村爺のなんでもいいべ

南相馬市の馬事公苑を中心に活動しているディスクゴルフの話題や南相馬の出来事や思いついたことを書いていきます。

お食事何処 たこ八

2013年03月16日 23時32分44秒 | 海鮮丼

今日は3年ぶりに帰郷した娘に都会では食べられない相馬のおいしい魚を食べさせるために、相馬市の「たこ八」に行ってきました。

お食事何処「たこ八」は震災前に松川浦に面した道路沿いに店舗があり、海産物の直売とおいしい食事を提供していたのですが、津波で店舗が流されてしまいました。震災後おいしい食事を提供するために、相馬市の国道6号線と国道113号線の交差点付近で仮店舗をオープンさせ、震災前と変わらないおいしい海鮮を提供し続けています。

休日ともなると多くのお客さんでにぎわっていてなかなか入ることができなかったのですが、今日は昼時を過ぎていたせいか混雑もなく入店することができました。

たこ八の松川浦復興丼「冬の食彩祭」のメニューは「たこ八のかに丼ぶり」1800円です。

ズワイガニの身をふんだんにのせたかに飯と相馬原釜産のたこの刺身、メヒカリのから揚げ、あら汁と小女子の佃煮と相馬の味覚満載の定食です。

俺は海鮮丼1200円を注文。

マグロに鯛、ハマチ、ホタテ、サーモン、大きなエビと大きく新鮮な切り身がボリュウムたっぷりにのっている。その海鮮がおいしい~!!やっぱり期待以上の海鮮丼ですね。本当は復興海鮮丼1800円を注文したかったんだけどボリュームがありすぎのようだからこれで我慢した。でも誰かが注文したのを見てみると食べられそうな気がする。今度は復興海鮮丼にチャレンジしたいですね。

娘は冬の食彩祭参加メニュー「たこ八のかに丼ぶり」を注文。

写真はピンボケになってしまったけどカニの身が丼ぶりいっぱいにのっている。カニのゆで汁で炊き込んだごはんとカニの身の相性がバッチリだそうで大満足だったようです。

家内は「えびあなご天丼」1200円を注文。特大のあなごとえびの天ぷらが評判の天丼だそうです。あなごの天ぷらを試食したけどカリフワでおいしいですね。でも年配者にはボリュームがありすぎですね。

義理の妹が注文したのは「ほっき飯定食刺身セット」1500円を注文。

ほっきがこれでもかってくらいいっぱい入っている。写真では表面にのっているだけですが、ごはんの中にも入っているのでごはんをすくうと必ずほっきがついてくる感じです。おいしい刺身がついて1500円は安すぎますね。俺もこれ食べてみたい!!

前回行ったときには超満員で入れなかった「たこ八」、今回はゆっくり食事することができて大満足です。でも、ここでの営業は今日で最後だと言うことでした。松川浦に面している以前店舗のあったところに新店舗を建設中でしたが、いよいよその店舗をオープンさせるとのことでした。記念すべきここでの最後の営業に立ち会えたと言うことはうれしい事ですね。

4月上旬に新店舗がオープンするようなので、今度はそちらでのおいしい食事を期待したいものです。


愛車の異常

2013年03月15日 23時41分40秒 | 日記

今日は東京で生活している娘が3年ぶりで帰郷すると言うので福島駅に迎えに行った。

その帰りに愛車に異常が発生してしまった。

バッテリー異常のランプ点滅と警報、その後にABSの警報ランプ、そしてパワーステアリングの警報ランプと共にハンドルが異常に重くなった。

走行ができなくなる不安から川俣の道の駅に急遽避難。そこからドクターじじいに電話した。

「危険だから走らないで待っていろ!!すぐに迎えに行くから!!」という言葉で素直に待機することに。

久し振りに故郷に帰る娘には申し訳ない気持ちだか仕方がないよな。

津波の被災を受けて約1年で復活した愛車。

その後、俺の不注意で入院はあったものの順調に走行してきたのになぜだろう?

