「一緒がいいならなぜ分けた」という言葉に、ちゃんと答えたい。
「ふつう学級か支援学級か」という問いを前に、私たちは「何が違う」と考えてきただろう?
「何かが違う」から、「どっちがいいか」という比較があり、評価があった。
「選択」以前に、「何が違うのか」という中身が違ったんじゃないかと、今さらながら強く思う。
60年前、40年前、そして今と、時代背景は違うけれど、共通していることがある。
それは、一度も「分けられた」ことない先生や親が考えた「違い」は、「分けられた子どもの感じる違い」とは、ぜんぜん違うものだったということ。
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「一緒は無理」と評価され、「本人の声」を聞かれることなく、分けた先生と分けられた子。
「ここに来たくはなかった」と、「本人の声」に気づいて、交流してくれる先生と、交流を渋る子。
「一緒がいいならなぜ分けた」。
彼は「どっちがいいか」を語ったのではなかった。
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「いまここ」にいる自分の、気持ちも、人のつながりも、
大人の評価で進められること。
それは、「私が、私の主体を生きることのできる安全な人生ではない」ということではなかったか。
「どっちがいいか」と大人が考える。
でも、本人が自由に選べず、行き来もできないなら、どっちも「大人に分けられた場所」でしかない。
子どもに自由がないなら「どっちも、安全じゃない」。
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「3匹のこぶた」のような「どの家が安全か」という比較や選択でなく、どの家であっても、一人一人の子どもの主体への敬意があり、子どもの自由があり、安全があるように。
「どっちも自由に選べ、自由に逃げることできて、自由に学べる安全な場」であれば、少なくとも現状の「分離教育」はなくなると思う。
そして、ある時期、別の家で暮らしても。ときに不本意に「分けられて」も、回復の道はあるか?
「回復」とは何か? 人の「つながり」を取り戻す回路はあるか?
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「わたしは安全か?」
わたしに、「つながりの安全はあるか」「つながりへの出会い」のための「自由と主体はあるか?」
「自立」への「主体と自由」はあるか。
それこそが私と命と安全を守る知性の成長につながる。
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(ここまで書いて、栞音さん、伊織くん、ヒデ、淳君、尾野さんの顔が浮かぶ。)
(住谷さんと仲村さんへ。・・・あのとき(受検をやめると言われた時・別の教室をつくられた時)、私たちが「だいじょうぶ」と思えた理由は、この辺りにあるような気がします。)