手術が終わり、麻酔から醒めた瞬間、私が感じたのは強烈な焦りでした。
本当に「しまった」と思ったのです。
「なんだか分からないけど、取り返しのつかないことをしてしまった。
何も覚えてない、どうしよう」
子どものころに何度も感じた、「怒られる」という感じでした。
おねしょをして目覚めたときの感じかな。
次の瞬間、ああ、手術が終わって、名前を呼ばれてるんだぁ、とぼんやり分かってきても、やはり「しまった、なんにもしないうちに終わってしまった」と感じました。
もちろん、なんにもすることなどないのです。
全身麻酔で意識がないのですから、何もできるはずもありません。
(今回、初めて知ったのですが、全身麻酔だと「自発呼吸」もなくなるので、人工呼吸器を使うんですね。それを聞いた時、なんだか、歩さんや涼さんの顔を思い出してちょっとうれしくなったのも不思議な感覚でした)
手術はぜんぶ、お医者さんや看護師さんたちがやってくれるのです。
でも、それでも、何か自分が何もできなかった、なにもがんばれなかった、という無力感、絶望感を感じました。
がんばれなかった、という取り返しのつかない思い。
自分にはなにもできなかった。
そう思っているとき、小学校の情緒障害児学級で一年間つきあったヒデユキを思い出しました。
「ばかだね~、なにやってんのぉー」
それが、彼の口癖でした。
あまり感情を出さない子で、いつもたんたんと自分のやることをやる子でした。
だから、つい「もうちょっとがんばってみようよ」と励ますことが多く、ときに意地悪だった私は「がんばらないと給食抜きだからね」と言ったりもしました。
そうすると、彼は目にいっぱい涙をためて「ばかだね~、なにやってんの」と繰り返し、自分を責めるのでした。
そのときに、私ははじめて、彼がどれほど全力でがんばっていのかを思い知りました。
外見からは見えない、彼の中のせいいっぱいのがんばりを感じました。
自分はなんて未熟なんだろうと思いました。
初めて勤めた小学校で、私が何もわかっていないことを、彼はたくさん教えてくれました。
私は彼の描く絵が大好きで、自分のスケッチブックに何枚も絵を描いてもらいました。
そのスケッチブックはいまも大切に持っています。
その彼のことばと声が、手術後の頭の中に響き渡りました。
そうして次に自分の中でうかんだ言葉が、「ひとりでがんばらなくていいよ」という言葉でした。
ホームの子どもたちを思い出していました。
一人でがんばらなくていいよ。
「一人」で自立するんじゃない。
あなたが自分の人生でひとりじゃないと心から腑に落ちたら、そのときには一人でも自立して生活することは、そんなに難しいことじゃない。
だから、一人でがんばらなくていいから。
手術という、圧倒的に無力な体験をした直後、がんばろうにもがんばれない苦しさを強烈に感じてはじめて、この一年、ホームの子どもたちのがんばりが足りないんじゃないかと、そう思ってきた自分の未熟さに、気づき直したのだと思います。
◇
入院中に読み直そうと思ってバッグにいれた本の一冊。
『犬として育てられた少年』を読みながら、書いたメモです。
◇
必ず誰かが手をかしてくれると
生まれたときの赤ん坊の発達中の脳の下部、もっとも原始的な部分の中央には、すでにストレス反応の基本的な機能が完全な形で備わっています。
カロリーを必要としている場合は「空腹」、
脱水症状のときは、「のどの渇き」、
外部からの危険を感じている場合は「不安」という「登録」がなされ、
その苦痛が解消されると、子どもは「喜び」を感じます。
ストレスに反応する神経は、脳の喜びをつかさどる領域や、痛みや不安を起こさせる領域とつながっています。
赤ちゃんは、苦痛を感じると即座にあやされたり、抱かれたり、触られたりすれば、安心し、心地よくなるのを経験により発見します。
愛情をこめて世話をされ、空腹や恐怖のストレスを感じたときに、必ず誰かが来てくれて、食べ物を与えられ、あやされた喜びや安心感が、人間との接触に結びついていきます。
はじめは、学校や教室、授業という生活は、子どもにとってなじめないものかもしれません。
座っているのが苦手で、何度も逃げ出したとしても、自分の帰る場所があること、そこにはいつも自分を待っていてくれる仲間がいることが、子どもの安心や心地よさにつながっていきます。
毎朝、友だちのあいだに飛び交うおはようの声を聞く、毎日の生活。
その声の中に交る、自分の名前を呼ぶ声を聞く日常。
友だちの存在と、自分の安心との「つながり」が、毎日の体験を通じてと脳に蓄えていくこと。
仲間がいてくれることと、自分の心地よさとのつながりが、毎日の体験を通じて、当たり前でそして確実なものになっていきます。
将来人間との関わりに喜びを感じるために必要な能力を、私たちは子どもの頃、誰もがそうやって発達させてきたのです。
子ども時代を通して、集団生活の中でぶつかる初めての体験への不安や、自分の興味関心に応えてくれる大人や仲間がいる環境で暮らすこと。
そして、必ず誰かが助けてくれると信じる気持ちをなくさないでいられること。
それこそが、すべての子どもの一番のニーズと言えます。
この貴重な能力を育むことを犠牲にして、大人と二人で勉強する意味が、私には分かりません。
そんな機会は大人になってからでも作ることは可能です。
一度きりの子ども時代に、何より優先しなければいけないほどの体験ではありません。
私自身にとって、もっとも大切だと思える能力と体験をこそ、子どもたちにまず贈りたいと、私は思います。
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