goo blog サービス終了のお知らせ 

ワニなつノート

《いるだけでいい》(その3)

 
親と子に、「ついていく」も「いけない」もない。
きょうだいにも、子どもたちの出会いにも、ない。
 
「つながり」に、「ついていく」も「いけない」もない。
無条件の安全は、「いるだけ」のつながりのなかにある。
 
学ぶべき子どもとしてでなく。
変わるべき子どもとしてでなく。
私たちが求めたのは、「いるだけでいい」と子どもが感じてくれる安全だった。
 
       □
 
「ついていけないなら、一緒にいる意味がない」?
「条件が整えば、一緒にいてもいい」?
 
「ついていけるか」という怖れは、大人が設定する条件からはじまる。
そこでは、《子どもの声を聞く》ためには、言葉の獲得が必要といわれる。
それを「本当の教育」というなら、そんなものはいらない。
 
「あなただけ、ここにいてはいけない」とは絶対に、言わない。
「いるだけでいいのか」と言う教師に、期待はない。
 
「ただ、よけないことはしないで」
「子どものつながりをじゃましないで」
 
それが「いるだけでいい」の真意だった。
 
       □
 
ふいに子どもに抱き着かれた瞬間や、振り向いて笑ってくれる子どもの表情。
言葉にならない怖れも叫びも、子どもの声であり、ことばだった。
 
言葉より確かな声は、子ども時代の主要な言語である「あそび」のなかにある。
教師が設定した課題がないからこそ生まれる、つながりがある。
 
目を合わせること、声をかけること、笑いあうこと、隣の子が手をつないで授業を受けること。
すべてがことばであり、あそびであり、まなびであり、つながりだった。
 
学ぶべき子どもとしてでなく。
変わるべき子どもとしてでなく。
今ここに「いること」のかけがえのなさを忘れない。
 
 
名前:
コメント:

※文字化け等の原因になりますので顔文字の投稿はお控えください。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

 

  • Xでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最新の画像もっと見る

最近の「ようこそ就園・就学相談会へ」カテゴリーもっと見る

最近の記事
バックナンバー
人気記事