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ワニなつノート

「分けられた子ども」と百年後の世界③

 
「先生も落第してきたの?」と聞かれ戸惑った。
《この子はここに来たくなかったのか》と気づき、それなら元のクラスに戻してあげようと「交流」をはじめた先生がいた。
大昔(60年前)のあまりに有名な場面を、「分けられた子ども」の側から(勝手に)翻訳してみた。
 
           □
 
新学期、新しい先生が赴任してくる。女の先生なんてめずらしいな。どんな先生だろう。
どうして特学の先生になったのかな。気になって聞いてみた。「先生も落第してきたの?」
 
・・・あれ、何も答えてくれない。恥ずかしいのかな。
話すのが苦手なのかな。でも悪い先生には見えないし。
そうだ、励ましてあげよう。
「大丈夫だよ。先生なら、がんばってもう一度試験を受ければ、ふつう学級に戻れるよ」
 
―――あれから、先生がやけに張り切ってる。
ふつう学級で授業を受けられるように、あちこちの先生に頼んでるらしい。
ふつうに戻れるって言ったのは、先生のことで、ぼくらのことじゃなかったのに。
 
そりゃぁ、はじめは分けられて嫌だったし、みんなと同じクラスにいたかったけど、でも、もうちがうんだよ。そうじゃないんだよ。
社会と体育だけ「こうりゅう」に行ってもなんだか落ち着かない。
 
先生もやさしいし、小学校みたいにバカにする子はいないけど。でもぼくはここの子じゃないし。
それはみんな知ってる。ぼくが落第してることも。
 
あんなこと、言わなきゃよかったな。
ここの先生やみんながやさしいのも、「ちがう子」って分かってるからなんだ。
一度分けられたら、同じ教室にいても「同じ子」にはなれないんだよ。
 
「そんなことない」って、先生はいうけど。でも、みんな分かってる。ぼくも。
勉強は分からなくても、それくらい分かる。そんなにばかじゃない。
 
―――文化祭が近づいて、先生がまた「ふつう学級」で一緒にやろうという。
行事は勉強じゃないから大丈夫って思っているのかな。
でも何をすればいいか分からないのは、授業より困る。
ぶつぶつ言ってたら、先生が言った。
「同じ学校の生徒なんだから一緒にやろうよ。みんなだって一緒がいいでしょ」
 
分かってないなぁ。
「一緒がよかった」のは本当だよ。
けど、それは「分けられる」前の話。もう遅いんだよ。
で、思わず言っちゃった。
「一緒がいいならなぜ分けた」
 
だって、ぼくはもう「分けられた子」になっちゃったんだから。
ほんとうに一緒がいいんなら、はじめから分けなきゃよかったんだよ。はじめから。
 
          □
 
「ふつう学級か支援学級か」 それを「選択」という人がいる。
 
私は「ふつう学級」が「いい教育」だからと「選んだ」ことはない。
 
地域にある義務教育の学校。
条件は6歳になった子ども。
 
だから、そのこと以外は「無条件」に、敬意をもって、「入学おめでとう」と言いたかっただけ。
 
(つづく)
 
 
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