村爺のなんでもいいべ

南相馬市の馬事公苑を中心に活動しているディスクゴルフの話題や南相馬の出来事や思いついたことを書いていきます。

復興祭2013in南相馬

2013年03月07日 17時51分29秒 | 南相馬の話題

3.11の前日、3月10日(日)に相馬野馬追祭の会場となる雲雀ヶ原祭場地で「復興祭2013in南相馬」が開催される。

第一部として東日本大震災で犠牲になられた方々の3回忌を祈り慰霊祭が開催されます。

第二部(11:00~15:30)の復興祭では、

法螺(ほら)貝、野馬追太鼓のステージ

学生グルメグランプリ(地域産業復興プロジェクト)

希望の風船飛ばし(2000名の小学生の思いを大空へ)

サラブレット乗馬体験

ステージパフォーマンス(復興支援に取り組むアーティストのステージ)

ミニライブ

BMXショー

福島グルメ大会

等、盛りだくさんのイベントが開催されるようです。

ディスクゴルフの日ですが、ディスクゴルフの前に福島のグルメもいいですね。

でも俺は福島で会議だから行くことができない。残念!!


未来への一歩

2013年03月06日 19時41分19秒 | 震災・放射能

南相馬市鹿島区の鹿島小学校の6年生が作詞し、相馬市出身のシンガーソングライター掘下さゆりさんが作曲したオリジナル曲「未来への一歩」の収録が鹿島小学校で行われたようです。

東日本大震災が発生し、津波は鹿島小学校の目前まで迫りました。

今では遠い海まで何もない荒野が続いています。

震災後全国から多くの支援が寄せられました。その感謝を歌に込めて発信しようと、この春卒業する鹿島小学校の6年生46人が、震災から2年を前にその思いを歌詞にしたそうです。

全国の民放ラジオが学校に訪問してラジオの魅力を届けるキャンペーン「ラジオがやってくる!」に協力を依頼し、ラジオ福島を通して掘下さんが曲作りを手伝ったようです。

未来への一歩

作詞 鹿島小学校6年生  作曲 掘下さゆり

あきらめないで 進んでいこう ほら 一筋の 日差し

悲しいときや 苦しいときは となりにいた仲間が 手をつないでくれた

忘れない あの日のこと

でも一人じゃなかった 今ここに この瞬間(とき)に 笑顔の花が咲く

つながっている いつも君と はげまし合って 支えあって 頑張れたよね

つながっている きっと また会える 未来へ あしたへ 歩いていこう

忘れない あの日のこと

家族がいてくれた 今ここに「ありがとう」 笑顔の花が咲く

つながっている いつでも君と はなれていても おなじ空を 見上げてるから

つながっている ずっと 信じてる 未来へ あしたへ 歩いていこう

少しずつ 少しずつ 進んでいこう

6年生の子供たちが中学校へ進学し、3年後に高校へ進学しても南相馬市は厳しい状況かもしれない。でも、これまでの2年間この地で支えあって勉強してきた仲間たちと一緒にいろいろな困難に立ち向かっていってほしい。

そしてきっとこの子供たちが以前の南相馬市の賑わいを取り戻してくれることでしょう。


原発事故関連死

2013年03月05日 19時16分53秒 | 震災・放射能

新聞に3.11を前にして原発関連死の記事が毎日載っている。

原発事故直後避難を余儀なくされたわれわれにとって屈辱とも思えることが数多く起こっていた。

原発事故直後スクリーニングを受けに行って、防護服に身を固めた人に汚いものでも触るように線量を測定されるときの不安感や屈辱感。

寒いところで冷たいおにぎりをかじった。

地震で助かった後に津波に襲われた。そして原発事故。

なにも俺たちは悪いことをしていないのになんでこんな嫌な思いをしなくてはならないんだ。

これからどうすればいいんだ。毎日が不安の塊で身体がおかしくなりそうな数日間だった。

俺もそんな辛い思いをしながら避難したんだから、身体の弱い高齢者にとっては生死をかけた避難だったろう。

原発事故により避難を余儀なくされ亡くなられた方は500名を超える。

毎日記事を読んでいると悔しさや悲しさがこみ上げてくる。

100歳を超えるまで元気でいたおばあちゃんの最期はなぜこんな対応をさられなければならなかったのだろうか?

