道の山です)と南部氏は同族で、伊勢(三重)の北畠氏と南部氏の関連性が深いようですから。偶然にしては出来すぎているような。

白藤の滝は北海道足寄町・静岡県藤枝市・三重県伊賀市・島根県邑南町にあって、やはり白藤に見えるから白藤の滝なのでしょう。百名山北アルプスの笠ヶ岳は同名の山が各地にあって笠を伏せたような山容だから笠ヶ岳です。雪が白いフジのように見えるからフジの山としておかしくありません。

地名としての白藤は他に熊本県上益城郡山都町白藤とか、群馬県勢多郡粕川村(現前橋市)膳字白藤の白藤古墳群とか、佐々木氏系図に近江國(滋賀県)白藤郷(地部/近江國 古事類苑)などがあるようです。どうも古来、地名や人名に藤がつくものが多いようです(フジ 広島工業大学)。

>フジは紫や白色の長い花房を垂らし、古代から愛でられています。
>この強い生命力からか、地名や人名に“藤”の字のつくものが多く

ですから、筆者はフジは素直に藤。紫の印象の藤もありますが、意外に白藤も古くからあったかもしれませんし、そうでなくとも垂れる姿=藤で山にかぶさる雪が白い藤の発想もそう飛躍したものではないような。

古い歴史に見る藤と言えば、古事記中つ巻応神天皇の伊豆志袁登売(いずしおとめ)(いずしは出石で兵庫県の但馬地方で出石乙女ですが、伊豆表記が気になります。南部町にも近い(氏祖南部光行が従った源頼朝拠点の)伊豆国は出石と関連性があってシが落ちた可能性も?兵庫県豊岡市出石町には伊豆という地名があるようです)の説話が挙げられるようです。藤のつく山名としては、藤無山があるようです(アメノヒボコと伊和大神の足跡 ひょうご歴史ステーション)。播磨国風土記のアメノヒボコは新羅の王子だという話ですが、藤が無いとは何やら意味深。但馬地方は日本海側です。以上は、樹木にまつわる物語: 日本の民話・伝説などを集めて(グーグルブックス 浅井治海 2007 フロンティア出版)を参考にしました。