『看取りケアの作法』(村瀬孝生著)という本があります。
この人の本はブログでも何冊か紹介しましたが、この本はとびぬけて面白いです。
私にとって、何が飛びぬけているかというと、「お年寄り」との関係について書かれていることが、私にとっては「障害をもつふつうの子どもたち」との関係について考えてきたこととまったく同じに感じられるからです。
ギリシャ語で書かれた本を、頭の中で日本語に翻訳しながら読んでいるような錯覚を覚えます。もちろん、私はギリシャ語が読めませんが…(・.・;)
まだ途中ですが、たとえばこんな箇所があります。
◇
《家族に介護を還す》
私たちは家族に介護を還すことに取り組んでいる。
それは回顧的な家族主義でもなく、家族の絆を賛美するセンチメンタリズムでもない。
老いたものが自然の摂理に従って穏やかに死ぬことを阻害しないためである。
この死のありようは「安楽死」でも「尊厳死」でもない。
人生で培われてきた死生観に基づき選択される「死に方」でもない。
自然の摂理に基づいた肉体のありのままの死である。
老衰死とは病死でも事故死でもない。
その死に立ち会う家族に求められる態度というものがあるように思える。
その態度を養うには、閉じていく父親、母親、おじいちゃん、おばあちゃんの身体に触り続けることが必要であるように感じている。
身体の有限性を触ることで知るのである。
◇
7月に参加した集会で、私は「hideの自立」について、いまはhideが家を出て、親と離れて「一人暮らし」を支えるという「形」だけれど、将来、hideが親の介護をするということに自然につながるような「いまのhideを援助するやり方」、「hideとの付き合い方」があると思う、そうしたことを視野に入れたなかで、hideの援助、介助ということを考えたい…と話しました。
その場では、「親の立場」の参加者の人たちからは、私は若干浮いていたかもしれません。
私が話し終えたあと、「現実を何もわかっていないのよ」という声が聞こえました。
でも、岩ちゃんには受けていたし(?)、自立生活している当事者の人たちからも拍手してもらえていたので救われました。
障害のある「子ども」の自立を、「親」が集まって話し合う、というスタイルは、無理があるのだと、やはり思います。
親にとっては、子どもはいくつになっても「子ども」ですが、「自立」について話すとところでは、子どもは「立派な一人の大人」なのだから。
なんだか愚痴の続きみたいになってしまいますが、上記の村瀬さんのような言葉を、きちんと読んだのは私は初めてです。
こうした考えは、まだ介護の世界の主流ではないのだと思います。
でも、介護の世界の人が、こうした介護を求めるとき、私がhideが将来、自分自身が「援助」されながら、「介護される親」の介護に参加する、ということは、とても自然なことだと思います。
障害者の自立支援も、老人の介護も、もちろん子どもの自立支援も、「おなじ」を改めて感じます。
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