《鶴見俊輔》
佐野洋子の『わたしのぼうし』という作品もいいもんなんですよ。これはね、自分の帽子を汽車から落としちゃうんで、新しいものを買ってもらう話なんです。ところが帽子がなかなかなじまないんですね。どうしても。
◇
つぎの日、おとうさんが あたらしいぼうしを かってきました。
おにいさんのはしろくて あおいせんのあるぼうしです。
わたしのは しろくて あかいせんの ある ぼうしです。
おにいさんは すぐ かぶりました。
わたしは かぶりませんでした。
それは わたしのぼうしのようでは なかったんですもの
かいものに いく とき、わたしはぼうしを かぶらないで、うしろに ぶらさげました。
おかあさんは なんども ぼうしを かぶせました。
わたしは なんども ぼうしを ずらしました。
だって わたしの ぼうしのようでは ないんですもの。
◇
…と、いう話なんで、こうやって虫取りに行ったりするんです。で、そのうちに、わたしがまた座っていると、ちょうちょうがその帽子にとまりに来るんです。
◇
わたしは また ちょうちょうが とまってくれるように、じっと すわっていました。
◇
この感覚なんですよ。チェスタートンが言っていたのは。じっと座っている。それは、ものすごくわくわくした体験であって、それをとらえているんです。エッツの「もりのなか」「またもりへ」の感覚ですね。その気配の感覚。
◇
おにいさんも すわりました。
いつまでも すわっていましたが、ちょうちょうはもうとまりませんでした。
それから わたしは、ぼうしを かぶって うちへ かえりました。
つぎの日も、わたしと おにいさんは とんぼとりに いきました。
げんかんで わたしは、「おかあさん、ぼうし、ぼうし」といいました。
そして、しっかりとぼうしを かぶりました。
なんだか わたしの ほんとうの ぼうしのようでした。
◇
物と自分との関係がピタッとなるとき、それは神話的な瞬間なんです。ある種の気配で物が自分のものになっていくとき。
『神話的時間』(P42~45)
□ □ □
『就学相談いろはかるた』を編集しながら、鶴見さんの本を読み返していました。鶴見さんは「障害児」の話をしているのではありません。いつも、こどもや人間のことを教えてくれます。
この文章を読みながら、やはりいろんな子どもたちが、私のなかで走り回ったり、じっと立ち止まって何かを見つめていたりします。「かるた」で表現したいことは、やっぱり「障害児」のことではなく、ちゃんと「子ども」の話になっているなと、安心します。
「子どもが生きるってことは、風変わりな特権を持っているということなんだよ」
【こ】
《こだわりの溶ける時間をたいせつに》
【む】
《向かい合うものに応じて育つもの》
【た】
《担任も介助もつなぐが仕事》
普通学級のなかで、言葉を話さない子や、自分では食べられない子の「介助」をすることで、私は何をしてきたのか…。子どもができないから「介助」ではありませんでした。
…
私が「教師」として、みんなの前にいたときも、私のやることは同じでした。
…
障害のせいで「できないこと」と「できること」の間に入り、私は何をしてきたのか。
ようやく分かってきたことは、この子の「私」が、みんなとの「私たち」からこぼれ落ちないように、ということでした。
入学の日、「私の学校」「私の先生」から始まる生活が、いつしか「私たちの学校」「私たちのクラス」という実感に変わっていく日々。遠足・運動会・合唱祭という行事が、「私の楽しみ」から、「私たちの楽しみ」になっていく時間。
例えばピストルの音が恐くて1年生の運動会に参加できなった子が、何年か後には、みんなのなかのどこにいるのか見つけられなくなるほど溶け込んでいく姿。一人の子どもの「私の毎日」が、いつしか「私たちの毎日」に変わっていく日々を、私は子どもたちのそばで見せてもらいながら。
そんなふうに一人一人の子どもの「私の学校生活」が、「私たちの学校生活」と感じられるように、そのためのつなぎになりたいと思ってきました。
例えば、車椅子を押すことが「つなぐこと」でした。みんなのそばに連れていくことが「つなぐこと」でした。時には、みんなから離れてぽつんとしている子どもを呼びながら、私が動かないことで、見かねた子どもたちに走っていってもらうことが「つなぐこと」でした。いつも「いない」のが当たり前になることで、クラスの「私たち」からこの子一人がこぼれ落ちないようにと願いつつ、同時に私がしてきたのは、「この子の私」と「この子の私たち」をつなぐことでした。
【わ】
《分けて一緒を目指す場所 分けずに一緒がなじむ場所》
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