「就学相談会の答え合わせ」メモ⑱
《お》『おやはてきじゃない』と『お母さんをたすけて』
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「親は敵だ」という言葉を知ったのは学生のとき。そう「言ってもいい」のだという衝撃を受けた。アリスミラーの『魂の殺人』はさらに衝撃だった。自分の「腑に落ちなかった」ことが、すべて書かれていた。「どうしておれの子ども時代を知っているんだろう」、本気でそう思った。
その後四十年余り、「親は敵だ」という言葉と、「親の虐待」を同時に考えてきた。目の前には、両方の立場の子どもがいた。
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私は聴き間違えていた。
子どもの声に、「親は敵」はなかった。
虐待の被害にあった子も、障害のために分けられた子も、「敵」だとは言ってなかった。昨日、無数の顔が重なって聴こえた声は、「親を助けて」だった。
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理不尽な差別であれ、理不尽な暴力であれ、子どもは親の期待に応えたい。でも親の望む形に応えられない子は、自分には親を助けることができない、と考える。だから、誰か「親を助けて」ほしい。
「そうすれば、大切に思ってもらえる。しあわせなかぞくになれる」。それが子どもの願い。
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「親は敵だ」は「大人」の言葉だと思う。
多くの言葉を学び、表現できるようになった「大人」が、それまで「腑に落ちない」まま抱えてきた思いを、「言葉」にしたものではなかったか。
それを、就学相談会の場で語っても、何かがズレていたのだと今はよく分かる。
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20年前、一時保護所の小学生に、「さとうもおれみたいだった?」と聞かれたことがある。
《お前ほど憎たらしいクソガキじゃなかったさ》と思いながら、「似たようなもんかな」と答えた。彼はつづけた。
「おれもいい人になれるかな?」
「なれんじゃないの~」と、受け流した私に彼は言った。
「まだ間に合うかな」
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あの対話の意味が、20年後のいま聴こえてくる。
「さとうも、おれみたいに、親の期待に応えられない、悪い子だったの?」
「おれもここの大人みたいな、いい人になれたら、お母さんも受け入れてくれるかな」
ケンカと意地悪ばかりで、子どもたちからも職員からも嫌われている自覚があったのだろう。彼は私に、同じクソガキとして、「親を助けたいよね」「助けられるかな」と話しかけていたのだ。
彼の言葉と、就学相談会でAちゃんから聴こえた「おかあさんを助けて」という声は、「同じ声」だった。