授業という生活について、一年くらいずっとこだわって書いてきましたが、いまだに何も書けていない気がします。結局のところ自分でも、何が問題なのか、誰に何を伝えればいいのか、よくわかっていないのだという気がしてきました。
今回は今までの原稿にうまく組み込めないまま、外してしまっていたメモをいくつか紹介します。分からない授業について考える上で一番印象に残っているのは、クリスティーンさんの言葉です。
『‥たいてい、私はあなたと一緒にいる一瞬一瞬を楽しんでいるのだから、たとえあなたを覚えていられなくても、それがどれほど重要だというのだろう?
私はあなたが前に来てくれたことも、あなたが誰かも覚えていないかもしれないけれど、それでもどうか訪ねて来てほしい。
訪問してくれるその気持ち、私に与えてくれる親しみの気持ちのほうが、はるかに大切だ。
私がつながるのはできごとの認知ではなく、感情なのだから。私が覚えられなかったり、同じことをくり返したり、あなたの言ったことを忘れたとしても、そんなにひどいことだろうか。
あなたの訪問を楽しんでいるのに、そのことを覚えていなければどうしてもだめなのだろうか。
‥‥私が楽しい思い出を忘れてしまったとしても、それが重要でなかったということにはならないのだから』
このことを、小澤勲さんは著書の中で、次のように書いています。
『「認知する自己は確かに崩れてきている。
相手の名前を思い出せないことも増えてきた。
でも名前などというのは、しょせんレッテルにすぎない。
レッテルがなくたって深い心の交わりはできるのだ。」
彼女は認知的自己は仮面のようなもので、その底に感情的自己がある。それは保たれていると感じる。感情的自己とは、「人と人とのつながりのなかで生きている私」という意味であろう。
彼女は言う。
「私はあなたといっしょにいる一瞬一瞬を楽しんでいるのだから、たとえあなたがだれかを覚えていなくてもいいではないか。私とあなたをつなぐのはお互いにつけられた名前や経歴というようなレッテルではなく、ふたりの間に流れる感情なのだから」』
そう、「障害児教育」というのは「認知的自己」だけを対象にしすぎてきたのではなかったかと私は思います。障害児を「教育不可能」と言い、「就学猶予」や「就学免除」にし、高校はもっとはっきりと「適格者主義」と言ってきました。そこでは、「人と人とのつながりの中で生きている私」をまったく大事にしてこなかったのです。
それは、「障害」持つ子どもを大事にしてこなかったというだけなく、「障害を持つ子どもを大事に思う親の気持ちや、親の中の人と人とのつながりの中で生きている私を黙らせ、感じさせないようにしてきたのでした。
そして、学校に通う子どもたちにも、「人と人とのつながりの中で生きている私」などないのだと教えてきたということになります。そんなことよりも自分のことは自分でやれと、人に迷惑をかけてはいけないと教えるのが、教育の真ん中にありました。人と人とのつながり、それよりも「個」人が、強く・早く・賢く、それが将来の幸せにつながると教えてきたのではなかったでしょうか。
クリスティーンさんの連れ合いのポールさんの言葉を改めて思い出します。
「彼女の負担をちょっとでも軽くしてやりたいのです。でも、何をやりたいのかを決めるのは彼女です。彼女に自分が生活の中心にいると感じてもらえることが大切なのです」
「負担を軽くしてやりたい」というとき、「認知症」という障害によって難しくなったことの中身はどんなものかと考えてみると、それは「記憶の保持」や「物事を順序立てること」「同時に処理すること」、いわゆる「認知的なこと」です。
そうした困難さに対し、「まだがんばれば少しでも名前を覚えられるはず。まだ少しでも料理はできるはず。まだ少しでも運転ができるはず」と迫るようなことを、《障害児教育》は子どもたちに要求してきたのではなかったでしょうか。それはある人にとっては途方もない過剰な要求なのに、周りの人にはそれがみえないのです。
インクルージョンを主張する人の中には、どんな子どもにも知的好奇心や知的興味があるはず、誰にでも発達の可能性があると言い、それに応えるのが「学校の先生の仕事」だと言います。だから生活のことよりも、教授法の蓄積こそがインクルージョンのためには必要なのだと言います。
