ワニなつノート

普通学級の配慮の専門性(002)

普通学級の配慮の専門性(002)


《普通学級の配慮の専門性と、0点でも高校へ》



いわゆる知的障害のある子どもたちは、学校のテストでは0点ばかりということがあります。
通知表もオール1やオール△、またはオール「がんばりましょう」がほとんどです。
中には、1の評価以下だとして「斜線」の通知表を渡されることもあります。

「分からない授業はかわいそう」と言われたり、「幼児が大学の講義を受けるようなもの」と言われたりもします。
「言葉も通じない世界で、ただがまんして、一日座らされているだけ」と見る人もいます。


でも、その子どもたちが中3になると、「高校に行く」と言います。

苦手なはずの勉強をがんばるといいます。
苦手なはずの、初めての場所、初めての先生、静かに座って受ける1時間の試験。緊張する面接。試験だけの一日。
障害のある子どもにとって、もっとも苦手なことを強いる入試を、すべての子どもたちががんばりとおします。親や担任の予想をはるかに超えて、試験を成し遂げます。
不合格になっても、もう一回がんばる、と言います。
2度も3度も、苦手な試験を受け切ります。
親も担任も見たことのない、意欲と希望と忍耐力と集中力を出し切ります。

そして、高校入学できれば、小学校より中学校より難しい高校の授業を受けに、毎日学校に行きます。
ほとんどの子が一日も休まずに3年間、4年間、通います。


そうして、大人になって後、「一番楽しかったのはどこか?」と尋ねると、ほとんどの人が、「高校」と答えます。

「分からない授業はかわいそう」は、どこにあったのでしょうか。

授業が理解できないことが苦痛なだけなら、小学校より、中学校より、高校の授業の方が、難しくて理解できないことが多いのは間違いありません。

でも、「高校は楽しかったです」と言います。
「あと100年高校に行きたかったです」という言葉を聞いたこともあります。

何より、高校に入学した子どもたちは自信にあふれています。
高校を卒業した子どもたちは自信にあふれています。

子どもたちの自信と誇りと希望を育んだものが何であったのか。
それが分かれば、普通学級の配慮の専門性とは何かが分かるはずです。

0点でも高校へという運動が始まって28年になります。
千葉では、会から受験した子どもたちが99人、高校に合格しています。

今年の前期試験で二人が合格しました。
後期試験の発表は、あさってです。

点数を取れないという「障害」を持ちながら、高校という希望に向かう子どもたちのひたむきな姿を、私は見てきました。

小学校や中学校が、最高の環境でした、などということはありませんでした。
「普通学級に入ってもいいんですか?」というところから始まる人もいます。
入学を拒否されたり、考え直すように迫られることから始まることがほとんどです。
学校に特別の暖かい配慮や、やさしい先生がたくさんいたわけではありません。
やさしい先生もいますが、そうでない先生も山ほどいます。
配慮が行き届いた経験もあれば、放っておかれることもあります。

それでも、ただひとつ共通しているのは、分けないできたことです。

普通学級の配慮の専門性を考える時の一番の基本は、分けないこと、です。

高校へと向かう意欲と希望を育てたもの。
子どもが自分に自信を持って生きる力を育てたもの。
子どもを豊かにしたものが、何か。

それが「分けないこと」であるなら、そのための工夫・配慮こそが、「普通学級の配慮の専門性の中身」になります。

コメント一覧

yo
「母」さんと「ハハ」さん。
コメント、ありがとうございます。

高校受験の現実の厳しさ。

会の子どもたちは、前期試験で10人中、8人が不合格。
うち、二人が定員内不合格。
後期試験、8人中5人が不合格。
うち、3人が定員内不合格。
来週、2次募集の試験です。

県外に目を向ければ、
香川のRさんは、今日、明日、8年目の受験です。
山口でも3年目の受験。
愛媛のW君は6年目(?)の受験。

高校の壁、定員内不合格の壁、それは単に「学校の壁」としてあるのではなく、子どもたちが生きることの前にある壁なのだと思います。

私が生きるこの社会が、障害を持つ子どもたちに、どれほど迷惑をかけているか。授業料無償の「高校」に入るための試験が、「知的障害者だけに著しく不利な差別的なもの」であるか、そのことを、毎年、不合格にされる子どもたちの側にいるからこそ、私は忘れないでいることができます。

私たちが、子どものおかげで見える壁。
それは、社会の多くの人にとっては、「壁」とは見えていません。

高校に入れても、高校に入れなくても、その後の長い人生を、子どもたちはこの「差別」だらけの社会の「現実」の中を生きていきます。

私たちは、希望するすべての子どもに、すべての子どもが無償で受けられるようになったはずの高校教育すら保障する力がありません。無力なままです。

でも、私たちが、子どもの味方でいるためには、子どもたちがぶつかる現実に、いっしょにぶつかり、一緒に無力感を感じ、倒れ、それでも立ち上がる子どもに励まされて、また次の希望に向かうしかありません。

私は、高校に合格することより大事なことがあると、毎年、子どもたちを見て思っています。
やすハハ
高校生のいすが空いてても座れなかったり、夜の学校、遠くの学校に行かなくてはならないのが現実で、普通学級の障害をもつ子の現実の厳しさを目の当たりに感じています。
今まで、絶対的に「普通学級」しか思えなかったのですが、違う道もあるのかなと初めて考えさせられました。

少数派なのに限られたいすの取り合いをしなきゃいけないのは、悲しいです。
高校生の母
うちの子も、まだ1日も高校を休んでいません。
普通学級→普通高校の道を辿ってきて、本当に良かったです。

先人の皆さま、
これまで道を切り開いてきてくださって、どうもありがとうございました。

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