1983年。
朝日新聞の記事。
私が22歳のとき(o|o)
□ □ □
《開かれた笑み》
水頭症のその子は、一生何の反応も見せないだろう、とみられていた。小児科学の専門家である東大医学部助手の石川憲彦さんが、主治医であった。彼の医師としての解釈が揺らぎ、カルテを書く椅子からころげ落ちそうになったのは、その子が2歳3カ月の時である。
生まれる前から、何らかの障害をかかえることが、確実視された。母(38)はたび重なる流産に加え、死産二回。やっと生まれた長女も、水頭症のため1歳1カ月で死んでいる。
その後の検査で両親に染色体異常が見つかった。専門医は妊娠を思いとどまるよう求めたが、母は、だれでもどんな子でもいい、もう一度自らの胸に赤ちゃんを抱きしめたい、と願った。難産を覚悟して、車で4時間もかかる東大病院での出産を決意した。
やがて出産へ。案の定、出産前のレントゲン撮影では、胎児の脳は異常に大きく映っていて、死んだ長女と同様の水頭症である可能性が高い、と判定された。その写真を見たベッドの母は、不安顔の産婦人科医にしばらくして「あら、この子、羊水の中でVサインしてるわ」と無邪気に叫んだ。
長男は羊水検査直後、正常出産より50日早く、仮死状態で生まれた。頭には、水がたまり始めていた。その水を取り除いたとしても、命を永らえさせることしかできなかった。手術を渋る医師たちを両親の熱意が動かした。小児科医、脳外科でスタッフが組まれ、生存のためのあらゆる努力がなされた。
生後まもなくから彼を診てきた石川さんに母は、しばしば便りを寄せている。いつも「前のおねえちゃんは1歳とちょっとで死にましたが、この子はもう1歳半になり、笑うようにもなりました。いま、子を持つ幸せをかみしめています」といった内容であった。
両親の底抜けの明るさは、むしろ石川さんの心を暗くした。笑い、と映っているのは専門家から見ると、明らかにけいれんである。両親が「外に出ると鳥や雲を追って喜ぶんです」ととらえたのは、実は水頭症特有の眼振(がんしん)であった。目が一点を見つめられないので、自然にぐるぐる動くのである。
リハビリの常識に反することも平気でした。マヒによるそっくり返りは直さなければならない、とされる。長男のその動作を両親は「伸びをするようになった」ととらえた。それを奨励し、喜ぶ両親に向かい「マヒが原因」とは宣告できなかった。
2歳3カ月となったその時、診察を終えた石川さんは、
「さあ、帰ろうね」と母に抱き上げられた彼を
なにげなくふり返った。はっとした。
彼のにこっとした顔は、とてもひきつったようには見えない。
思わずかけより、「もう一度やってみて」。
母がのぞき込むと、彼はまたにこっとした。
断じてけいれんではない、確かな笑いだった。
夫婦にとって、彼はまるで「いのちの川に浮かんで、流れてやってきた」宝物のようであった。反応がないとみられた彼の中で、なにが「私」を切り開いていったのか。
石川さんはいう。「親の愛情とか思い込み、なによりもあるのものを丸ごと受け入れていくことによって生まれた人と人との関係だ、としか思われません」
遠く北の空に筑波山が黒い雲のように浮かんで見えるほかは、際限なく平野が四方に広がっていた。小さな店を経営する一家を訪ねた。車いすに乗った彼に母が「石川先生のお友達よ」と紹介すると、白い歯を出して笑った。現在6歳になる。父はたたき上げの職人だ。母は笑顔のやさしい人である。その夫婦と話していて、石川さんの言葉を思い出した。
「最近、彼は発音もできるし、言葉も分かるようになった。
もし、彼が医師やリハビリ専門家の手にゆだねられていたら、
無反応が続いていただろう。
医学や治療というものはまだまだ分からないことが多すぎるのです。
それどころか、治療というものは部分だけをみて、
そこを強調して全体を切り捨ててきたのではなかったか。
一家の人たちと付き合うほどに、
人間のおおらかさに勇気づけられてしまうんです。
もう、私は彼ら一家に一生頭が上がんないんだなあ」
彼を切り開くのに、友達と近くの幼稚園に通ったのも大きかった。
今年(昭和58年)は地域の小学校に通うため、
渋る町教育委員会と交渉中だ。
口数の少ない父(43)は、穏やかな表情を崩さずぼそっという。
「障害があったって人間なんだよなあ。
どうして人が物みたいに扱われる世の中になっちまったんだろう」
にぎやかな6人家族だった。
祖母がかいがいしく台所でたち働き、
新しく家族に加わった兄姉が廊下をかけ抜けた。
父母が離散したある家庭から引き取った子どもたちである。
さわがしさがいつの間にかやみ、木枯らしがかたかたとガラスを鳴らす。
隣りの部屋をのぞくと、
姉と彼のかわいらしい二つの顔が一つのふとんに並んでいた。
よく見ると、姉の手は弟の髪の毛にやわらかく当てられていた。
□ □ □
「このお母さんに会いたいなー」と思いました。
「このお医者さんに会ってみたいなー」と思いました。
いま、計算すると、ちょうど大学を卒業した年です。
でもなー、東大の医学部なんて縁もゆかりもないし、
だいたい自分のような頭の悪い田舎者は、
近寄ってもいけない場所のように感じていたっけ(・。・;
そのころ、幼児教室で出会ったのが知ちゃんでした。
知ちゃんの主治医が石川先生だと知るのは、
ここから2年後の未来のことになります。
たっくんの家に行き、
たっくんと一緒にプールに遊びに行けるなどとは
夢にも思わなかったころの、新聞記事の切り抜きです。
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ishizaki
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