この子の「かけがえのない・あなた」(この子らしさ)に出会いたい。
この子が、この子のままで、作り出される関係、
関係の中で生まれるお互いの理解、
そのことが可能になる環境。
子どもにどんな障害があっても、
この子が「向かう」希望(この子の人生)を大事にするために、
私にできること、私にはできないこと、私がしてはいけないこと。
この子にどんな障害があったとしても、
関係障害によって「この子らしさ」を消すことがないように。
この子のため?
それはもちろんだが、なにより私がこの子に、
「かけがえのないあなた」としてのこの子に出会いたい。
◆「障害の理解」と「その子らしさの理解」
「障害の理解」という言い方があります。
わたしたちが「障害」を理解しようとするとき、二つの道があります。
一つは、医学的に制限されている機能や能力をこの子らしさの中心と考えて、この子の将来のために、できるかぎりの修復や改善を与えること。
もう一つは、この子の関係性によってこの子らしさ(向かう・希望)を感じること。
幼い子どもは、その子の「能力」よりは、その子の「向かう」に興味を持ちます。
その子の視線が向かう先。
その子の興味が向かう先。
その子が伸ばしている手の先に、あるもの。
その子の笑顔の向こうにあるもの。
その子の泣き出しそうな顔の向こうにあるもの。
たとえ重度の認知の障害があっても、「かけがえのない・あなた」としての出会いや関係を作ることは可能であり、保育園や幼稚園、普通学級では、とくに子ども同士の関係で自然にみられることです。
子どもであることは、お互いを、「可能性」と、感じる生き物であることを含みます。
まだ「何者でもない」自分という存在。
自分の拠り所は、自分が愛されている実感。大切にされている実感。必要とされている実感。守られている実感。
それらは、子どもにとっての必需品なので、同級生である障害児と親とのかかわりの中に、その実感の見える子どももいます。
その子にとって、それが「見える」ことが、一番大事なことで、あとのことは背景に沈みます。ひらがなが書けないことも、ことばをしゃべらないことも、歩けないことも、「できない」ことの一つでしかありません。
大事なことは、「向かう」ことであり、「向かう」意思と気持ちと希望であり、そのために必要なのは、わたしがわたしであること。
いま、子どもだから「できない」ことがあることも、
いま、障害のために「できない」ことがあることも、
ぜんぶひっくるめて、大事にされているわたしがここにいる。
そんなふうに感じあえる出会いと子ども時代を、それこそがすべての子どもの一番のニーズだと私は思います。
でも、この国には、そういう「文化」がありませんでした。
(つづく)
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