《22歳の娘》
手術前に、娘(Nii)に手紙を書いてみたことを(その1)で書きました。
その時に書いたのは、ほとんどが娘の小さいころの思い出でした。
Niiが生まれたころ、私は定時制高校の非常勤の講師をしていました。
できるだけNiiと一緒にいたくて、仕事を増やさないようにしていました。
ちゃんと就職するとか仕事をするのは、子どもが大きくなってからできるけど、子どものいまと遊ぶのは今しかできないから…、もっとあの時一緒にいればよかったと、いつか後悔しないように、Niiと遊ぼ~って思っていました。
毎日のように近所の公園をはしごして遊び、幼稚園の送り迎えもほとんど私と一緒でした。
Niiと一緒に遊べるのは、せいぜい小学校に入るまでだから…と思い、それまではちゃんと就職なんてしなくても…、いまはNiiと一緒に遊ぶことが自分の人生の一番の仕事みたいに思っていました。
だから、手紙を書き始めてみると、二人で通った公園やプール遊園地や動物園やスキー場が無数に浮かんでくるのでした。
そんな訳で、手術前の手紙は、なんだか思い出のアルバムみたいな中身でした。
そして手術が終わって、お腹の真ん中15センチほどの傷を見ながら、改めて娘に伝えておきたいことは何だろうと、考えるようになりました。
でも、娘が小さいころのことは次々に思い出せても、あらためて娘に伝えたいことはどうしても浮かばないのでした。
それがどうしてなのか、手術から一週間後に、ふと気がつきました。
そのときのメモです。
◇
22歳の娘
Niiに伝えたいことが浮かばない。
それは、一番伝えたいことは、この22年間の日々の中で伝えていたからだと気づく。
「最後にことばで…」じゃなく、そのことを毎日の中で、私は伝え、思い、伝え続けてきた。
それが、私にとっていきる、ということだった。
私が一番、伝えたいこと、それはもうNiiは分かってる。
最後にことばにするとしたら、これで十分だと思う。
そして、できればNiiに、いつかNiiの子どもに伝えて欲しいことがあるとすれば、
Niiが受け取ったものをその子にも…。
…と書きかけて、これもまた、言葉にするまでもない、あたりまえのことだと気づく。
Niiは、私よりもそのことを分かってる。
◇
いま、改めて思います。
あのころ、仕事やお金や将来のことより、ただ毎日子どもと一緒にいること、子どもと一緒に遊ぶことが一番の生き方ができてよかったと。
たとえ、人生が残りいくばくかだとしても、このことだけは何の後悔もないと思えるから。
◇
Niiからもらったもの。
自分がここにいる自信と安心。
自分が生まれた時からずっと、おれはおれのままでよかったんだなぁという実感を、NiiがNiiのまま育っていくそばにいて、感じてきました。
たっくんや朝子が教えてくれたとおり、
本当にNiiがどんなNiiでも、おれにとっては、Niiそのものだったから。
この22年は最高に幸せな22年でした。
………
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