①人は向かい合うものに応じて、自分を意識する仕方が変わる。
②「向かい合う」膨大な量の観察学習が、子どもの「その子らしさ」(経験的自己)をかたちづくる。
つまり、子どもが生きていく過程で向かい合うべきもの、両親や家族、兄弟、同年齢の仲間、同年齢の子ども集団と同じような生活体験が「奪われること」「極端に経験を制限されること」は、その子のいのち本来の「その子らしさ」が顕われることに、蓋をしていることになる。
親が、子どもを、個室に閉じ込めていたら、社会はそれを虐待と呼ぶ。
他の兄妹が、普通に学校に行き、普通に社会生活を送っているのに、一人だけそうした普通の生活を制限されていたら、社会はそれを虐待と呼ぶ。
国が、それをすると、どうして「その子のため」になるのだろう?
専門家が、それをすると、どうして「その子の幸せ」になるのだろう?
わたしにはわからない。
それなら、わたしは不幸でいいから、自分の人生を生きたい。
自分の自分らしさにあいたい。
その自分と出会ってくれる人と、出会いたい。
…だから、わたしは私の人生に、後悔はない。
③《子どもの家族観・大人の家族観》
《子どもの社会観・大人の社会観》
まずは、『家族という意思』から。
《子どもと大人の違い》
「子どもと大人では、その拠ってたつ家族観に根本的な違いがある」
「子どものかんがえる家庭の核心にあるのは、自分を受けとめてくれる受けとめ手であり、その受けとめ手と一緒にいるという感覚である。」
「自分のいのちの存続のために受けとめ手が《一緒にいること》自体が子どもにとっての家庭であり、我が家なのである」
子どもにとっては、「血縁」と「家屋」の有無は二義的な意味しか持たない。
【たとえば「小さな家出を繰り返す子どもは、家に居場所をみいだせない。
だから、家に帰りたくないと訴える。
「居場所がない」と子どもがいうとき、…そこに受けとめ手がいないということである。
どんなに豪華な建物をたて、立派な内装で部屋をしつらえようと、受けとめ手がいなければ、子どもにとってそこは空洞と同じである、そのような場所で自分の存在、自分のいのちの安心を感じ取ることができない。
逆に、はたからみてどれほど貧しく粗末なすまいとみなされようと、そこに受けとめ手がいるなら、子どもはそれを貧しいとも粗末とも感じることはないだろう。】
「大人は、たとえば避難所暮らし、仮設住宅暮らしに家庭という感覚を抱くことはできない。
家族が一緒に暮らせても、そこは家ではない。…はやくこの一時しのぎの場所を出て、我が家に戻りたい…」と願う。
「子どもがほんとうに脅えるのは、自分のそばから受けとめ手がいなくなることであり、受けとめ手との絆をうしなうことである」
「大人と子どもの間にはこれほど大きな相違があるのである」
『家族という意思』芹沢俊介・岩波新書2012
◇
ワニなつ翻訳メモ
《子どもと大人の違い》
「子どもと大人では、その拠ってたつ人生観に根本的な違いがある」
「子どものかんがえる人生の核心にあるのは、自分を受けとめてくれる受けとめ手であり、その受けとめ手と一緒にいるという感覚である。」
「自分のいのちの存続のために受けとめ手が《一緒にいること》自体が子どもにとっての人生であり、自分らしく生きることなのである」
子どもにとっては、「学力」や「能力」の有無は二義的な意味しか持たない。
たとえば、普通学級に行きたいという子どもは、特別支援の場や個別支援の場に居場所をみいだせない。
だから、分けられたくないと訴える。
「居場所がない」と子どもがいうとき、…そこに受けとめ手がいないということである。
どんなに豪華な建物をたて、立派な内装で部屋をしつらえようと、受けとめ手がいなければ、子どもにとってそこは空洞と同じである、そのような場所で自分の存在、自分のいのちの安心を感じ取ることができない。
逆に、はたからみて、どれほど、「分からない授業はかわいそう」で、「退屈だろう」「ただいるだけ」とみなされようと、そこに受けとめ手がいるなら、子どもはそれを貧しいとも粗末とも感じることはないだろう。
「大人は、教室で自分だけ「できない」ために、恥ずかしい思い、答えられなくて緊張した場面、分からなくて不安になった記憶、自分だけバカにされ取り残されれてしまう恐れをいだいた学校という体験を、心底から忘れることができない。勉強ができないのに、自分の身の回りのこともできない子どもが、ふつうに友達ができたり、大事にされて、楽しく学校生活を送れるという感覚を抱くことはできない。
「できること」「怒られないこと」「褒められること」こそが、「認められること」であり、自分が受けとめてもらえる、唯一の方法だと信じている。
「子どもがほんとうに脅えるのは、自分のそばから受けとめ手がいなくなることであり、受けとめ手との絆をうしなうことである」
「大人と子どもの間にはこれほど大きな相違があるのである」
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