でも、やっぱり私はそれには肯けません。
何か違うだろうと思います。
たとえば、人への興味、人生への興味、社会への興味、風や星や空や太陽や空や海への興味、それは問うまでもないこととしてそこにあり、教えられたり、学んだりするのではなくても、「感じる」だけで十分なことがいくらでもあるだろうと思うからです。
なにより私が、出会ってきた子どもたちの一番の知的興味は人間に、人に向けられていました。希望はやはり人と人とのあいだにあるのだと思います。狭い意味の数やひらがなの「知的興味」に応える教授法などより先に、大切なことがたくさんあります。少なくとも、私の出会ってきた子どもたちにとってはそうだったと思います。
だから私は、医者から「生まれても数ヶ月も持たないでしょう」と言われた子どもや、「目も見えないし、耳も聞こえていません」と言われた子どもたちが、当たり前に参加する「授業という生活」を一番に大事にしたいと思っています。
《 忘れていいよ 》
うん、明日、あった時には、私の名前を忘れていてもいいよ。
もちろん子どもが自分のことを覚えていてくれて、明日の朝、私の顔をみて飛びついてきてくれたり、にこって笑ってくれるのは、いつだってとてもうれしいことだよ。
でも、私にとっては、明日もあなたがここにいてくれて、寂しそうな顔や、不安な顔や、今にも泣き出しそうな顔ではなく、ただ安心してここにいてくれたら、それでいい。
そういうあなたに会えるのが何よりうれしいから、あなたが私を忘れても、私があなたを覚えているから、大丈夫。
明日は、私があなたのことを覚えていて、あなたの顔を見たら、きっとすぐに微笑みかけるから。始めまして、今日もいっしょに遊ぼうねって、あなたがすぐにその人懐こい笑顔を、生まれる前からの友だちのように私に向けてくれることを信じて声をかけるから。
明日、会ったその瞬間から明日のあなたと仲良くなるから。だって、私もあなたも今日が終われば、明日は「初めまして」も間違いじゃないもんね。
あなたが昨日までのこと、私といっしょに過ごしたことは忘れても、私といっしょにいる時に感じた安心の形と、同じ安心の時間を明日も作れたら、あなたはきっと思い出してくれるかもしれないね。この人とはどこかであったことがあるかもしれないと、懐かしさを感じてくれるかもしれない。
でも、そんなことはやはり一番に大切なことではない。
あなたが私を忘れても、私はあなたを覚えている。
そして、私から笑いかけるから。「手を貸すように、知恵を貸すこと」の意味を私は今までに出会った子どもたちにいっぱい教えてもらったから。
昨日ただ手を貸すようにあなたといっしょに過ごしたことを、あなたと二人で遊んだことを、今日もまた一緒に遊べるように、私がきっと覚えているから。それが、私があなたに、手を貸すことになるのなら。あなたの「負担」を少しでも減らして、あなたがあなたの「不安」を、自分のなかで安心に変えられるように、私がそばにいるよ。
児相の一時保護所にいたころは、一日だけしかそこにいない子もいた。やっと仲良くなっても、次の日にはもういなくなっていたことが何度もあった。そしてまた、その子どもの代わりに、虐待された子や、不安につぶれそうな子どもが、次々と入ってくる。いろんな子がそこにはいて、私はいっしょに遊ぼうとか、いっしょに勉強しようかと、声をかけていた。
あのころのことを思えば、ひらがなが覚えられないとか、たしざんが分からないとか、それが子どもの生活の安心を、一緒に作れないことの理由になんか、絶対にならないと私は思う。たかが、学校の勉強ができないくらいで、まわりの仲間たちと、同じ子ども時代をいっしょに過ごすことの安心と楽しさを作れない理由になんか、絶対にならない。私はそう思う。
どんな子どもに出会っても、必ず私はそう思いたい。
だから、いろんな子どもたちにいっぱい、いっぱい、出会いたいね。
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yo
ありんこ
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