違和感のある言葉。「ダンピング」ともう一つ。
「お客様」。
【「共に過ごすこと」のみが重要視され、
一人ひとりの学びへのアクセスを保障するための工夫や支援が何もない状態では、その学級において障害のある子どもはクラスの一員というより、「お客様状態」となってしまう。】
「ん?」
「共に過ごすことのみが重要視」??
そんな親がどこに、どれだけいただろう?
「いるだけでいいのか?」と脅され、「いるだけでいい」と開き直るしかなかった親なら、数えきれないほど知っている。
そうやって開き直る以外、子どもの居場所を守ることができない時代があった。
□
初めて勤めた情緒学級で、私は小学4年生のKに出会った。
ふつう学級の担任に勧められ、週に2日の通級。
今なら「個別の学びのアクセスを保障するための支援」とか言われるのだろう。
彼は通級に納得していなかった。その証拠に、自分の名前を書くときには、必ず「4年1組」と書いた。
一年後、抵抗のかいなく、彼の居場所はふつう学級にはなくなっていた。
一年かけて、つながりを切られ、転校させられた。
「いるだけ」がどれほどかけがえのないことか。
「分けられた」ことのない人には、分からないのかもしれない。
□
私は学校を辞めた後、Kの家を訪ねた。
本人も親も「通級」を希望したことはないという。私が聞いていた話とは違っていた。
数年後、弟の就学について相談されたとき、初めて言われた。
「お兄ちゃんの時はだまされたから」。
「弟はお兄ちゃんより障害が重くてまだしゃべらないけど、ふつう学級に行かせてあげたい。」
・・・35年前のこと。
「学びへのアクセスを保障するための工夫や支援」よりも、子どもが地域の学校で「共に過ごすこと」を大切に願う親たちがいた。
「何の工夫も、配慮もしない」、その学校や教育委員会を変えてきたのは、法律でも条約でもなかった。
そこには、子どもがみんなの中に「いること」「ただ安全にいること」だけを必死で願った親子の思いがあった。
□
「いるだけでいいのか」と言われれば、昔も今も、私はこう答える。
子どもが安全と自由を感じられるならそれで十分だ。
あとは、子ども同士のつながりの安全をもとに、自由に、豊かに、子ども自身が学んでいく。
□
《り》「理解はあとからついてくる」
《り》「理解はこの子がつくるもの」