「本当にHideさんが、自立生活をしたいと思っているんですかね。
本人の意思が確認できないと……。施設で訓練してから……。」
行政の人は、そんなセリフを大真面目に使います。
そんなに「本人の意思」「本人がどういう生活をしたいのか」を
「確認」したいのなら、Hideに聞く前に、
施設に行って、そこにいる人たちに、
「本当に施設で一生暮らしたいですか?」と確認してくればいいのです。
そこで、全員の意思が確認できるように修行してから、
Hideに聞きにくればいいのです。
前回、紹介した「生の技法」について次のように書かれたものがあります。
【障害を否定的にとらえる思想のもとに障害者は家庭に閉じ込められ、
家族が扶養できない場合には施設に収容されるという扱いを受けて来た。
施設の処遇は次第に改善されて来ているが、
女性の入浴を男性職員が介助するということが
未だに行なわれているのが実状である。
収容を入所と言いかえても
管理され保護され指導されるという基本は変わらない。
さらに善意に発する福祉的配慮にも、
障害者を劣等視する思想が染みついており、上下の関係を作ってしまう。
人間としての誇りを持って生きたいと思う障害者は、
施設を出て自立する道を選ぶようになるのである、
とこの報告は言う。
多くの重度の障害者にとっては、
介助者を確保することが自立の必要条件であり、そこに困難がある。
必要なだけの介助が公費によって保障され、
どのように障害の重い人でも自分の希望するところで
人間らしく自立して生活できること、
それによって障害を持つ者と持たない者とが助け合って、
共に生きる関係を広げてゆくことが目標であるが、
日本の現状では道は遠く険しい。
しかし、人類の歴史はその方向に確実に動いている。
諦めることなく努力を続ける勇気と知恵を
この本は与えてくれるのではないだろうか。】
「本人の意思」
その言葉を聞くと、『累犯障害者』に書かれていた言葉を思い出します。
「俺ね、これまで生きてきたなかで、
ここが一番暮らしやすかったと思っているんだよ」
2003年に出版された「獄窓記」で、
刑務所内の障害者の問題が大きく語られるようになりました。
確かに、「実情」がメジャーになったのは、
山本譲司さんの本の影響が大きいでしょう。
でも、福祉関係者がその現実を知らなかったなどというのは、
私には信じられません。
少なくとも私は、10年以上前から、次の言葉を、
自分に対して忘れてはいけない言葉の一つとして持ち続けてきました。
「ここはいいところだ。いてもいいと言うなら、ずっとここにいてえなあ」
無実の罪で11年も拘置所に入れられていた知的障害のある人の言葉です。
親の志の影響は大きいと思います。
Hideの「言葉にしない気持ち」を大事にしたいと願う親の影響は
限りなく大きいと思います。
そうでなければHideも、一般的な「障害者の生き方」、
「国が決めた障害者の幸せに沿った生き方」を、
生きるしかなかっただろうと思います。
どちらにしろ、親の枠を出ることは、いつの時代も誰であれ、
子どもにとっては難しい課題です。
しかし、それでも、そこで、毎日生きてきたのはHideです。
365日、息をして、小学校6年、中学校3年、浪人3年、高校4年、
そして自立生活2年あまり毎日生きてきたのはHideです。
他人に多くの「決定」を委ねるしかない
「潜水服の中にいるような状態」であっても、
それでも、生きてきたのはHide自身です。
そのことの重みを、私たちが十分に感じることができなければ、
これからもHideの苦労は長く続くことになります。
だから、ただ、障害者が「自立生活をさせてもらっている」
と見るのは間違いです。
Hideが、自分の人生を、自分で生きているということを、
間違いなく見、感じることが、私たちに問われているのです。
そうした、生き方のカタチを、
見たことのない私たちが、問われているのです。
Hideの生活が最近、落ち着いてきたところへ、
「他人介護料厚生大臣特別基準」を認められ、
仲井さんは、ずいぶん楽になっただろうと思います。
でも、「これでもうHideは大丈夫かな~って思いたいけど、
そういう訳にもいかないわよね…」と仲井さんに聞かれると、
私は即座に「もちろん」と答えます。
「もう大丈夫なんて、そんなわけないじゃん。だってHideだよ。Hide。」
それから、『べてる』の合言葉を持ち出します。
「今日も、明日も、あさっても、順調に問題だらけ」
今回も、うまく書きたいことが書けないけれど、
次の徳永さんの言葉を思い出したとき、
Hideはちゃんといい人生を、いい苦労を、
そして、とても恵まれた出会いを生きているよな、と思います。
個性をはっきりと持ち、
他人ではない自分が自分らしく、
喜怒哀楽を感じ、
自分ならではの夢を持ち、
自分ならではの挫折をし、
自分らしく乗り越え、
生き、
そして自分らしく死ぬ。
自分がこの地上に生きるチャンスを与えられたことの感謝は、
自分らしくを果たす、ということ抜きには考えられない。
(『野の花診療所前』徳永進 講談社)
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