被曝を疑った医師の診察拒否

東京電力福島第一原発事故で施設からの避難を強いられたお年寄りは、県内外の病院や施設などで次々に命を落としていった。1月までにその数は520人に及ぶ。避難先を転々とする中、体調を悪化させ死期を早めた。東京の病院で被ばくを疑われ、一時は診察を拒否された高齢者もいる。不条理な差別を受け、故郷の地を踏めないまま逝った。遺族の嘆きは深い。ついのすみかを追われた災害弱者の「原発事故関連死」を追う。

 病室の母は、体にたくさんの管を付けられ力なく呼吸するばかりだった。心肺停止で埼玉県行田市の総合病院に救急搬送されたと聞いて駆け付けた時、既に意識はなかった。
 「これでお別れになるのかな。双葉に帰れなくてごめんね」。東京都練馬区の篠美恵子さん(65)は、母・山本ハツミさんの手をそっと握った。
 翌日の平成23年11月3日。親族らが見舞った後、ハツミさんは静かに息を引き取った。急性循環不全。102歳だった。
 「100年も双葉で暮らしてきて最期が埼玉だとは。母も悔しかったと思う」。母のそばで過ごした7カ月は、あっという間だった。
 双葉町の高齢者施設「せんだん」に入所していたハツミさんが原発事故で郡山市の郡山養護学校に避難していると聞き、たまらず夫婦で3月17日夜に迎えに行った。
 22日午後9時すぎだった。ハツミさんが38.8度の熱を出した。郡山から都内の自宅に連れてきて、4日目だった。夫の常雄さん(66)に体温計を見せた。「ちょっとまずいな。衰弱している」
 食事も排せつも自立し、認知症もなかった母が明らかに弱っていた。
 到着した救急隊員はストレッチャーを手に搬送の準備に掛かった。「郡山でスクリーニングを受けた」と説明すると、隊員は動きを止め、顔を見合わせた。
 「検査結果を知る必要がある」と告げられ、施設側に確認した。「被ばくはしていない。具体的な数値は現場が混乱していて残っていない」。教えられた内容をそのまま隊員に伝えた。
 救急車は15分ほどで都内の総合病院の救急搬送入り口に滑り込んだ。迎えた男性医師は、上半身にプロテクターのようなものを身に着けていた。レントゲン撮影時に用いられる放射線防護用エプロンだった。救急隊が病院側に母が被ばくしている可能性を伝えたのだと思った。
 「被ばくしている人は診察したくない」
 医師から発せられた言葉は、診察の拒否だった。美恵子さんは事態をすぐには理解できなかった。
 「私にも家族がいる。被ばくしたら困る」
 美恵子さんは、全身から力が抜けていくのを感じていた。スクリーニングで母の体に放射性物質は付着していなかった。なぜ信じてくれないのか、なぜ差別されなければならないのか、母が何か悪いことでもしたのか-。空白の時間の後、ようやく言葉を絞り出した。
 「診てもらえないなら、福島に連れて帰るしかないわね」

 医師への失望は、強い憤りに変わっていた。衰弱していく母を見ていられなかった。
 問答の末、医師は「それじゃあ」と言って、渋々診察を始めた。結果は心筋梗塞と肺炎。心臓の血管がふさがるか、細くなるかして血流量が少なくなっている可能性が高いということだった。
 食事も歩行も排せつもできた母。「双葉町の老人ホームを追われ、避難先を転々とした疲労がたたったのか」。美恵子さんは天を仰いだ。同時に「何とかしてもらいたい」とすがる思いだった。
 だが、医師は静かに告げた。「この病院にはカテーテルの設備がない。他の病院に行ったほうが良い」
 総合病院で心臓カテーテルができない? そんなことがあるのか-。他の病院に行かせるために、心筋梗塞と診断したのではないか。美恵子さんは診断そのものさえ疑うような気持ちだった。「カテーテルの治療はしなくても結構です」と転院の打診を断った。
 ハツミさんの容体は回復せず、即日入院することになった。用意されたのは1日2万500円かかる個室。医師からは相部屋は満杯で個室しか空いてないと説明された。美恵子さんと夫の常雄さん(65)は個室を承諾したが、「母は被ばくの疑いを持たれて隔離されたんだ」と思った。
 福島民報社の取材に対し病院は「看護日誌には当時の入院患者総数の記載しかなく、なぜ個室を使用したのか記録にない。男性医師は既に退職している。病室の稼働状況と患者の容体などを医師が総合的に判断したのだと思う」としている。
 ハツミさんはがらんとした個室のベッドで目を閉じていた。寝顔を確認した美恵子さんらが自宅に戻ろうとしたところ、男性医師から声を掛けられた。
 「このまま(ハツミさんを)引き取りに来ない、なんてことはないですよね」
 ため息しか出なかった。「悔しいやら情けないやら。でも、何とか母を助けてもらいたかったから...」。何も言い返さずに足早に病院を後にした。

