ワニなつノート

子どもの思いに寄り添い貫く「勧告」

 

1《小学校に入れてもらえない子ども》

 

《通常学校が障害のある児童生徒に対して拒否することができないよう「受入れ拒否禁止」の条項および方針を整備すること》。

 

国連の改善勧告(教育)で、最も大切なのはこれだと思う。

理由は、小学校から「受入れ拒否」されている子どもが、2022年の今この日本にいる、から。

 

40年以上前、私の友人も小学校に入れてもらえなかった。彼が学校に入れてもらえず、自主登校を続けた5年の間、全国では多くの障害児が普通学級に入り続けた。地域の学校から小学生が拒否されることなど、絶対にあってはならない。その後、彼は高校進学の道を切り拓き、亡くなるまで後輩の子どもたちを守るために闘った。彼の名前を金井康治という。千葉の会も彼の思いの延長にある。

 

この30年余り、千葉では普通学級の入学はもちろん、特殊学級からの転籍も、養護学校からの転校も実現してきた。「差別解消法」も「差別禁止条約」もなかったけれど、それを可能にしたのは、彼の5年間の闘いだった。おかげで、県教委との間で「本人と保護者の意思に反して、就学通知を出すことはしない」という確認もできた。そこには「教育は子どものためにあるのだから、本人の意欲と希望を無視しては成り立たない」という思いがあった。

 

 

2《勧告を薄める言説》

 

彼が亡くなって23年が経つが、この国には今も小学校に入れない子どもがいて、彼と同じように「自主登校」(3年目)をしている。しかもやまゆり園事件のあった相模原市の小学校で。

それを踏まえての、国連の改善勧告だ。

《通常学校が障害のある児童生徒に対して拒否することができないよう「受入れ拒否禁止」!!》

 

その主旨は《子どもの思いに寄り添い貫く》ことだ。

 

 

しかし、日本の療育や医療の専門家の中には、その中身を薄める言説を繰り返す人もいる。彼らは、「真のインクルーシブ教育とは何か?」という問いを立て、「何の工夫もなく『一緒にいる』ことはインクルーシブ教育ではない」という。

 

曰く。「共に過ごすことだけが重要視され、一人ひとりの学びへのアクセスを保障するための工夫や支援が何もない状態では、クラスの一員というより、《お客様状態》となってしまう。」

 

「通常の学級で何の工夫や配慮もされていない状態は投げ捨て(ダンピング)という」

 

「受入れ体制が整っていないところでは、インクルーシブ教育はできない」

 

だが、これらの言説は、改善勧告の主旨に明確に反している。

国連の障害者権利委員会が、「受入れ拒否禁止」の勧告を求めた理由は、次の「懸念」による。

 

【(b)受入れの体制が整っていないと想定されることおよび実際に整っていないことを理由として 通常学校への障害児の受入れが拒否されていること。】

 

「受入れ体制が整っていないところでは、インクルーシブ教育はできない」。

その考え方がまさに「懸念」であり、インクルーシブ教育が進まない理由だった。

 

 

3《ついていけるか? いるだけでいいのか?》

 

そもそも、「共に過ごすことのみ重要視」、そんな親が今まで、どこに、どれだけいただろう? 

 

「いるだけでいいのか?」と脅され、「いるだけでいい」と開き直るしかなかった親なら、数えきれないほど知っている。

 

そうやって開き直る以外、子どもの居場所を守ることができない時代があった。

 

 

35年前、私は情緒障害児学級で4年生のKに出会った。週に2日、他校から通級してきた。今なら「個別の学びのアクセスを保障するための支援」とか言われるのだろう。彼は通級に納得していなかった。その証拠に、情緒学級の名前を絶対に書こうとはせず、いつも「4年1組」と書いた。

 

しかし抵抗の甲斐なく、一年後には元の学級の居場所はなくなっていた。一年かけて「つながり」を切られ、転校させられた。

 

「いるだけ」がどれほどかけがえのないことか。「分けられた」ことのない人には、分からない。

 

 

私は学校を辞めた後、Kの家を訪ねた。本人も親も「通級」を希望したことはないという。私が聞いていた話とは違っていた。

 

それから数年後、「弟」の就学について相談されたときに初めて、母親の本当の思いを聞いた。

「お兄ちゃんの時はだまされたから」。

「弟はお兄ちゃんより障害が重くてまだしゃべらないけど、ふつう学級に行かせてあげたい」。

 

「学びへのアクセスを保障するための工夫や支援」よりも、子どもが地域の学校で「共に過ごすこと」を大切に願う親たちがいる。

 

今まで、「何の工夫も、配慮もしない」学校や教育委員会を変えてきたのは、法律や条約ではなかった。そこには、子どもがみんなの中に「いること」「ただ安全にいること」だけを必死で願った親子の思いがあった。

 

 

《いるだけでいい》

 

親と子に、「ついていく」も「いけない」もない。

きょうだいにも、子どもたちの出会いにも、ない。

「つながり」に、「ついていく」も「いけない」もない。

「あなただけ、ここにいてはいけない」とは絶対に言わない。

 

無条件の安全は、「いるだけ」のつながりのなかにある。

学ぶべき子どもとしてでなく。変わるべき子どもとしてでなく。

私たちが求めたのは、「いるだけでいい」と子どもが感じてくれる安全だった。

 

 

「ついていけないなら、一緒にいる意味がない」?

「条件が整えば、あなたが一緒にいてもいい」?

「ついていけるか」という怖れは、大人が設定する条件からはじまる。

 

「いるだけでいいのか」と言う教師に、期待はない。

「ただ、よけないことはしないで」

「子どものつながりをじゃましないで」。

それが「いるだけでいい」の真意だった。

 

言葉にならない怖れや叫びも、子どもの声であり、ことばだった。

ふいに子どもに抱き着かれた瞬間や、振り向いて笑ってくれる子どもの表情。

言葉より確かな声は、子ども時代の主要な言語である「あそび」のなかにあった。

 

教師が設定した課題がないからこそ生まれるつながりがあった。

目を合わせること、声をかけること、笑いあうこと、隣の子が手をつないで授業を受けること、すべてがことばであり、まなびであり、つながりだった。

 

学ぶべき子どもとしてでなく。変わるべき子どもとしてでなく。今ここに「いること」のかけがえのなさを忘れない。

 

「いるだけでいいのか」と言われれば、昔も今も、私はこう答える。

子どもが安全と自由を感じられるならそれで十分だ。

あとは、子ども同士のつながりの安全をもとに、自由に、豊かに、子ども自身が学んでいく。

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