1時間待ちでドクターじじいが迎えに来てくれた。

いつも俺の車のために迷惑をかけ続けで申し訳ないですね。

でも、真剣に俺の車につくしてくれるドクターじじい。

本当に頭が下がります。

俺の愛車も入退院を繰り返し大変な思いをしていますが、あの大津波から復活できただけでもありがたい事でしょう。

また入院してしまいました。

今度は完全復活を願いたいです。


春間近の大内宿

2013年03月14日 19時02分51秒 | 旅行・温泉

雪の大内宿に行ってみたくなり月曜日に行ってきた。

大内宿に行きたくて南相馬から向かったのではなく、会津に用事がありその帰りに行ったんですけどね。

この冬はあれだけの大雪だったから南会津は豪雪状態で道路は雪の壁ができているんだろうかと思っていたら、雪解けが早いらしく思ったほど雪はありませんでしたね。

でも、雪がパラついていて南相馬市とは全然気候が違うのを実感しました。

そんな天候でも観光客はいましたね~!!

駐車場はがら空きで大内宿も店を閉めているんじゃないかと思ったら、観光バスが3台も来ていたし乗用車も多かったですね。それも若者たちの多さにはびっくりしました。周りは若者たちばかりでしたよ。大学生が休みを利用して旅行してるんでしょうかね?

冬以外は何回も来ているんですが、雪の大内宿は初めてです。

雪はだいぶ融けて屋根に積もっている雪の景色を期待したんですけど遅かったですね。道は凍っていて雪になれない俺にとっては歩くのがつらかったですけどね。

お昼を過ぎた時間で腹が減っていたので、どこの食事何処に入ろうか悩んでいるうちに一番奥まで来てしまった。そこだと食事しながら大内宿の街並みが眺められそうだからそのまま入店。

浅沼食堂さん。

店を入ったところに水槽があり大きなイワナが泳いでいた。それを料理して出しているようですね。座敷に上がると囲炉裏があり火が燃えていました。ちょっと室内が煙たかったけど雰囲気はいいですよね。

メニューはそばとイワナを使った料理のみ。俺はちょっと寒かったからあたたかい「きのこそば」を注文した。でも出てきた「きのこそば」は熱々ではなくあたたかいものだった。寒いからフゥーフゥーしながら食べたかった~!! 唐辛子をいっぱい入れたけどあまり温まらなかった。おいしかったけど残念!!

そばをすすりながら見る景色は寒そーな大内宿の景色。食堂の人が一言「誰も歩いていねぇ~!!」 あれだけいた人が一瞬で誰もいなくなったって感じ。みんな店の方に行ったみたいでたまたま道から人が途切れたんですね。

久し振りにのんびりした大内宿を楽しみました。暖かい日が続くようになってきたから一気に春がやってくるんでしょうね。

下郷町から甲子高原を通り帰途につきました。

下郷町物産館を覗いた時にとかさんの作った「ほおずきジャム」を見つけた。うまそうだけど俺には合いそうにないから買わなかった。ごめんね!! 俺がいつも買うのは「炎の南蛮こうじ漬」これ辛いんだけどおいしいんだよね。ヒィーヒィー言いながらもろきゅうや大根のスティックを食べてます。あと味噌汁に少し入れるとピリ辛になっておいしい。ご飯にもあうよね。


追悼のことば

2013年03月13日 18時08分57秒 | 震災・放射能

東日本大震災から2年を迎えた11日に国立劇場で政府主催の二周年追悼式が行われた。

その模様はテレビ中継され震災発生時間の午後2時46分から国民に黙とうを呼びかけた。俺はちょうど南会津の方に行っていたので、車を止め東側の太平洋の方を向き黙とうをささげた。

追悼式では被災地の岩手、宮城、福島の3県の遺族代表が亡くなられた方々に向けて復興への決意などを述べましたが、福島県は南相馬市で農業を営み、津波により愛妻をなくされた八津尾さんが代表を務めました。

八津尾さんは車2台で避難しましたが、避難途中に津波に会い後ろからついてきた奥さんが流されてしまいました。南相馬市では夫婦で農業や地域活動に活躍していましたが残念です。

八津尾さんは震災から1ヶ月もたたないうちから、津波で流され何もなくなってしまった自宅の近くの畑で農作業を始めました。「俺には農業しかない。農業でもここで生きていけることを証明したい」とテレビの取材等に応えていた記憶があります。八津尾農園として花や野菜の苗を生産し地域農業の先頭に立ってきた八津尾さん夫妻。奥さんが亡くなり一人になっても津波による塩害と放射能、風評被害と闘いながら前向きに農業を再開しています。

