ワニなつノート

Kさんへの手紙 2010 

Kさんへの手紙 2010 

Kさん。お久しぶりです。
ケイの弟が就学の年に年賀状を頂いてから…
…もう22年になります。

ケイが海沿いの工場で働いていると聞いたのも
もう5年も前のことです。
ケイももう34歳なんですね。どんな生活をしているのか、
私は残念ながら知らずにいます。
弟さんももう30近い年齢ですね。
兄弟ともに、Kさんの年齢を超えていくのですね。

ケイの弟の就学について何度も何度も話したこと、
年を経るごと私のなかで大切な宝物として
輝きは静かに増していきます。

あの頃、私は「普通がいいと思うよ」という
言葉しか持っていませんでした。
毎日の子どもとの生活を支えるなんの術も知恵も仲間も持たず、
Kさんの話にうなずくことしかできませんでした。

孤立無援の状況で普通学級の話が進まずにいるときに
電話をもらっても、具体的に役にたつこともできず、
それでもただ「でも普通学級がいいよ。いっしょがいいよ。
やっぱり普通がいいよ」と、
自分の思いを話すしかできませんでした。

私はまだ20代で交渉の経験も知識も少なく、
障害のある子を普通学級にいれるために
具体的な支えにはなれませんでした。
そんななかでの、「先生の声を聞くとなんか安心するわ。
もう少しがんばってみるから…」という言葉は、
いまもずっと、私の支えになっています。

あれから、Kさんと同じように、就学を前に揺れながら、
ただ「みんなと一緒の学校に通わせてあげたい」と望む、
何十人、何百人のお母さんたちに出会ってきました。

いまは、私も一人で親の話を聞くだけでなく、
学校の問題はどこにどう話せばいいのか、
どんな要望書を書けばいいのか、
少しは分かるようになりました。
何より、学校でも教育委員会でも、
親子と一緒に喜んで集まる仲間がいます。

‥‥周りの人たちの言うことや社会が当然のように迫ること、
それは自分が子どもと生きてきた思いとはすれ違う…。
この子はできないこともいっぱいあるけれど、
それは十分わかっているけれど…。
この子を受け持つ先生が大変なのも、
自分が投げ出したくなるほど大変だったことを思えば、
誰よりも私が一番よくわかっている。
でも、それでもこの子は私たちというふつうの家族のなかで
ふつうにここまで育ってきた。
だから、この先も、ふつうの学校で、ふつうに友だちのなかにいて、
そこでみんなと暮らしていくことができるんじゃないか‥。

そんなふうに確かな言葉で思い定まっているのでなくとも、
「ふつうは無理だと思うけど‥」
「ふつうじゃとても難しいとは思うけれど‥」と言いながら、
私たちの相談会に話を聞きにくるお母さんたちに出会いながら、
毎年Kさんのことを思い出しています。
三十年近く、そうしたお母さんたちとの出会いを重ねてきて、
私にも分かってきたことがあります。

それは難しい理屈ではなく、
親子で、兄弟で、家族で暮らしてきたこと、
いっしょにここに生きていることを
そのまま大事にして生きたいという思いでした。

だから、「あたりまえに地域の学校にいきましょう」と話すと、
「本当にそれでいいんですか?」という言葉が返ってきます。
そして「こういう話を初めて聞きました」と、
ほっとしたようにつぶやきます。
そんなとき、母親がどんな思いで子どもを
育て暮らしてきたのかを感じます。
それと同時に、家族が大切に育ててきた子どもを、
そのまま学校でも大事に育ててほしいという言葉を
口にしてもいいのだという喜びが伝わってきます。


Kさん、覚えていますか。
私が小学校を辞めた後、ケイを連れて両国まで
大相撲を見に行った帰り、一家そろって船橋駅まで
迎えにきてくれて、夕食をごちそうになりました。
あのときのKさんは本当に嬉しそうでした。
今になって、あのときの場面を思い出して、
あの日のKさんの嬉しさが、嬉しさの意味が
ようやく私にも感じられるような気がします。

「ただのひとりの子どもとしての私の子どもを訪ねてきて、
子どもの大好きな相撲につきあってくれる人がいる」ことの
親としての喜びを、あの時の私は表面的にしか
感じることができませんでした。

私が介助員として勤めていた情緒障害児学級に、
ケイは4月の途中くらいから通級してきたのでした。
詳しいことは分かりませんでしたが、
普通学級の方では大変だから‥ということでした。

校区外の障害児学級に週に1~2日、
一人でバスに乗って「通級」し、ちゃんと専門的な指導を受けて、
普通学級に慣れるようにしてもらえるはずが、
気がついたら一年で地域の学校に、自分のクラスに、
彼の居場所はなくなっていました。

あれほど、通級に「抵抗」していたケイも、
一年が過ぎ、自分の居心地のいい方、
自分がいることをじゃまにされない方、
自分がそこにいることでまわりの世界がみんな丸く収まる方を、
居心地のよさとして受け入れてしまいました。

