「就学猶予」と「高校受験」 (その2)
まだ小さく頼りない、そしてかわいく愛おしい子どもが、
目の前にいる。
予定よりずっと早く生まれてしまったこの子が、
小さく生まれてしまったことで、余分な苦しみを味わわないように、
障害と病気のため、他の子どもが体験しなくてすむ痛い思い、
入院や手術といった寂しい思いを、
いっぱいしてきたのだから、これ以上、
苦しい思いをしないように、守ってあげたいと願う。
その気持ちは、親として、とても自然な思いだと、私も思います。
でも、それは「親の思い」としてうなずけるものであっても、
子どもの思いに立ったときには、違う感情がわいてきます。
でも、その子どもの時間、子どもの立つ瀬をスルーしてしまうとき、
「猶予」は愛する子どものため、かわいい子どものため、
その親の思いが優先され、繰り返され、
本当は心のどこかで迷っていた気持ちを、
「これでいいんだ」と言い聞かすことで忘れていきます。
猶予という選択には、いくつかの迷いを誰でも持ちます。
でも、いったん猶予という決断をしてしまえば、
その後は、「いいこと」だけを見ようとします。
いまさら、気がかりを見つけても仕方ないのですから、
それは当然のことだと思います。
「1年だけ、たった1年だけなんだから。
しかも、1年遅らせるって言っても、
もともと予定日より半年も、早く生まれてしまったのだから、
それはこの子の責任じゃないんだから、
本当なら、次の学年の子どもたちと
同級生になるはずだったんだから。
入学の一年前から、親が子どもの障害のこと、
一番いい道を考えて、やってあげたことなんだから。
子どものためにこれもよかった、
こんないい面もあった。
そう思い続けるでしょう。
その9年、いや10年間の後、
今度は、子どもが自分から「高校に行きたい」と言ったとき、
親はどうするでしょう。
普通高校は絶対に無理だからと常識的な判断をし、
あきらめる選択でしょうか。
その選択も、親からすれば、「子どものため」でしょう。
親の判断の方が、障害のある子どもの夢やあこがれよりも、
現実的だからと。
「ずっと、この子のために、一番いい道を選んできたのだから。
今回の選択も間違いじゃない」
そう思ってしまいやすい気がします。
そうした落とし穴の始まりが、
「猶予」とか、「通級」という判断に含まれている気がします。
親自身が、自分の不安、自分の甘さ、
「子どもをどこか、ないがしろにしてしまっていたこと」
子どもの為といいながら、多くは、親自身の自分の不安や、
あきらめがなかったとは言えないと気がついた人は、言います。
「猶予は、しなくてもよかった…」
「何のために、あんなに悩んで猶予したのだったか」
「猶予をしてもしなくても、この子は、
いま、ここにいるこの子に、成長したと思う」
でも、そう言える人は、「16歳の中学3年生」の子どもが、
「高校に行きたい」という言葉に、ちゃんと耳を傾け、
険しい道を選んでしまった子どもに、
ちゃんと寄り添うことができます。
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