東照温泉は鬼怒川のそばにあります。

温泉前の国道461号線を鬼怒川に向かうと500m先に橋があり、そこからは日光連山がよく見えます。
わたしは、この風景すきです。
その橋の下流は、白鳥の越冬地となっています。

ここでは餌付けを行っているので毎年かなりの数の白鳥が越冬しています。
で、いつも何気なく渡っていたこの橋ですが、ちゃんと名前がありました。

この大渡の地名ですが、その名のとおり鬼怒川を度る場所でした。
水量の少ない冬場には橋が架かるらしいですが、水量が多くなると流されてしまい、船で渡ったそうです。
東照温泉の敷地は、地続きでこの河川敷まで来ることができるようです。
大渡は、日光街道と奥州街道を結ぶバイパスの中間点として栄えたようです。
地元のおじいちゃんなどの話では、鬼怒川の先は会津藩だったようです。
つまり廃藩置県の前は、栃木・福島という区分ではなく、鬼怒川を挟んで北条と会津という境界であったようです。
この地は、鎌倉幕府の時代から関東であり、秀吉に攻められたこと、徳川家康が来たこと、小田原にいた二宮金次郎が来たこと・・・そんな時代のつながりがあります。
戊辰戦争では、この地が戦場となりました。
宇都宮城が落城して、廃藩置県では一時は存在した宇都宮県が廃止されてしまいました。
そんなこと、少しづつ資料を集めています。
そのうちに、このブログでご紹介したいと思います。
さて!
この大渡で、もてない男は船に乗り、もてる男は泳いで度るという話を聞きました。
逢いびきするのは、船のない時間なので、頭に着物を乗せて泳いで帰ってきたそうです。

温泉前の国道461号線を鬼怒川に向かうと500m先に橋があり、そこからは日光連山がよく見えます。
わたしは、この風景すきです。
その橋の下流は、白鳥の越冬地となっています。

ここでは餌付けを行っているので毎年かなりの数の白鳥が越冬しています。
で、いつも何気なく渡っていたこの橋ですが、ちゃんと名前がありました。

この大渡の地名ですが、その名のとおり鬼怒川を度る場所でした。
水量の少ない冬場には橋が架かるらしいですが、水量が多くなると流されてしまい、船で渡ったそうです。
東照温泉の敷地は、地続きでこの河川敷まで来ることができるようです。
大渡は、日光街道と奥州街道を結ぶバイパスの中間点として栄えたようです。
地元のおじいちゃんなどの話では、鬼怒川の先は会津藩だったようです。
つまり廃藩置県の前は、栃木・福島という区分ではなく、鬼怒川を挟んで北条と会津という境界であったようです。
この地は、鎌倉幕府の時代から関東であり、秀吉に攻められたこと、徳川家康が来たこと、小田原にいた二宮金次郎が来たこと・・・そんな時代のつながりがあります。
戊辰戦争では、この地が戦場となりました。
宇都宮城が落城して、廃藩置県では一時は存在した宇都宮県が廃止されてしまいました。
そんなこと、少しづつ資料を集めています。
そのうちに、このブログでご紹介したいと思います。
さて!
この大渡で、もてない男は船に乗り、もてる男は泳いで度るという話を聞きました。
逢いびきするのは、船のない時間なので、頭に着物を乗せて泳いで帰ってきたそうです。