8才の子ども 50年後 (Z・4)
《忘れた記憶》
8才のときに、たった一日「分けられた」記憶。
たぶん私は、集団とか学校の暗黙のルールに慣れるのに、10歳くらいまでかかったということなのだと思う。
今まで付き合ってきた、多動とか自閉といわれる子どもたちも同じだったのだと分かる。
やっちゃんもゆうきもなっちもこうちゃんも、みんな同じだった。
その後、私は分けられることはなかった。
そして、私は8才の記憶を忘れていった。
《手続き記憶》
「手続き記憶」というものがある。
簡単に言うと、自転車の乗り方や泳ぎ方など、「身体が覚えている」もの。
「変な匂いや味がする食べ物を避けること。『情緒的に毒がある』と思われる人を避けることも含まれる」。
それは、意図的に思い出したり、言葉で説明することはできない記憶。
さて、「忘れていた記憶」を私に思い出させたのは、妹の行動だった。
ある日、母親が嬉しそうに、妹が先生に誉められた話をした。
6年生の妹が特殊学級の子どもたちに、修学旅行のおみやげを買ってきた、という話だった。
特殊学級の教室の掃除係りとして、顔見知りになった子どもたちに、おみやげを買ってきた。
ただそれだけのエピソード。
ところが、それを聞いた途端、私の中に「ずっと抑え込んできた」身体の記憶が湧き上がった。
それは、8歳のあの日から、無意識のうちに「特殊学級」と「特殊学級の子どもたち」に「近づかないように」「必死で遠ざかってきた」記憶だった。
「自分とは関係ない」と思い込むため、必死で遠ざけながら平静を装う日々を生きてきたことを思い出した。
誰も知らなかったこと。自分でも意識しないでやっていた回避行動。
ただ、一度気づいてしまうと、もう忘れることはできなかった。
妹は、ふつうにその子どもたちと出会うことができた。
それなのに、私は逃げ続けてきた。
自分は、何から逃げていたのか。
自分は、何から隠れようとしてきたのか。
自分は、何を怖れて生きているのか。
中3のその時に、こんな風に言葉で考えたのではなかった。
でも、「知りたい」「知らなければいけないことがある」という動機は、今も続いている。
それは、私の身体に染みついていた「怖れと恥」にかかわることだった。
こうして、あの時のエピソードが、私の人生の方向を定めたのだと、今は分かる。
あのエピソードがなかったら、私は「8才の子ども」を忘れたまま大人になっていたかもしれない。
康治にもたっくんにも朝子にもてっちゃんにも、誰にも出会っていなかっただろう。
そして、いまここには、「わたし」はいなかった。
(つづく)
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