ワニなつノート

「分けられた子ども」と百年後の世界②

【「分けられた子ども」とは誰か?】

 

昔、「分けられた子ども」は障害児だった。障害があると「就学猶予免除」で、義務教育(学校)から分けられた。

それは子どもの安全を脅かすことだった。だから「分けるな」と声をあげた。

すると「学校はあげよう」となった。義務教育から「分けられた」状態は回復した。

社会とのつながりは少しだけ回復した。

 

                                                           □

でも「同年代の子ども」「地域の学校」から「分けられる」状が残った。

それも子どもの安全を脅かすことだった。

だから「分けるな」と言い続けた。

 

でも「分けられる子ども」は増え続ける一方だ。支援や配慮が増えるほどに、「分ける」も増える。

「分ける」が増えると、子どもにとっての「安全なつながり」が減る。それは「危険」なことだ。

 

分けて守れるのは、「一時的」なこと。「分けられる」が続けば、それは「隔離された安全」にしかつながらない。

「支援・配慮」が「安全の合図」であっても、それが「分ける」とセットなら、それは「危険の合図」に変わるのだが、そう考える人は少ない。

むしろ「分ける」ことが「安全を守る」ことだと思われている。

 

          □

どうしてだろう?

たぶん、「分けられること」の理解が違うのかもしれない。

そこで改めて考えてみる。

 

「分けられた子ども」とは誰か?

すると、「一緒がいいならなぜ分けた」という言葉が聞こえた。

 

「一緒がいいならなぜ分けた?!」

その中学生の問いにちゃんと答えてみたい。

(つづく)

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