ワニなつノート

私たちの社会がためらうことなく受け入れる子どもたちとは誰か(その2)


私たちの社会がためらうことなく受け入れる子どもたちとは誰か(その2)


《「出生前診断」と「就学時健康診断」》



Q 「出生前診断」を国策として進め、スクリーニング(選別)検査を徹底することで目指す社会はどんな社会か?

A 「不幸な子ども」「かわいそうな子ども」が一人も生まれてこない社会。
  障害児が生まれてこない社会。

Q 国民の全妊婦に対して公費(無料)で検査を行う意義は?

A 「ダウン症の出生を一件回避するために必要なコストの見積高は、3万8000ポンドであり、この額はダウン症の人の一生のコストに比べてはるかに安い。」
(イギリスのニコラス・J・バルドとハワード・カックルの言葉から)


(注)「いのちを選ぶ社会」の149ページに、「イギリスの研究者M・ギルによる「人生のコスト」という表が掲載されています。

『ギルは計算の結果、「子どものあいだはどんな人も純コストとなるが、健常な人が18~62歳のあいだに社会に金銭的貢献をするのと比べてダウン症の人にはそれがない」と述べる。

そして、…検査費用は増大するが、検査でダウン症の人を見つけて妊婦が産まないことを選べば、結果として一生にかかるコストが減少するので、検査の拡大は理にかなっているという結論を出した。

このとき算出された「12万ポンドの超過コスト」はその後、イギリスが国家全体でスクリーニングを導入してゆく際に…広く知られる数字となってゆく。』


(アメリカカルフォルニア州)

『州遺伝性疾患局では1986年から94年までの費用対効果を計算し、スクリーニング経費は約1億ドルかかったが、障害のある子の出生が削減できたことにより、2億3091万ドルが生み出されたと報告している。』

(「いのちを選ぶ社会」P152)

その他いろいろ。

            ◇


「出生前診断」が、障害児が生まれないためのものであり、プログラムの開発者たちは、スクリーニングの費用対効果が最も大きいのは「生まれてきたら長く生きる」子どもたちだとみなしていることは明らかです。

さて、それと「就学時検診」=「特別支援教育」は、「別」だと考えるべきでしょうか。

私にはそうは思えません。

確かに、特別支援教育の予算は年々増える一方です。
それは、「障害児の教育」に予算をかける、丁寧で温かい社会のように思われているのかもしれません。

しかし、「出生前診断」で、そもそも「障害児」が生まれないことこそを願い進める社会が、もっとも関心があるのは、全妊婦が障害児を中絶するという「自己決定」をすることです。

そのためには、「障害児がしあわせ」であるとか、「障害児と暮らすことがしあわせ」という「認識」や「経験」「情報」があっては困ります。
あくまでも、「障害児は不幸なこども」「障害児が生まれるのはかわいそう」でなければなりません。

そのためにはどうすればいいか。

難しいことはありません。
今まで通り、「誰も知らない」状態を続ければいいのです。

私が、「出生前診断」により、障害児が生まれない社会を進める立場の人間なら、絶対にそう考えます。


間違っても次のような情報を誰でも知っているような世の中になっては困るのです。

『…スコトコーは、ダウン症の子どもの両親、兄弟姉妹に対する調査も行って論文で報告している。

 調査では99%の親がダウン症の子を愛し、97%の親が「誇りに思っている」と回答。

 また兄弟姉妹のうち9~11歳の回答者の97%、12歳以上の回答者の96%が「愛している、または好きである」と答え、
前者の87%、後者の94%が「ダウン症のある兄弟姉妹を誇りに思う」と答えた。』


(「いのちを選ぶ社会」P253)

でも、たとえこの言葉を聞いたとしても、大人になるまでにそうした障害児に一人も出会ったことがなければ、その人はこの言葉を信じることはできないでしょう。
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