あれからもう2年が過ぎようとしている。

原発事故により多くの事を経験した。

忘れられない励ましの言葉や感激することも多かったが、不安で身体が震えるような気持ちや差別も体験した。

良い事も悪い事も残り少ない生涯、忘れることはできないだろう。


ディスクゴルフの日

2013年03月04日 18時42分07秒 | ディスクゴルフ

昨日は毎週恒例のディスクゴルフを楽しむ日。

今週も無事にいつもの場所でいつものように明るく笑顔でディスクゴルフを楽しむことができましたよ!!

集まったのは男性2名、女性5名の7名。男性の参加が少ないですね。みんな冬眠しているのかな?もうすぐ啓蟄だから来週あたりは這い出してくるか?

昨日は前日の強風がうそのように穏やかで暖かい日でした。

公園への来園者も増えてきますね。

南相馬市では活動する場所が少ないので東ヶ丘公園へ来る人が多いんですが、これから春になるともっと多くなってしまうでしょうね。果たしてディスクゴルフが継続できるかなんか不安ですが、来園者に迷惑がかからないように工夫して楽しんでいきましょう!!

来園者の中には、珍しいスポーツなのか立ち止まって眺めている人が多くなってきたので、興味のある人が仲間になってくれるとうれしいんですけどね。

コースはいつものように6ホールを設置し、その内3ホールをマンダトリーにした。だいぶマンダトリーに慣れてきたようで、みんなそれぞれにマンダトリーに対応したスローができるようになってきたと思う。俺とママを除いてはですけどね。でもパパとママのパット力は凄かったよね。ロングパットをバンバン決めるから小心者の俺はショートパットを外しまくりでしたよ。ということは俺はショットもパットも悪かったと言うことか?なぜか俺が失敗するとみんな喜ぶんだよね。まぁ~みんなを喜ばすために失敗しまくりでもいいか!!(本当は本気でやってんだけど。) そういえばH内さんが飛距離を伸ばす工夫を始めていた。バックハンドスローが飛ばないからサイドハンドスローに挑戦していたけど、今日は筋肉痛は出ないと思うけど腕と肩は大丈夫だったろうか?慣れないことを無理してやると身体に堪えますからね。でも上達しようと努力する気持ちが起きることはうれしいですね。

来週は3月10日(日) 午後1時30分集合。

3.11の前日ですが、震災により犠牲になられた皆さんに元気な姿を見せられるように頑張って楽しみましょう!!

南相馬市の男性諸君、こたつでぬくぬくしていないで外に出て楽しまないとだめですよ!!

俺は残念ながら2週連続所要で参加できません。

コップを持ちながらイメージトレーニングで我慢します。


市長室からこんにちは2

2013年03月03日 10時14分20秒 | 南相馬の話題

「広報みなみそうま」3月号が配付された。

先月から始まった「市長室からこんにちは」。

桜井南相馬市長が市民のためにどういうことを考えているのかこれから楽しみにしていきたいと思う。先月号を紹介していなかったので今回は1と2を一緒に紹介します。写真に撮ってアップしているので見ずらくて申し訳ありません。

3月は卒業の月。

高校を卒業する若者たちの意見や姿が新聞に載っていましたが、地元に戻り復興のために頑張るという若者が多いようです。復興を遂げるまでは長い年月がかかると思われます。若者たちの頑張ると言う気持ちに救われますよね。

そして3月11日は震災から2年を迎えます。

南相馬市で大津波により多くの方が犠牲になりました。午後2時46分の地震発生時間に黙とうをささげたいと思います。

3月から新たな動きも見られた。

南相馬市のホームページがリニューアルされていた。市民のためにいろいろな情報をわかりやすく発信していただきたいですね。個人的には南相馬市で開催されるスポーツ行事や情報についても発信してほしいんですけど、担当者の仕事が激務のため無理だと言われてしまいました。無理なのかな?市民の事を考えたらやる気の問題だと思うんだけど?