その八津尾さんが追悼式で述べた言葉をここに残したいと思います。

あの、悪夢のような震災から2年、今朝も目が覚め被害にあった自宅へ車を走らせると、やはり夢ではない現実がそこにあります。風が吹くと砂塵が舞う荒涼とした大地、その向こうにかつてあったはずの緑の松原は消え去り、まぢかに迫りくる海岸線、平穏な生活の営みがあったはずの、緑豊かな農村風景はそこにはありません。

 私の住んでいた南相馬市、一翼を担ってこられた方々、また、福島を、日本を背負っていったであろう方々、夢、志、半ばにしてお浄土へ行ってしまいました。

 六百数十名が犠牲になり、多くの方がいまだに家族の元へ帰ってきておりません。認めたくない現実です。

 対岸の火事と思っていたこの自然現象で、地球より重い命、愛しい家族、数多く失ってしまいました。あまりにも無防備だったことに対し深く反省し、二度とこのようなことにならないように、この惨状を後世に伝えていかなければなりません。

 あの震災直後、身の危険も顧みず人命救助、行方不明者の捜索をしてくださった、消防団、自衛隊、警察、地元住民などで、多くの命を救って頂いたし、犠牲者の発見もして頂き、家族の元へ帰して頂きましたこと、そして、全国各地より物心両面でご支援頂きましたことに対し、改めて感謝申し上げます。

 2年の月日が経過する今、私たちはなかなか前へ進めないでおりますが、残された私たちに「亡くなった家族の思いは何か」ということを考えると、それは現実を受け止め、一歩一歩前へ力強く歩んで行くことではないかと思います。

 住宅の再建、農地の復旧、地域のコミュニティー、放射能不安などなど、課題山積、前が見えませんが、本日を一つの節目とし、力を合わせ、緑豊かな、元の、いや元以上の故郷、子供たちの歓声がこだまする故郷再生、再興のために努力していくことを、心をお寄せいただいた全国の皆様方に、そして、お浄土へ行ってしまった御霊に、お誓いを申し上げ追悼のことばといたします。


南相馬市馬事公苑情報

2013年03月12日 18時15分28秒 | ディスクゴルフ

ディスクゴルフプレーヤーの皆さんにうれしいお知らせをしなければならなくなりました。

今日、市の担当者に全国レクリェーション大会にディスクゴルフ競技が参画する事を決定するために、会場の南相馬市馬事公苑について確認を行いました。

その結果は、平成25年度予算に馬事公苑の除染費用が組み込まれており、今月開催中の議会を通れば入札により業者を決定し、平成25年度1年間かけてあの広大な敷地の除染にはいると言うことです。

したがって、平成26年4月1日からは使用可能になりますので、全国レクリェーション大会の会場としての使用は大丈夫ですと言っていただけました。

震災から2年。後1年間かかりますがやっと先が見えて動きを開始できるようになります。

目標がもてると言うことは本当にうれしい事ですね。

ペガサスもこころなしか喜んでいるように見えるようになりました。

福島県のディスクゴルフ復興へ向けての最初の大会が全国規模の大きな大会となってしまいましたが、福島県のディスクゴルフ愛好者が一丸となって成功に向けて頑張りたいと思います。

大会の開催期間は「平成26年9月19日(金)~21日(日)」です。

久し振りに馬事公苑に歓声が戻ってくる情景が頭に浮かんできます。

後1年以上ありますが、その日は馬事公苑でディスクゴルフを楽しみましょう!!

