ワニなつノート

あの子が、この子の支えになっている(その3)


あの子が、この子の支えになっている(その3)




昨年の終わり、上岡陽江さんとダルク女性ハウスの方の話を聞く機会がありました。
ダルクは、薬物・アルコール依存症をもつ女性をサポートする施設です。

勤めていた定時制高校の近くにあったので、以前から知ってはいました。
でも、自分が「ホーム」で10代後半の子どもたちと生活するようになって、入ってくる言葉の切実さはいっそう胸にささりました。

上岡さんの隣で話してくれた女性は20代前半で、「ホーム」の子たちのほんの少し先にいる、という感じの人でした。その表情には、幼い子どもを保育園に預けダルクのデイケアなどに通いながら、自分と子どもを守るために必死な思いがあふれていました。


その日、上岡さんの話の中で、「生きていてくれてよかった」「生きのびてくれていた」という言葉でした。
突然いなくなってしまう人や、刑務所や精神病院にもどってしまう人のことを話しながら、…長年消息の分からない人が、「生きていた」そのことを喜ぶ思いにふれ、私はどこか体の力が抜ける気持ちがしました。

その日、もっとも印象的で、わたしの救いになったのは、「中学卒業以降に出会う問題と社会的資源」という一枚の表でした。

前期(15~20歳)、中期(20~28歳)、後期(28歳~)と区分分けし、それぞれの時期に怒っている特徴や必要とされる支援について書かれています。

その「前期(15~20歳)」が、私がホームで共に生活する年齢にあたるのですが、この時期の必要とされる支援は、「安全に時間を過ごせる」「話し相手になる」と書かれていました。

「試行錯誤の過程を見守る」とか「社会生活維持に必要なスキル」といったことは、中期、後期の課題として置かれていました。


ほっとしました。

15や16でホームに来る子どもたちに、「一人で働いて、一人でアパートを借りて、一人で自立する」という形を迫る「仕事」である私にとって、10代後半の時期にもっとも大切で必要な支援とは、「安全に時間を過ごせる」「話し相手になる」であるという明示は、なによりの救いであり、支えになりました。

そうだよな。やっぱり、それでいいんだと、心の底から思いました。


「何かができるようになる」「一人でできるようになる」ためには、「できる・できない」に左右されない、揺るぎのない居場所・安心・話し相手こそが基本なのだと思います。


その場で、上岡さんの『その後の不自由』(医学書院)という本を買いました。
第一章は、「私たちはなぜ寂しいのか」というタイトルでした。
どこか聞き覚えのある言い回しだと思ったら、私のブログのカテゴリーの一つ「この子がさびしくないように」を思い出しました。

上岡さんがそこに書いているのは、薬物・アルコールに依存せざるを得なかった人の寂しさです。

私が知りたかったことの一つは、障害があるだけで同世代の子どもから分けられてしまう子どもたちや、虐待などで家族をなくした子どもたちが「さびしい人生」にならないようにするにはどうしたらいいのかということでした。

そこで重なる部分があれば、きっとそれは、抱えている問題はちがっても、人が人と生きていくのに欠かせないことなのだと思います。

そういう意味で、「障害」のある子どもの問題は、「障害」(障害故のできなさ・苦手なこと)そのものと同時に、その障害をもったままの自分を肯定できる道筋なのだと思います。

(つづく)
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