ワニなつノート

赤ちゃん扱いと自尊感情(その3)

赤ちゃん扱いと自尊感情(その3)



障害のない子どもたちが、障害のある子どもの気持ちを理解するということは、4歳・5歳から「赤ちゃん扱い」を「しない」ことから始まるのではなく、
他の子が「赤ちゃん扱い」されることをどう感じるかに、気づくことから始まります。

赤ちゃん扱いのつぎに、その赤ちゃん扱いした相手の気持ちの動きに気づくこと。
そして、子どもの成長に応じて、お互いに対等な関係を築きあうためには、子どもたちがお互いに率直な自己表現をしてくれなければこまります。


そのとき、言葉のない子や、まだうまく自分の思いを自己表現できない子どもが、自分を正しく表現できるようになるためには、子どもたちのとなりでその関係を見守っていてくれる大人の存在が必要です。


その大人は、子どもに敬意をもって接することができる人です。

その大人は、子どもの権利を尊重することでできる人です。

その大人は、子どもの感情に対して寛容であることができる人です。

その大人は、子どもの行動から常に学ぶ用意がある人です。



a 『赤ちゃん扱いされることで、自分への敬意が失われて傷ついている子どもを、「守る」とはどうすることか?』

b 『赤ちゃん扱いする相手の気持ちに、気づかないでいる子どもと、両方の子どもの「自尊感情」を育てるとはどういうことか?』

こう問いを立てると…、この問いに答えはないことがわかります。

なぜなら、「こうしなさい」「こうありなさい」「こうでなければならない」と、答えを大人が持つことが、子どもの表現を聞き取る妨げになるからです。

きっと、子どもの数と出会いの数だけ、気付きあうやり方があるはずです。


子どもが自分とはべつのもう一人の子どもへの敬意を学ぶには、相手の気持ちに耳を傾けることが必要です。
相手の気持ちに正しいやり方で耳を傾けることによって、相手に対する接し方もよりよいものになっていきます。

自分とはべつのもう一人の子どもへの敬意を学ぶためには共感が必要であり、そして学べば学ぶほど共感は深まります。

そして、それを子どもたちに伝えるためには、大人(わたし)がまず、子どもたちの表現から学ぶ態度が必要になります。

やはり答えは、子どもたちの関係のちょっと先にしかないものなのでしょう。



「分ける」ことは、子どもを守ることにはなりません。
子どもたちの表現から学ぶことになりません。

表現そのものをなくすことで、傷つけることも、傷つくことも、そこから仲直りしたり、和解しあう関係もなしにしてしまうことになるからです。

「分ける」ことは、「未熟児」の命を守るために保育器に入れるように、まだ外の世界では生きられないから「守る」という「赤ちゃん扱い」としての守り方といえます。
「あなたが傷つかないように」、
「自分の障害やできないことに気づかないように」、
「歩ける子、走り回る子どもたちの姿をみて落ち込まないように」
「分からない授業をうけてかわいそうにならないように」
そうやって、ひとり分けることこそが、敬意のない「赤ちゃん扱い」にしかならないような気がします。

「できない」子どもは自信をなくすもの、
「できる」子どもは「できない」子どもを見下すもの、
という子どもへの態度は、「学ぶ態度」とはまったく逆の立場と言えるでしょう。

子どもたちを、「できる・できない」で分けることで、
私たちは子どもたちの豊かな自己表現や共感の成長する時間を奪い、
私たち自身も子どもから学ぶ機会を失い続けるのです。
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