「遊びに行ってくるね。行ってきまーす」
朝、そう言ってでかけた子が、日曜日、帰ってきませんでした。
一緒に暮らして一カ月余り、私が一番ケンカ?した子でした。
帰ってこない日も幾晩かあり、捜索願を出した夜もありました。
「学校もう無理、辞める」と言い出し、全部投げ出しかけていました。
このままでは遅かれ早かれ単位が取れなくなること、その後どうするのか、自分の人生なんだから自分で考えなきゃと、迫りました。
リビングの壁には彼女が蹴った穴があいています。
私はそこにピンクのガムテープで×をつけてふさぎました。
今月に入り、ようやく自分で自分と向き合いはじめたように見えました。
「やっぱり、高校続けたい。今度こそ、ちゃんと行く」
そう言ったのは、「明日で最後にする。友達にも話してくる」と登校した日の夜でした。
その言葉通り、先週は休まずに通いました。
「辞める」というから買わなかった電車の定期券も、また買ってあげなきゃと思った日の夜、彼女は帰ってきませんでした。
翌日、彼女から電話があり、「家」に戻っていると分かりました。
その翌日、児相から電話があり、家に帰ってやり直すことになりましたと報告がありました。
「いってらっしゃい」と送り出した子が、そのまま帰ってこない寂しさと、彼女がここで暮らしていた間、自分は何をしていたのかと混乱しました。
何もしてあげられなかったという後悔だけが迫ってきました。
そのとき、ふと、今月初めの誕生日のことを思い出しました。
一番、荒れていた時に、彼女の誕生日がきました。
この子はこれからどうするんだろう、どうしてあげることがこの子のためになるのかと、私自身も分からなくなっていて、正直「誕生日おめでとう」という心境ではありませんでした。
その日、私の娘が彼女に送ったプレゼントのなかに、「…生まれてきてくれてありがとう」という言葉がありました。
私は、娘に救われた思いがしました。
心が苛立つ日が続いているタイミングの誕生日、「生まれてきてくれてありがとう」という気持ちになれなかった自分の未熟さを思い知った気分でした。
彼女がいなくなって、私自身がその言葉を伝えることはできなくなりました。
言葉だけでなく、偶然ここで出会えて、偶然一緒に暮らすようになって、楽しかったねと、伝えることも、もうできないと思いました。ただ、娘がその言葉を彼女に贈ってくれていたことだけが救いのように思えました。
家族とちゃんと話しあうことができたなら、家族と暮らせるなら、それが一番いいことだと、自分に言い聞かせながら、でも、やっぱり「行ってきまーす」と出かけて行った子が、もう帰ってこない寂しさはどうすることもできませんでした。
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