【たこの木連続講座『かかわりの社会学』第2回・就学運動が撒いた種】
《報告の種③》
□
前回、「就学運動」に違和感がある、と書いた。
おかげで、次へ進める。
講座の1回目も2回目も、横田さんと三井さんの話したことが心に残っている。とはいえ、話がかみ合った、ではない。《1車線》の言葉では、お互いに別の道を行く。ただ《4車線》の「腑に落ちない」身体でつながっている感じ。
□
「就学運動が撒いた種」というタイトルだが、私の《4車線》は「就学相談会」だ。それは、教育制度や学校を変える運動ではなく、その子がふつう学級に入学し、小中学校を卒業するまで見守ること。そして高校生へ。それが私の「種」のタスクだった。
「就学相談」の中身が、「発達保障論か、篠原先生の共生共学論か」という中身だったなんてことは、一度もない。(知ちゃんと私にとって、篠原さんが「教授」でなく、「団地の子ども会のひげのおじさん」、だったのはラッキーだった。)
□
ここで、ふいに声が聴こえる。
「あのね、わたしがピカピカの一年生になれるかどうか、心配して、迷って、悩んで、苦しんでいるお母さんを助けてあげて」
Aちゃんの顔が浮かぶ。
父から母へのDVは、Aちゃんの「障害」が分かってから始まった。子を守るために耐える母。そして死にかけるほどの被害の後、子どもの主治医に言われる。「夫婦のことなので黙っていたけれど、この子はちゃんと見ていますよ」。そして離婚後に就学相談会を訪れた母娘。
「ふつう学級の相談」は難しいことではない。
それよりも、隣で、私を見あげているその子の笑顔が気になった。その目はずっと、こう訴えていた。
「お願い、お母さんを、助けてあげて」
□
子どもたちからの相談。子どもたちからの依頼。
「お母さんとお父さんを助けてあげて。きょうだいたちを助けてあげて」
『就学相談会の答え合わせ』の一つは、これかな。
親の相談より、「子どもの声」が、私を動かす種だった!