《一番のお気に入りの絵》
「ふつう学級」は、一人一人が「わらの家」。
一人ひとりが、「家」のあるじ。
「わらの家」の「主体」。
一人の子どもが、こぶたのように「わらの家」を作り始める。そうして社会への一歩を踏み出す。それが「一年生」。
親にすれば、「頼りない」「心もとない」「不安・心配・しんぱい・シンパイ」があふれだして止まらない。
それを「止める」のは、教育や配慮ではなく、子どもが笑顔でいてくれること。子どもが笑顔でいられるつながりと居場所がそこにあること。そこで子どもの安全を守ってくれる大人への信頼があること。
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就学相談会で、ふつう学級は「わらの家」のようで頼りない、より安全な「木の家」か「レンガの家」か迷うという話を聞く。
でもね。「3匹のこぶた」の話を思い出してみて。
家を作るのは大人じゃない。こぶたが主人公。
きょうだい一人ひとりが、自分で作るんだよ。
だから、大人が作った「家」を比べても仕方ないんだよ。
本当は、どの「家」にいても、子どもが主体になって作った家なら、どんな形でも自立できるようにしなくちゃね。
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ふつう学級という「わらの家」は、一人一人の子どもが「わらの家」。
いかにも、頼りない「わらの家」。
拭けばとぶような「わらの家」。
それは子どもに「障害」があるからじゃない。
みんな、小さな子どもだから。みんな、6歳だから。
頼りなくて、そばで見守りたいのは、障害があるからじゃなく、ただ親だから。
どんなに「重い障害」があろうと、どんなに「しっかりした子」でも、6歳は6歳。
小さな身体で、親から離れ、社会への一歩を踏み出す子どもの主体。どんなに頼りなく見えても、自分で歩み出すその後姿こそが、希望。
6歳の勇気と、信頼と、つながりへの希望を、「親が信じなくてどうする」と自分に言い聞かせることを「親の覚悟」とよぶ。
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家の作り方は、一人ひとり違う。
一人に一つの身体があり、思いがあり、自由があり、自立の形がある。「見えないまま」で、「歩けないまま」、「つていけないまま」で。「自力呼吸できないまま」、「読めないまま」、「書かないまま」、「言葉を使わないまま」、ある時期「学校に行かないまま」で。
それでも同じクラスに所属する、「わらの家」の主として。
「いま・ここ」で、みんな、つながりのなかで。