子どもの「理解」について 【メモ】
相手を理解するためには、
こちらの都合をいったん脇に置き、
相手の行動と言葉、何より相手の感情の動きに
耳を傾ける姿勢が必要です。
初めて出会う子どもを、理解したいと願うなら、
「学校のルール」や「集団に合わせること」を、
いったん脇に置いてみなければなりません。
こちらの要求をいったん脇に置いて、
「その子の時間」「その子の感情の動き」を
感じることが必要です。
他の子どもとの比較や効率・効果を考えること、
こうあって欲しいという自己主張は、
その後のことです。
なぜなら、こちらの要求(自己主張)に
「合わせることができるか」の「判定」は、
相手の理解とは言わないからです。
「教科書」に書かれている「障害児理解」は当てになりません。
そこに書かれているのは、「この子」のことではないのですから。
「この子」を理解しようとする姿勢がなければ、
「この子」との信頼関係が生まれることもありません。
よく理解されていることを感じた子どもは、
その相手に好意を抱くでしょう。
子どもが安心できる関係は、そこから始まります。
「理解」が正しいかどうかは、子どもが教えてくれます。
また、子どもの理解は、
学校に適応させるためでも、
人間関係をよくするためでもありません。
ひとりの子どもと出会うこと、
その子どもと理解しあえること、
それは、わたしたちの生きている喜びそのものです。
障害があるふつうの子どもであれ、
障害のないふつうの子でもであれ、
初めて出会う目の前の子どもを理解し、
子どもが理解されたことを感じ、
私たちを信頼してくれること、
それこそが、子どもと出会い、
一緒に生きていく喜びそのものです。
子どもが一枚の絵を書き上げて、
晴れ晴れとした顔で、「できたよ」と笑いかけてくれること。
その笑顔に出会うことの幸せは、
そうした安心しあえる関係のうえにあるものです。
「歩けたよ」「水に顔がつけられたよ」
「ひらがなが書けたよ」「逆上がりができたよ」
「たしざんができたよ」
そうした子どもの「できたぁ!」の瞬間が嬉しいのは、
子どもの「能力」があったからではありません。
その子どもが自分の楽しみをもっていること。
その子どもが自分の世界を持っている喜びと、
その自分を知ってもらえる喜びの、
その「相手」として、
私がその場に立ち会える喜びなのだと思います。
理解しあえることに喜びを感じる
人と人とのつながりのなかから、
「自分への自信」は生まれます。
そこで生まれた自分への自信は、
どんなピンチのときにも、
自分を支える自分になります。
その自分は、自分が出会った友だちと、
自分を信じてくれた人たちすべてが、
支えてくれる自分だからです。
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