昔の写真

2013年03月02日 23時11分41秒 | 日記

友人が津波被災で昔の写真を全て失ってしまったので写真を提供できないかと考え、フィルムスキャンできるスキャナーを購入して、数10年前から保管してあるネガを引っ張り出してスキャンしてみた。

ネガからのスキャンだと傷やごみが付着して本来の写真のようにはならないですね~。

補正の仕方があるんだろうけど機械音痴の俺にはいまいちわからない。

しょうがないから画像だけで昔を思い出していただこうと思う。

そんな中から15年程前に残雪の吾妻山に行ったときの写真を見つけた。

姥ヶ原からすべり降りてきて鎌沼の氷結している上に立ってセルフタイマーで撮った写真です。

この時の美しさが忘れられずもう一度もう一度と思いながら果たせずにいた残雪の吾妻山行。

雪山歩きに難儀したので、この次の年には昔かんじきを作っていた人にお願いしてかんじきまで作ったのに未だに行けていない。

今年の磐梯吾妻スカイラインの開通は4月8日。

今年こそは実現したいですね。

南相馬市ディスクゴルフ協会の設立当時の写真も出てきました。今度機会があったらこのブログで紹介していきますね。

でも、わずか10年程度なのにみんなの変貌ぶりは凄いですよね。

やっぱり若かりし頃は良かったんですね。


サラ川

2013年03月01日 09時58分11秒 | 日記

第一生命で毎年開催している「サラリーマン川柳コンクール」のベスト100句が発表されました。

日常の何気ない出来事をユーモアのある川柳にした作品を見ていると、その年の社会的な出来事や流行した物、生活の様子などが思い浮かんできますよね。

その中からベスト10を選出するようです。

第一生命のホームページで作品を読んでみたのですが面白いですね。

気に入ったものや気になるものがあるのでちょっと載せてみたいと思います。

政治家も ビールに負けじと 第三に (箸持っとる)

何かをね 忘れたことは 覚えてる (万華鏡)

すぐキレる 妻よ見習え LED (忍耐夫)

やな上司 退職したのに 再雇用? (美仁子)

山ガール 恋の道にも 山がある (峰々)

「辞めてやる!!」 会社にいいね!!と 返される (元課長)

選ばれた100句の中から1句を選び投票するんですが、俺も投票してみたいと思います。

ちなみに過去の1位は、

2012年 「宝くじ当たればやめる」が合言葉 (事務員A)

2011年 久しぶり~ 名が出ないまま じゃあまたね~ (シーゲ)

2010年 仕分け人 妻に比べりゃ まだ甘い (北の揺人)

2009年 しゅうち心 なくした妻は ポーニョポニョ (オーマイガット)

2008年 「空気読め!!」 それより部下の 気持ち読め!! (のりちゃん)

2007年 脳年齢 年金すでに もらえます (満33歳)

2006年 昼食は 妻がセレブで 俺セルフ (一夢庵)

2005年 オレオレに 亭主と知りつつ 電話切る (反抗妻)

2004年 「課長いる?」 返ったこたえは 「いりません!」 (ごもっとも)

2003年 タバコより 体に悪い 妻のグチ (-小心亭主-)

その年その年の流行語や世相がなんとなく思い出されますよね。

昨年の川柳には震災後か「絆」が入っているものが多かったんですが今年のものにはありませんね。やはりユーモアのある川柳を考えるには暗いものを入れてもしょうがないからね。それとも、もう被災地以外のところでは風化してしまったのかもしれないですね。

俺も何か面白い川柳を考えて次に応募してみようかな?