《差別とは、相互行為が起こらないこと》
障害のある子どもが、保育園や小学校に入るとき、親の心配事として「コミュニケーションができない」「言葉の遅れ」があげられます。
確かに、先生は、初めて出会う子どもの言葉を「聞く」ことに苦労することがあります。
でも、受けとめる気持ちがある先生は、「自分より、周りの子どもの方が、聞くのが上手なんですよ」と言います。必ずといっていいほど、こう言います。
そして、「本当に子どもたちに助けられています」という言い方をします。
「私が責任を持ってこの子を発達させます」という人は、子ども同士のすごさを知らないのだから、とても信用なんかできません。
《差別とは、相互行為が起こらないこと》
では、相互行為が起こらないのはなぜか?
その答えが、ジョン万次郎の話の中にありました。
≪ある人類学者が、たった一人で離れ小島にあがって住み、そこの人たちの習慣を研究しようとしたが、数カ月たっても、どうしてもそこの人たちに、自分の言葉を分からせることができなかったという。
それは、その島の住民が、流れ着いた学者を、
自分たちと同じ人間だと考えなかったことが原因だった。
人間でないものが、どんなふうな音を出そうと、
その音の意味を解き明かそうと、まじめに考える人は少ない。
その反対に、相手を同じ人間だと考えるところからは、
なんとかして、自分の身にひきくらべて、
相手の身振りの意味を考えてゆくから、
お互いの言葉など全然知らないなりに、
言葉は通じてゆくものなのだ。≫
◇
これを読むと、保育園や一年生の子どもたちが、同じ仲間の「聞き取れない言葉」を苦も無く「聞くことができるのがなぜか」、その答えが分かります。
同じ保育園、同じ学校、同じクラスに、同じ子どもとして、そこにいること。それが、何より仲間であることの一番確かなことだからです。
「障害児は、普通学級では無理」だという先生や専門家は、たんに「障害のある子ども」を、「自分たちと同じ人間」だと考えていないだけじゃないかと、改めて思います。
どの子も受けとめる大人(先生)がそこに一人いれば、保育園でも小学校でも、子どもたちはあるがままを受け入れて、関係を作り始めます。
「個別」の教育や支援が、見えないところで、「相互行為ができない」人間を育てているか、ということを、私たちはもっと深刻に考えなければいけません。
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