他の人のブログで、自分の書いたものが紹介されているのを読むと、とても新鮮な感じがします。自分では本当にすっかり忘れているのです。
あれも記しておかなきゃ、これも…メモだけでもと思いながら、後で「ちゃんと」書き直せたことがほとんどありません。
だから、こういう時が本当にチャンスだと思っています。
今月は、ちょっと昔の話を、考え直してみようかな。
(myさんがブログで拾ってくださった記事から。)
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《安心して障害を生きられる人生を》
できないことをさせるのはかわいそうだから、
できそうなことだけを教えてもらう子ども。
みんなができて、
自分だけができないのは、傷つき自信をなくすからと、
みんなができる姿を見せないで守られる子ども。
「人に支援されるだけの人間」という見られ方を浴びて、
「しえんされるだけの人間」と、
自分を間違えて知っていく子ども。
傷つかないようにと心配され、
みんなができること、みんなが楽しむこと、みんなががんばる姿を、
見ないですむように守られ、保護される人生。
そうした「やさしい大人」だけに囲まれて生きていく人生。
いつまでたっても「子ども扱い」か、せいぜい「保護されるひと」。
いつまでたっても「一人前の大人」扱いされることのない人生。
周りには、同じように「守られるだけの子ども」
「支援されるだけの子ども」たちだけがいて、
「丁寧に管理された」環境で生きていく人生。
私は、そういう人生とは違う人生をいきたい。
守られ、保護され、支援されるだけの人生よりは、
イヤなこと傷つくことがあったとしても、
友だちと出会い、
友だちとケンカ別れして泣いたり、
がんばってもできないことに悔しい思いをしたり、
自分の外見や苦手なことをバカにされて怒ったり、
それでも自分を大事にしてくれる人に出会ったり、
自分の苦労は自分で味わえる人生を、
自分だけの人生を生きたいと思う。
みんなと同じにできなくて、私が傷つかないように、
私にみんなのできる姿を見せないこと。
それは、みんなが楽しむこと、がんばること、傷つくこと、
励ましあうこと、悲しむこと、喜び合うこと、
青春することを見ないこと。
はじめから、みんなができることを見せないようにして、
私を守ってくれるより、
もし本当にそこで私が落ち込んだときに、
そのことを誰かに相談する方法を教えてほしい。
もしそこで、私が自分のできなさに、
自分の抱える苦労に、押しつぶされそうになったときに、
「助けて」と誰に言えばいいのか。
「苦しいよ」とどこに助けを求めればいいのか。
私がみんなと同じようにうまくやることが、
一つもできなくても、
わたしが「希望」をなくさないためには、どうしたらいいのか、
そのことを教えてほしい。
私を支援してくれる気持ちがあるのなら、
私に教えてほしい。
苦手なことばかりの私、
苦労ばかりの私に、
失敗ばかりの私に、
笑いあえる仲間をつくることを教えてほしい。
これがわたしのありのままの姿なら、この私の姿のままで、
「生きる喜び」を感じることを教えてほしい。
わたしがわたしの障害や病気を抱えたままで
みんなと一緒に生きるための、支えとなるものを、
私に教えてほしい。
守られ、分けられ、支援され、保護されるばかりでなく、
わたしがわたしであることが、
周りの誰かを幸せな気持ちにさせたり、
わたしの役割をもちたい。
わたしも、誰かを支え、一緒に応援していきたい。
もしも私を「支援」してくれるなら、
私が傷つかないように守ってくれるだけの「支援」じゃなくて、
そんなふうに私の人生の管理を支援するのではなく、
私が私の苦労を全うできる人生を、
私に障害があったとしても、その障害も私の一部なら、
私が私のままで安心してその障害と一緒に生きられる人生を
支えてほしい。