ワニなつノート

こだわりの溶ける時間 2018 (その2)



こだわりの溶ける時間 2018 (その2)


《子どもが、初めての学校生活の感覚を探索し、受容する過程を
援助すること》




「45分座っていられるか」と心配される子どものことを話そう。

同じ言葉を使っていても、親と教員では心配の中身が違う。


教員の心配はこんな感じ。

――障害のある子は、落ち着きがなく、授業のじゃまになる。みんな(私)の迷惑になる。授業中はちゃんと座っていなきゃいけないルールを守れない、そもそもそのルールも分かってない。たとえ座っていても、授業を理解できていないだろう。その他いろいろ。


親はその予想を踏まえた上で、こんな感じになる。

――もしそういう状態になるとして、この子はみんなに(先生に)受入れられるだろうか。同じクラスの子どもとして大切にしてもらえるだろうか。この子は学校で学ぶことや友だちとの関わりを楽しめるだろうか。その他いろいろ。


だけど入学前によく聞かれるこの「心配」は、実際のところ1年生の1学期でほぼ落ち着いてしまう。

まれに3年生くらいまで「脱走」をくり返すつわものもいるが、それは数年に一人の才能だ。

毎年、これほど多くの親が心配するほどのことではない。


マンツーマンで「座らせる」のは簡単だが、それでは猿回しの芸と変わらない。

それが目的なら日光に行けばいい。

ただし「数年に一人」のつわものは、日光でも特支学級でも座らない。それが、私の経験的法則だ。


結局は、本人が、座らないことで何をしているか。
そこから何を学んで、座るようになるのか。
その過程に大切な学びがあるのだ。


私は、どの子も最終的には、「自己調整力」を持ち、主体的に行動できるようになることが大切であり、そのために、自分自身の内部感覚に触れ、自分の感情と行動をコントロールし、利用することを学ぶ必要があるのだと思う。

そして、それこそが、ふつう学級の「こだわりの溶ける時間」に起きている中身だった。


          ◇


「1年生なら誰もできて当たり前のこんな簡単なことが、どうしてできないのだろう」
「それが障害なのだから仕方ない…」

そんなふうに考えてはいけない。

それでは、子どもに対する信頼も敬意もないことになる。


たとえば、歯医者の診察台に身体を硬くしてじっと座らせられている子がいたら、そこから逃げ出そうとするのは自然なことと思えないだろうか。

あるいは、大人であっても、座禅の場で、45分動かず座っていなさいと言われたらどうだろう。

誰でもできるカンタンなことと言えるだろうか。


その子は、学校という「外の世界」でのルールを、まだ教えられていない状態だ。

学校という巨大な世界がどういうところであるか、どういう未来が広がるのか何も予測できない。

すべての情報が、一度に押し寄せる。

その世界での「危険と安全、不安と安心を、見分ける」基準もない不安な状態。

外の世界へ向かうための「内側からの活力」を持て余している状態。

つまり、「今ここにいる」自分を受容することに苦労しているのだ。


だから、私たちは、初めての学校で、戸惑い、困っている子がいると受け止めることからはじめよう。

そういう困難を抱えている子どもに必要なのは、あなたには自分の行動を決める力がある、もし不安や怖れを感じる時には、安全なところに逃げていいと伝えること。

言葉だけじゃなく、身体で、相手の行動を認めること。

そうして、子どもの信頼を得ることができて、安心してもらえて初めて、こちらの言葉が相手に届くだろう。


(つづく)
名前:
コメント:

※文字化け等の原因になりますので顔文字の投稿はお控えください。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

 

  • Xでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最新の画像もっと見る

最近の「こだわりの溶ける時間」カテゴリーもっと見る

最近の記事
バックナンバー
人気記事