1.《妖怪人間》
子どものころ、妖怪人間ベムは不思議なマンガだった。
絵もストーリーも好きじゃなかった。
でも気になって仕方なかった。
「早く人間になりたい」という言葉が、自分をつかまえて離さない。
そんな感じだった。
小学生のころだとおもうが、何年生だったろう?
その言葉が気になったのは、自分にもその「ことばのおもい」に近い思いがあったからだった。
たぶん「人間」を、「いい子」とか「いい人」という意味にとらえていたのだと、いまはおもう。
自分が「悪い子」だと言われ続け、保育園のころから廊下に立たされ、小学生になっても家でも学校でも怒られてばかり。
駄菓子屋で万引きしたり親のお金を盗んだり、おねしょも治らない。
早くちゃんとした人間にならないといけない。
それは分かっているけど、自分でもどうしていいか分からない。
このままだと、「ちゃんとした人間(大人)」にはなれないんじゃないかと思っていた。
良い大人、良い人、まっとうな人間。まっとうな生活、ふつうの生活が、自分にはできないと思っていた。
父親と同じ血が流れているから、自分も大人になったら酒を飲んで暴力をふるって母ちゃんや子どもを泣かして、しかもぜんぜん悪いとも思わない、覚えていない、忘れた、それですます人間になるんだと、思った。
自分の未来に、希望とか、明るさとか、微塵もないと思う夜がいくつもあった。
小学生から中学生にかけて、新聞かテレビで「酒乱の父親を息子が刺す」というニュースを見かけると、「いつか自分もそうしなければならない」とおもった。そのニュースを想像する自分を止められず、夜中に布団をかぶって泣いていた記憶が、今も何かのきっかけでよみがえる。「それが避けられない自分の未来」のように思っていたころがある。
◇
あのとき、私は「妖怪人間」だった。
まだ「人間になる前の何者か」、それが自分だと思った。
そういうまなざしに囲まれ、「はやくにんげんになりたい」と自分の中で誰かが叫んでいた。
何に向かって?
自分へのまなざし、言葉、態度、評価、悪い子である自分を取り囲み、閉じ込める檻。
◇
高校生になってそれほどバカなこともしなくなり、おねしょもしなくなり、彼女もできて、ふつうの高校生として、「子どものころ」は「もう昔」のこと、にできていた。
子どもの頃ほどの弱さはなくなり、腕力では父親に勝てるようにもなった。
いつしか、自分が妖怪人間の思いをもっていた時代を忘れていった。
◇
昔の記憶がよみがえったのは、障害児教育の本にあちこち書かれていた「人はヒトに生まれて人間になる」という言葉だった。どんなに重い障害児も、教育によって「人間になる」という言葉だった。
そういう言葉のある本や話は、体も心も受け付けなかった。
「あほか。人間の子どもは、生まれた時から人間に決まってるじゃん」
そう思っていた。
(つづく)
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