多くのプレーヤーと馬事公苑で再会できるのを楽しみに頑張ります


震災から2年

2013年03月11日 07時00分00秒 | 震災・放射能

東日本大震災から2年を迎えました。

震災により亡くなられた多くの皆様、原発事故により過酷な状況で避難を余儀なくされ不幸にも亡くなられた皆様のご冥福をお祈り申し上げます。

2年目も多くの皆様からあたたかい励ましの言葉や多くのご支援を頂きました。

長い間ご支援を頂いていることに感謝申し上げます。

ありがとうございました。

まだまだ復興を遂げるまでは大変な状況が続きますが焦らず確実に進んでいくしかありません。

これまで同様のご声援やご協力をよろしくお願いいたします。


あの日から明日で2年

2013年03月10日 07時00分00秒 | 震災・放射能

明日で東日本大震災から2年を迎える。

2011年3月11日金曜日。

14時46分 「ゴォ~」という音と同時に巨大な揺れが襲ってきた。今まで経験したことがないほど大きな揺れだった。そして、

15時39分 突然巨大な波が襲い掛かってきた。あの恐ろしい光景は頭から離れることはない。

自然の強烈な行為に何もできないまま逃げるのが精いっぱいだった。怖かった。寒かった。不安だった。悲しかった。辛かった。

あれから1年は感謝とがんばろうの1年だった。多くの人に支えていただいた。元の生活をとり戻そうと必死に頑張った。

そこからの1年はどうだったろうか。

復興、復興と頑張ってきたが、それにも限界があるのかもしれない。

俺たちの前に立ちふさがっている放射能という巨大な目に見えない壁。高い低いの数値だけでは済まされない行政の壁。

その壁が崩れない限り俺たちはがんばることができなくなってしまった。

そうなんだ。2年目は耐える1年だったんだ。

1年かかって何とか立ち上がった。それからの1年はそれを何とか維持してきた1年だった。

それ以上頑張ってなんとか震災前に戻そうとしても壁が立ちふさがっている以上はどうにもならない。

後は行政がその壁を何とか崩してくれるのを期待するしかない。

遅れすぎている復興作業。

明日からの3年目はどうなるのだろうか。

まだ耐える1年で終わってしまうのだろうか。

もう1年耐える1年だったらさらに困難な4年目がやってくるような気がする。


あたたかい日

2013年03月09日 10時12分18秒 | 日記

今日はとてもよい天気

弁当をもって公園へでも出かけようか

歩いて行ける近くの公園

歩きながら眺める景色は春の日差しを受けて緑色に染まっている

牧草地には牛たちがのどかに草を食んでいる

いちめんに咲いている黄色いたんぽぽの花がきれいだねと

孫たちがはしゃいでる

草の上にシートを敷いて弁当を広げよう

孫たちの好きなおにぎりやから揚げに卵焼きも入っている

孫たちはあっという間に食べ終わり

草の上を走り回って遊んでる

この孫たちもいつかこの日のことを思い出す日が来るだろうか

今日はとてもよい天気

公園のベンチにひとり座り公園を眺めていると

あの光景が浮かんでくる

いつかこの地に平穏な日が訪れて

孫たちが

今日のようなよく晴れた日に子供たちをつれて

どこかの公園に行ったとき

ふっと思い出すようなことがあるのだろうか

なんだか昔

こんなふうなことがあったなと

いまわたしがそう思っているように


愛車復活から1年

2013年03月08日 18時23分36秒 | 日記

津波により被災した愛車が復活を遂げたのは1年前の今日だった。

あれから1年。

途中で再入院1ヶ月もあったが11ヶ月間快調に走ってくれた。

走行距離は11ヵ月で約19,000km。1ヶ月平均1,700km弱。

震災前は1ヶ月平均約1,000kmだったから約700kmは余分に走行していることになる。南相馬市から南側は立ち入り禁止、東側は海。行けるのは西側と北側だけ。南側へ行こうとすると往復約160km程度遠回りしなければならない。常磐道が再開通するまで後1年。まだまだ走行距離が伸びそうですね。

高級車になってしまった愛車をケガさせないようにいたわりながら付き合っていこうと思います。

でも、お願いだから運転者と別れたいからといって火だけは出さないでね


高校入試

2013年03月08日 18時22分43秒 | 震災・放射能

昨日は福島県の高校入学試験が行われた。

警戒区域にある高校の定員は0.4%にも満たない。浪江高校にいたっては定員33名中4名しかいない。浪江小学校では入学生がゼロになったそうだ。

南相馬市にある高校でも定員に達したのは1学科しかない。後は全て定員に達していない。それだけ地元に子どもがいないと言うことになる。

震災からもうすぐ2年。

避難を続けている人にも地元に戻ることより現実を考え始めているようです。

避難先の学校に入学を決断したことによって、これからの生活や人生の方向性も変わってくるでしょう。

「帰ってこい 帰ってこい」と言葉ばかりで一向に除染が進まない状況では、これから先どれだけの南相馬市民が移住していくかわからない。

除染完了予定まで後2年。

避難者にとってあと2年間で南相馬市がどれだけ遠い存在になってしまうのか心配です。