小学校4年生のケイには、
それ以上抵抗する術も気持ちの支えもありませんでした。
ただ、そのことをお母さんも不本意ではあっても
仕方のないこと‥と同意したのだと私は思っていました。

そういえば、ケイ本人のことについては
あまり話したことはありませんでしたね。

その「通級」も「転校」も、実際はお母さんの思いとは
全く別のところで動かざるをえなかったことを聞いたのは、
弟さんの就学が迫ってきてからでした。

Kさんから、
「弟は普通学級に行かせたいと思うんだけど‥」
と聞いたとき、私は少し意外な気持ちがしました。

ケイは一人でバスに乗って通えていたし、
大相撲の幕内力士の名前や部屋名や出身地などを
ほとんど暗記していて、漢字で書けたりしていました。

ところが、弟は言葉も話さず、字も書かず、
ちょっと目を離すと忍者のように消えてしまう子どもでした。
どう見ても弟の方がちゃんと「障害児」と呼ばれる子どもでした。

上の子のときは、いろんなことを無理にやらせてきた。
やればできるからと、叩いて勉強させたり、
歯医者が嫌いで暴れて病院から逃げ出した後など、
どれだけ叩いたりしてしまったことか。
あるとき、ケイが泣きながら土下座して謝ったときに、
ふと自分はこの子に何をしてきたんだろうと思ったと、
電話の向こうで泣きながら話してくれました。

そのうちに弟が生まれ、「障害」が分かり、
5歳になってもことばもしゃべらないし、
できないこともいっぱいあるけど、
私はこの子はありのままでいいと
心から思えるようになったと、
そう話してくれましたね。

だから、この子は何ができなくてもいい、
普通のなかで、まわりの友達といっしょに過ごさせてあげたいと。


「だって、お兄ちゃんのときはだまされたから‥」

「だまされた」という言葉を聞いたのは、そんな時でした。

ケイが小学校4年生のときに「通級」しはじめた最初から、
それはお母さんの希望でも、子どもの希望でもなかったと、
そのときに初めて知りました。

お兄ちゃんは守ってあげられなかった。
だから、弟は、弟だけは最初から普通学級に入れて、
ずっとそこにいさせてあげたい。
でも、お兄ちゃんは特学に入れちゃってるから、難しいかな‥。

「だまされた」という言葉の意味を、私はKさんから教わりました。
それは、子どもに関わる人がみんな「いい人」で、
子どもの心配をしながら、子どものためと言いながら、
私も含めて、子どもに信頼されながら、
楽しい行事を共有しながら、
そうやって、少しずつ少しずつ、
「子どもの居場所」がなくなっていったあの一年間の日々を、
Kさんは「だまされた」と口にしたのでした。

誰かを恨むという「だまされ方」ではなく、
深く深く我が子にすまないという「だまされ方」をした
母親の哀しみを、ようやく私は感じられるようになりました。

「だまされた」というKさんの言葉に、
何十回も何百回も繰り返し耳を傾け続けて、
いまようやくKさんの子どもへの思いが
少しずつ聴こえてくるような気がしています。

‥‥この22年、空の向こうからずっと話しかけてくれた
Kさんのおかげだと、心から感謝しています。

そしてまた私は、Kさんが「だまされた」という相手について
ずっと誤解していました。
私はKさんが「だまされた」という相手は、
普通学級で彼をもてあましていた担任や、
特殊学級を勧めた教育委員会のことだと思ってきました。

けれど、こうして手紙を書きながら、
「だました」現実の側に私もいたことに気付きました。

Kさん、Kさんにそういうつもりがなかったことは
よくわかっています。
きっと今も、「そんなことないよ、さとうせんせー」って、
そう言ってくれるだろうと思います。

だからこそよけい、親の気持ちや、
子どもの気持ちを聴くこともできないまま、
子どもとつきあう仕事をすることの恐さを、
私は忘れないでいようと思います。

この世でたった一人の子どもを、
兄弟の一人一人がそれぞれに世界でただ一人の子どもである
親の気持ちを、その親の口にできない思いも含めて、
耳をすますことがどういうことなのか、
考え続けようと思います。

Kさん、今なら、今ならもう少し違う形で
Kさんを支えることができたかもしれないと、
このごろ、繰り返しそう思います。

障害をもつ二人の子どものことも他の家族のことも、
すべてを一人だけで抱えこまずに、すんだかもしれなかったのにと、
何度も何度もそう思います。

今年も就学相談会があります。
世間からは大変としか思われない「障害」を持った子どもを、
ただの一人の子どもとして大切に思っている
素敵なお母さんやお父さんたちに、きっとまた会えます。

Kさんがあきらめるしかなかった思い、
心から子どもと暮らしたかった生活のかたち、
学校の価値や世間の価値とは違う、
この子の親としていちばんに大事にしたい思いを、
少しでも伝えたいと思います。

また、ゆっくり手紙を書きますね。
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