84才男の明日を生きる挑戦記

84才直後、片手に余る持病の中の除癌は目下経過監視中。
4年後は米寿で五輪。酉年を期に臆せず気張らずの余生で在りたい。

厳寒

2012年01月28日 | Weblog

         雪催ふ電池切れたる電子辞書

 1月28日。。昨日韓国慶州のナザレ園(日本人妻のオアシス)に余生を寄せておられるYオンマーからである。”昨年送ったXmas cardの返事がついたか?”の問合せを兼ねた、相互近況の交換である。韓国赴任時に多勢の社員の面倒を見てくれた恩人である。終戦時に現地で大農園を営んでいた家族とは帰国せず、韓国人の夫の許で辛酸を尽くす苦労をなされ。今年で94歳になれる。今は車椅子の身だが、脳梗塞の後遺症は無く言語は当時と変わらないが、明日をも知れぬ身を案じて”オンマー(お母さん)と親しんだ私に(遺書代わり)を残しておきたかったようだ。その手紙は未だ受け取っていない。