《木の声を聞くように子どもの声を聞く》Ⅱ
キリンが葉を食べている場面は、私の目にもよく見える。
毛虫が葉を食べているのも、近づけば見える。
だけど、木は何もしてない。そこにいるだけ、ただいるだけに見える。
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木は、自分の身体の声を隅々まで聞いている。
自分の腹の声、葉の声、根の声を聞いている。
木は、身体の中で有害物質を生成し、葉の一枚一枚に送り、必死で身を守っている。
地下に張り巡らされた根のネットワークで電気信号を送り、仲間に危険を知らせている。
私たちが見えていないだけ。
1分に1センチメートルの声が聞こえるまで、ここで待てないだけ。
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子どもたちが一緒にいる場で、待つことで、聞こえてくる声がある。
子どものつながりのなかでしか、聞こえてこない声がある。
一年後、十年後も一緒にいる場で、待つことで、聞こえてくる声がある。
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『泣いている子を取り囲んで、子たちが立っている。
何にもしない。何にもいわない。
ただ さもさも 悲しそうな顔をして、友だちの泣いている顔を見ている。
なかには何だかわけも分からず、自分も泣きそうになっている子さえいる。』
『育ての心』倉橋惣三 (初版・昭和11年)
木の声を聞くように、子どもの声を聞く人は、いつの時代にもいる。