就学相談会2015(3)
「分からない授業はかわいそう」という。
「自分だけ、できないのは、自己肯定感が傷つく」という。
だから、「分からない」子のため、「できない」子のために、「かわいそうじゃない学校」「自己肯定感が傷つかない学校」があるのだという。
それが「作り話」だということを、子どもたちは知ってる。
でも、子どもたちは「王様は裸だ」とは言わない。
「分からない授業」の時間が楽しくないのは事実だ。
すべて100点だった人以外は、みんな味わったことのある感情だ。
「失敗したときに、気持ちが傷つく」のも事実だ。
失敗したことのない人以外は、みんな味わったことのある感情だ。
だから、障害のあるかわいそうな子どもには、そんな感情を味わわせないようにと「分けて」あげるという。
本気でその作り話を信じている人がどれくらいいるだろう。
「見えない」障害があっても、勉強ができる優秀な子が普通学級にいることに、反対する人は少ない。
「聞こえない」障害があっても、勉強ができる優秀な子が普通学級にいることに、反対する人は少ない。
「歩けない」障害があっても、勉強ができる優秀な子が普通学級にいることに、反対する人は少ない。
つまり、子どもが子どもの仲間と生活する時間、成長する子どもの時間を過ごす学校という場所で、「見えない」「聞こえない」「歩けない」ことが、決定的な「かわいそうな子ども」とみなす「判断の基準」は持っていない。
勉強さえできれば、それを補えるという価値観があるから。
ところが、「知的障害」という障害の子どもだけには、多くの人が自信を持って、「みんなと一緒にいることがかわいそうな子ども」とみなす「判断の基準」を持っている。
そのみんなの「基準」を、「理解」できるから、「分からない授業」に自信を無くさせられる子どもが出てくるのだ。
そのみんなの「基準」を「理解」できるから、「自分だけ出来ない、自分の姿」に、自己肯定感をボロボロにされる子どもが出てくるのだ。
そう、話はまったく逆なのだ。
一人の子どもを、「かわいそうな生き物」にし、「自己肯定感」を奪い取っているのは、その子の障害ではなく、この社会の「知的障害」観であり、私たちの人間の価値「判断の基準」の歪みだ。
本当は、授業が分からないことが、一番の失望ではない。
授業が分からない、勉強ができない子どもが、「かわいそう」とみられ、バカにされ、疎外されることが不幸なのだ。
その子に、「分からないこと」「できないこと」「苦手なこと」があっても、そのことを受けとめてくれる大人と仲間がいて、できないことだけを見るのではなく、その子が参加できる授業という生活を大事にすれば、子どもは安心してそこで学ぶことができる。
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