ワニなつノート

つなぐ糸 (本のノート その1)

つなぐ糸 (本のノート その1)


1:《社会的苦痛(ソーシャルペイン)》

【末期がんの患者さんには、身体、精神、社会、霊性(スピリチュアル)と、四つの痛みがあると言われている。
この痛みをトータルペインとって、早期に発見して和らげることが緩和ケアの理念である。】

(『看取り先生の遺言』奥野修司 文藝春秋)

          ◇

早期発見という言葉はあまり好きではありませんでした。
障害の早期発見は、子どもを分けることにしかつながらないイメージがあるからです。
でも、これを読んで、ふと思いました。
私たちがやっていることは、子どもの「分けられる痛み」を早期に発見して、その痛みを和らげ、なくしていくことなんじゃないかと。

私の2月の治療は終わりました。次は3月8日からの予定です。
今年は、ブログを365個入れるつもりでいたのですが、どうもうまくいきません。
「自分の言葉をつなげることができない」というのも、副作用の一つだという気がします。

でも、自分の言葉でつなげることができなくても、あちこちから糸を引っ張り出すことはできそうです。

という訳で、たとえば上記の「社会的苦痛」という言葉につながる糸の先をたどってみます。

          

【病院やホスピスには、麻酔科も精神科もあるから、身体と精神の苦痛をコントロールするのはたやすいが、それ以外はとても対応できない。

たとえば、社会的苦痛(ソーシャルペイン)というのは、社会や家族などとのつながりを断たれたときに感じる痛みのことだが、ホスピスそのものが社会から隔離された特殊な空間なのだから、そこにははなからソーシャリティがない。
理屈からいってもソーシャルペインを取り除くことは不可能なのだ。
ボランティアが花を活けてくれるとソーシャルペインが取れたなどと称しているホスピスもあるが、せいぜいそれが限界だろう。

しかし、在宅ならいくらでもやりようがある。
たとえば、ヘルパーや看護師に協力してもらって花見に行く、買い物に付き合ってもらう。
あるいは介護者と一緒に大好きな野球を見に行く。
会社に行きたいなら、会社にまで付き添ってもらう---。

そういった過程で、人とのつながりが無くなっていくつらさや悲しさ、そういうものを感じながら、徐々に自分のソーシャリティが衰えていくことを受け止めてもらえばいい。

そのためには、患者さんのいる場所が社会性を持っていないとできないのである。
監獄のように隔離されたところにいて、「社会性を」といっても無理なのだ。】

(『看取り先生の遺言』奥野修司 文藝春秋)

           


2:《言語の基本的機能》


《社会的苦痛》の文章を読んで、私の頭に浮かんだのは、「ことばの教室」や「通級」での個別指導への素朴な疑問でした。
ちなみに、私は養護学校教諭の1級免許を持っていますが、専攻は「言語障害児教育」でした。
でも、そこで学んだ知識で、私が子どもたちと付き合う上で役に立ったと思うことは、ほとんどありません。

    

【人間の脳には本来、周囲と関わりたいという欲求があるという事実を知らなければ、テレビから言葉を覚えても別に問題はないと思われるかもしれない。
テレビにはたくさんの言葉が登場する。
言葉は動作や実際の事物と視覚的に連動し、第一、何度でもくりかえされる。
しかしこれは、言語の基本的機能、つまり人と意思疎通をはかるという機能を無視した考え方だ。

これまで見てきたように、脳は社会的な器官であり、正常な発達のためには周囲の人々との愛情にあふれた交流を必要とする。
……
言葉はどうやって使うものなのか、感情は声の調子にどう表れるのか、そして何より重要なことに、人に何かを伝えるためには言葉をどう使えばいいのか、これ(テレビ)では理解できない。
人は共感をよせてくらえないものからは共感を学べない。
そして相互のやりとりがないとき、言語習得の効率も激減してしまう。】

(『子どもの共感力を育てる』 ブルース・D・ペリー&マイア・サラヴィッツ 紀伊国屋書店)

            ◇

「早期発見」されて、専門家の言うままに療育に通った子どもが、保育園や幼稚園という集団で過ごすことで、ことばや表現が増えたという話は毎年のように聞きます。
「普通学級か特別支援か迷っている」と言いながら、就学相談会に訪れる人のほとんどは、わが子が子ども集団のなかでとても大切な宝物を手に入れている姿を感じたことがあります。
その人たちは、その直観のようなものが間違っていないということを確かめに、相談会に来ているように思います。
そうした体験をしたことのない人には、相談会でどれだけ言葉を重ねても、届かないと感じます。


            

3:《共にいること(社会的一体性)》


【人間は非常に社会的な種であり、これは特定の絆や結びつきを求める点にはっきりと示されている。…
とくに幼少期には、世界は不確実性に満ちているので、それは一種のセーフティネットを生み出す。
結びつきがもたらす安心感がなかったら、人は正常な働きをするのは困難である。
大切な結びつきの喪失は安全の感覚を損ない、しかも、絆が短期間に失われると、その影響は計り知れない。
認知症の人にも十分結びつきのニーズがあると考えられ、実際には、幼いころと同じくらい強いかもしれない。】

            ◇

【人間の社会性にはもう一つの側面がある。
それは、集団の中で生活するように進化してきた種であるという事実に関連している。
集団の一員であることは生存にとって不可欠であり、厳しい罰として一時的に集団から排除するような文化もある。
共にいることのニーズは、いわゆる気を引こうとする行動、つきまとう傾向、さまざまな種類の抵抗や中断といった差し迫った形で認知症の人に顕在化する。
日常生活で、知的障害のある人びとが普通に社会参加をすることはまだ少ない。

旧来の多くの施設では、利用者が集団で扱われていてとても孤独なので、共にいることのニーズは満たされない。

個別化されたケアプランやケアパッケージは大きな改善だが、しばしばこの問題を見過ごしている。

共にいることのニーズが満たされなければ、人は衰え、引きこもることなる。
そしてついには、…殻に閉じこもり、完全に孤独な生活を送るようになる。

しかし、共にいることのニーズが満たされれば、ふたたび「殻を破る」ことができ、仲間と一緒の生活の中に自分の居場所を見つけることができるのである。】

(『認知症のパーソンセンタードケア』トム・キッドウッド 筒井書房)

            ◇

「共にいることのニーズは満たされない。」
「しばしばこの問題を見過ごしている。」

しばしばどころか、明治以来、学校教育(特殊教育)は一貫して「この問題」を無視し続けてきました。

「この問題」をさらに無視して拡大しようとする特別支援教育になって、普通学級から取り出され、分けられる子どもは激増しています。

とりあえず、ここまでの3冊の本は、「末期がん患者の痛み」「子どもの共感力」「認知症のケアで大切なこと」と、まったく別の場面を扱っていますが、どの本にも「大切なことは同じ」だと書かれています。

(つづく)
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